第34話 最終話・そしてまた二人

「トリッチャードの事で、私が手にした情報を教えておきたい」

 ジェルジンの言葉に、ファリーとロニエスは顔を見合わせた。


「魔法院に戻って、すぐに潔斎けっさいに入ったので、訪ねるのが今朝になってしまった」

 椅子に腰掛けたジェルジンは、静かに話始めた。


 潔斎とは、魔法院の魔道士が院内にもって身を清める事だ。無断外出者への懲罰でもある。

 ジェルジンは研修中に事件に巻き込まれたので、その必要は無かったのだが、自分から申し出たのだという。


「潔斎の間は不用な会話も慎まなければならないので、魔法院としては助かった、という所が本音のようだ。他の生徒にあれこれ吹聴ふいちょうされると困ると思ったのだろう」

 あの模範生が、魔法院に対して突き放したような物言いをしている。

 ファリーは少しだけ意外にジェルジンを見た。


 ファリーが昏睡から目覚めた後、ジェルジンは魔法院に戻る時セルデュを伴って行った。

 崩壊するトリッチの館からセルデュに助けられた、という事にしたのだ。

 あとはセルデュ得意の舌先三寸で丸め込み、魔法院から謝礼金という名の口止め料をたっぷりせしめて、セルデュは上機嫌で町を出たという。


 研修中、ジェルジンは人魚探索の手伝いをしていた。

 と、言っても、不審な荷などを見つけて、魔法院に報告するという簡単な仕事だったが、その最中での出来事に、魔法院の上層部では結構な大騒ぎだったようだ。


「研修生が手配中の罪人に捕らわれるなど、あってはならない事だからな。それも相手は、あの魔薬士トリッチャードだ。・・・かなり神経質になっていた」

 魔法院としては、トリッチの元に人魚があったかどうかよりも、歳若い魔道士がトリッチに影響を受けなかったかという事が重要だったようで、人魚の所在については「分からない」と一度答えた後は、追及されなかったとジェルジンが言った。


「それよりも、トリッチャードと何を話したのか、何をされたのかを細かく聞かれたよ。『とにかく恐ろしくてよく覚えていない』の一点張りを通したら、割と早く諦めてくれたがな。・・・これがだいぶ効いたようだぞ」

 とジェルジンは自分の頬を指差した。

 うっすらと赤みが残っているのは、ファリーが殴ったあざの跡だ。

 どうやらトリッチにやられたものだと勘違いされたらしい。

 ジェルジンの顔をのぞきこむロニエスが首をかしげる。

 ファリーは「あはは」と、ごまかし笑いをした。


「私が自分から潔斎を申し出たのは、トリッチャードの事を調べるためだ」

「えっ・・・」

 顔を上げたファリーを、ジェルジンは待っていたようにうなずいた。

「高等魔法院に戻らなければ難しいかと思ったが、それなりの資料が揃っていた。ラクマカは古くからの大きな宿場であるから、そういった手配人の資料はちゃんと備えてあるらしい」


 トリッチ・・・レスネイルの一族名トリッチャードは、やはり赤子の頃から高等魔法院の養育施設、いわゆる鳥籠で育った魔道士だった。

 養成学校時代の成績は優秀であり、指導生徒という学生の頂点に立っていた。

 だが、学生過程の修了を目前に控え、高等魔法院の重職に就く内示が出ていた矢先、トリッチャードは大きな間違いを犯す。


「・・・姦淫罪かんいんざいだ」

 ジェルジンの言葉に、ファリーは眉をひそめた。

「それで魔法院を永久追放されている」


「え、ちょっと待て。だってお前ら、姦淫って・・・どうするんだよ?」

 レスネイル族に性徴期がある事を、ロニエスは知らない。

 その事をロニエスに知られたくないファリーの事情を知っているジェルジンは、コホンと大げさな咳払いをすると、

「・・・まあ、何だな。世俗には色々な嗜好しこう手管てくだがある訳で・・・。神聖の名を持つ魔道士が、淫らと断じたものは姦淫と称されるのだ」

 そう語った。(かたったともいう)


 うわ、ぜんぜん意味分かんないよジェルジン・・・ファリーは頭を抱えるが、

「そ、そうか。難しくてよく分からねぇが、厳しいって事だな」

 当のロニエスが一応納得したので、(聞きなれない言葉の理解を放棄したともいう)それはそれで良し、とした。


 姦淫罪とは、文字通り男女のあやまちを犯す罪であるが、レスネイル族にとってはそれ以上の意味を持っている。

 つまりは魔力の放棄。

 魔道士としての生涯を勝手に放棄する罪だ。


 レスネイル族は結婚を禁止している訳では無い。

 だがそれは高等魔法院の許可が必要であり、許可には厳しい審査がある。

 優秀な魔道士であり将来を嘱望されていた若者が、一時の誘惑に身を任せて魔力を失うなどというのは、最も恥ずべき行為であり重罪とされていた。


『いけませんねぇ、ああいった薬はしっかり把握しておかないと。魔力を失ってからでは、後悔しても遅いですよ』

『悪趣味か・・・私もそう思うよ、心からね』

『我が身が喫した恥辱の苦汁を、君に味わわせようとは思っていない』


 ファリーはトリッチが自分に向けた言葉の数々を思い出していた。

 トリッチ、いや、トリッチャードを巡って何か策謀があったように思えてならない。

 あの人が一時の誘惑で魔力を捨てるなど、あり得ないように思う。


 ジェルジンも同じ思いであるのか、

「あくまで魔法院の資料だからな。トリッチャード側の言い分など記録されていない」

 と、言った。


 悪い人であるのは間違いない。

 人魚をだまして陸に上げて殺した、ヴノを使って薬の実験をしようとしていた、命の軽視に他ならない。


 けれど・・・。

 魔法院を放り出された、魔力を失った魔道士。

 赤子の頃から魔法院しか知らず、魔道士になる事しか教えられなかった若者が、親も故郷も頼る者も無い世界で生きて行くのは、どれほど大変であったかを、ファリーは思いやらずにいられない。

 誰も自分を知らないという孤独、どこにも行き場が無いという辛さ。それはファリーも知っているから・・・。


「・・・あの人は、ぼくらに色んな事を教えようとしていた」

 ファリーのつぶやきに、ジェルジンが少しだけ口を歪める。

「もし本当にぼくらの血肉だけが目的だったら、最初から自我を潰す事くらい簡単だ。あんなふうに閉じ込めたりする事なんて無かったんだ」

 不満そうな顔をしてはいたが、ジェルジンは何も言わなかった。


 媚薬の事も人魚の事も、魔法院では教えない何かを伝えようとしていたように思える。

 それはただの気まぐれだったのか、それとも・・・。


「トリッチャードと共に居た魔道士の件だが・・・」

 話題を変えようとしたのか、ジェルジンがオルガの事を持ち出した。

 オルガについては何の記載も確認できなかったという。


「オルガという名が一族名と思えないが、それにしてもレスネイル族全ての記録など膨大な数で調べようが無い。魔法院の手配者にそれらしき名は無かった。・・・だがな・・・」

 トリッチの件について魔法院はジェルジンに問うたらしい。「魔道士は居なかったか」と。


「・・・あれほどの魔道士だ。魔法院が認知していないはずが無い。だがトリッチャードの協力者であるとか、仲間であるとかで手配はしていないのだ。・・・単に捕えるのが不可能だからかもしれんが」

 投げやりなふうに、ジェルジンが言う。

 そして、その後についての話になった。


 ファリーたちが脱出した後、断崖にあったトリッチの館には、サムガルヴァ兵が乗り込んで来た。

 だが、兵たちが押し寄せた途端、館は崩れ落ちたという。

 そのため、サムガルヴァ兵たちは味方の救出に忙しく、人魚の捜索どころでは無かったらしい。

 崩落が人魚の攻撃による結果なのか、故意に成された事なのかは誰にも分からない。

 今でも、トリッチとオルガの死体は発見されていないという。


「サムガルヴァ側は、反逆者としてのトリッチ摘発を隠れみのに、早々に人魚探しをやりたいのだろうが、魔法院としても捜索の権利を主張していて、事は動いていないようだ」

 この先はサムガルヴァ大公と高等魔法院との駆け引きになるだろう、と、ジェルジンは首をすくめて見せた。

「私も、明日には高等魔法院への帰途につく。遠いラクマカの話など耳には届かないさ」

 すでに雲の上の話であった。


 さて、と言ってジェルジンは椅子から立ち上がる。

「出立前に時間を取らせて悪かったな」

「ううん。話しに来てくれてありがとう、ジェルジン」

 にっこりと笑うファリーの顔を、ジェルジンはじっと見つめていた。

 そして・・・

「オルファリ、お前、私と一緒に学校へ戻る気はないか?」

 と、言ったのだ。


 ファリーは目を大きく開いたが、すぐに首を振った。

「・・・そうか」

 ふふっ、とジェルジンが笑う。

「脱走学生を連れ帰れば、私の点数が上がると思ったのだが・・・残念」

「ジェルジン、ダルデリス先生にぼくが元気だと伝えてくれる?」

 ジェルジンは扉を開けて、振り返らずに答えた。

「気が向いたらな」



 街道もラクマカを離れると、行き交う者も少なくなって、穏やかであった。

 南に進路を取り直し、ファリーとロニエスはのんびりと街道の端を歩いていた。


 アマンダとは昨夜、別れの挨拶をした。

 彼女はこのまま、北へ向かうと言っていた。

「せっかくだからもう少し海岸を行ってみるわ。人魚に思いをせながらね」

 と、やや自虐的な事を言って笑っていた。


 人魚の遺体の顛末てんまつについては、アマンダは見ていない事もあって、ファリーとロニエスが詳しく話を聞かせていた。

 ・・・ロニエスが、さんざんなじられたが・・・。


「でもさ、言葉が通じなかったのに、大公女と人魚の青年はどうやってお互いの気持ちが分かったんだろうね?大公女に魔力があったのかな?」

 ファリーの仮定を、アマンダは一蹴いっしゅうする。

 そして、

「それが恋っていうものなのよ、ファリー」

 と、婉然えんぜんたる笑顔をもって応えた。


 晴れた空を見上げて、ファリーは思う。

 アマンダの言った事はよく分からない。

 でも、あの声が出なかった時、ロニエスは自分が言いたい事を分かってくれた。

 ・・・それと同じ事なのかな?


「あ?何だ?」

 いつの間にかロニエスをじっと見ていたようで、ファリーは赤くなってまた空を見た。

 いやいや、オルガにだって通じていたんだから・・・違うんじゃないかな。


「何だ、ファリー。どうしたんだよ」

 気になったのか、ロニエスが話しかけてくる。

「あ、あー、ううん。人魚の事を考えていたんだよ。・・・もし、人魚たちと話ができる状態だったらさ、あの人魚を薬として使う事を許してもらえたかもしれないって・・・」

「そうかぁ?」

「だってさ、本当に千人の人の病気を治したり、ヴァーサンクの覚醒を止めたりできる薬が作れたかもしれないんだよ。もしそれが本当だったら、ぼくちょっと考えちゃうよ」

 道に外れた事だとは、充分に承知している。ただ、貴重な資料だったは確かだ。

 こんな自分と引き換えで良かったのか・・・とか考えてしまう。


「うーん」

 ロニエスはバリバリと頭を掻いている。

 ・・・そうだよね、ごめん。ロニはぼくの方が大事だって言ってくれたのに・・・。


「じゃあ、謝ればいいんじゃないか?」

「へ?」

 ファリーはキョトンとした顔をロニエスに向ける。

「謝ればいいよ。『お前のせいで病気が治らなくなったんだ』とか、『覚醒を止める薬が欲しかったのに』って言ってくる奴が居たらさ、『悪かった』って、俺とふたりで頭下げりゃあいいじゃないか。俺も同じヴァーサンクなんだから、きっと分かってもらえるさ」

 ニカッと笑って、ロニエスは言った。


 ファリーはぐっと顔を上げて空を見た。

 ・・・もう、何でそんな事言うんだよ・・・。

 鼻の奥がツーンとしてきて、涙がこみ上げてくる。

 我慢できなくなって、ファリーは走り出した。


「え?えーっ!どうしたんだよ、ファリー!」

 ロニエスがあわてて追いかける。

 空はどこまでも晴れて、気持ちの良い風が吹いている。

 今夜もきっと、赤と黒の二つの月が美しく輝くことだろう。



END

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荒寥原野に月ふたつ・剣士魔道士用心棒 矢芝フルカ @furuka

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