第33話 最後の呪文

 覚醒・・・しちゃったんだね・・・。


 ファリーの目の前に立っていたのは、紅の髪をしたヴァーサンクだった。


 ロニエスはファリーを見下ろして、ニヤリと笑った。

 革手袋からはみ出てしまった大きな手が、ファリーの小さな肩を掴むと、床へと引き倒す。


 あっ!


 革のマントが剥がされて、濡れているローブがいとも簡単に引き裂かれる。

 ああ、そうか・・・もう夜だ。

 曝された肌にロニエスが顔を埋めてくる。

 その腰に挟まっている物が床に当たって、コツリと鳴った。


 ぼくの杖だ・・・。

 伸びきって、千切れそうになった革ベルトに、ファリーの杖が辛うじて引っかかっていた。


 ああ・・・ロニ・・・。

 涙が頬を伝う。

 まだ声は出ない。

 魔法は使えない。

 でも・・・。

 ファリーは左手をロニエスの胸の刻印に、右手を彼の腰にある杖にあてた。


 さっきジェルジンが自分に行った事だ。

 魔力の同調。

 ロニエスの魔力が外に出ている今ならできるかもしれない。


 ・・・きっと、最後の魔法になる。

 ロニ、大丈夫だよ。ぼく、怒らないから。

 でも・・・でもね、魔法が使えなくてもそばに居ていいかな。

 役立たずのぼくでも、一緒に居ていいかな。

 ずっと一緒に居たいよ・・・ロニ。


 ファリーは目を閉じて意識を集中する。


 空に浮かぶ月が見えた。

 赤と黒の双子の月。

 その下に広がるのは、枯れた草ばかりの荒寥こうりょうとした原野。

 ああ、そうか。魔力のイメージだね。

 ・・・ボロ屋の雨漏りで無くて良かった。


 星も無い。

 道も無い。

 灯りも無い。


 背中が温かいな、ちょっと寄りかかってみる。

 風が吹いて、束ねた髪の毛先が、ぼくの頬を撫でてくすぐったい。


 ロニが居る。

 背中合わせにロニが居る。


 ロニは振り向かない。

 ぼくも振り向かない。

 でも背中が温かい。


 ロニが居る。

 それだけでいい。


 ロニ、さあ、どこへ行こうか。

 一緒なら大丈夫。

 きっとどこへだって行けるさ。


 一緒に行こう。

 この原野をどこまでも・・・。


 身体に残る力の全てを込めて、ファリーは呪文を唱えた。

 目を閉じていても感じるほどの強い光が、弾けるように拡がった。

 痛いほどの眩しさが自分の身体の内まで貫いて、真っ白になる。

 もう・・・何も分からなかった・・・。





 ファリーが目覚めたのは、その翌日の事だった。


「ファリー!良かった!」

 まっさきにロニエスの声が聞こえた。

「ロニ・・・」

 ベッドに横になったまま、ファリーは顔だけ動かして声の方を見る。

 いつもと変わらないロニエスの姿がそこにあった。


「ロニ、元に戻ったの・・・?」

 ロニエスは満面の笑みを浮かべると、着ていたシャツの前をはだける。

「・・・お前の目なら見えるだろ。お前の印だ」

 魔力が凪いでいる状態なので黒く光ってはいないが、ファリーの目には、アマンダのものと並んで付けられた新しい封魔の印が、確かに見えた。


 良かった、成ったんだ・・・。

「ありがとな、ファリー」

 ロニエスの笑顔に、おもわず涙がこぼれそうになる。

 両手で顔を押さえて、ファリーはどうにかそれを堪えた。


 ぼくの最後の魔法がきちんと成ってくれた。

 良かった・・・良かった・・・。

 ・・・でも。


「・・・ロニ、ぼくね・・・」

 言わなければならない、自分の身体がどうなってしまったのかを。

「ん?何だ?」

 ロニエスが顔を寄せてくる。

「ぼくね、実はもう・・・」

 その時、ノックも無しに扉が開いて、ファリーの言葉を遮った。


「ちょっと!ファリーの目が覚めたって・・・!」

 アマンダの声が聞こえた。

 目を向けると、ジェルジンもググも、そしてなぜかセルデュまで居た。

「あーっ、ファリー!良かった!」

 アマンダを先頭に、全員がファリーのベッドへと駆け寄って来る。


「昨日からずっと目を覚まさないから心配したのよ、ファリー」

 ずっと?

 その時、遠くで鐘を打ち鳴らす音が聞こえた。

 正午を告げるラクマカの魔法院の鐘だと、アマンダが言う。


「・・・うん、だいぶ魔力が戻ってきている」

 ジェルジンが確かめるように、ファリーの手を握り込んだ。

「我々は隣の部屋で待機していたのだが、オルファリの波長を感じたので目覚めた事が分かったのだ」

 言われている事が分からず、ファリーは目をぱちくりさせる。


「オルファリ、お前は体内の魔力をほとんど使い切ってしまい、昏睡していたのだ」

「昏睡・・・」

「昏睡に入ると、回復魔法も受け付けないからな。明日までに目覚めなければ、無理にでも魔法院に連れ帰って治療させようと思っていた」

「・・・うわぁ、危なかった」

 ファリーが心底ホッとしたように言うと、ジェルジンは怒りもせず、ただクスリと笑って見せた。


 ・・・あれ?

 ・・・ちょっと待って、今、魔力が戻ってきてるとか言わなかった?

 ファリーは毛布の中で、自分の身体に触れてみる。

 いつもと変わらない感触が、そこにあった。


 女性体になってない・・・!

 ・・・けど・・・

 ファリーはチラリとロニエスを見た。


「ファリー、文句のひとつでもこの馬鹿に言ってやりなさい。あの馬鹿みたいに強力な魔力を解放しておいて、この馬鹿、何ひとつ覚えて無いって言うのよ」

 アマンダが大きなため息とともに、ロニエスを肘で小突いた。

「3回も馬鹿って言うなよな・・・覚えて無いのは本当だけど・・・」

 バツが悪そうな顔で、ロニエスが小声で言った。


「覚えて無いの?何も?」

 ファリーが驚いた声を上げると、ロニエスはガバッと膝に手を付いて頭を下げる。

「ファリーごめん!・・・ヴノを倒したところまではしっかり覚えているんだけど・・・何ていうか、そこから制御できなくなって、やべぇーって思って・・・で、気づいたらこの宿屋でファリーと並んで寝ていて、胸にファリーの刻印があった」

「つまり、覚醒中の事は何も覚えていないの?」

「うん、そうなんだ。・・・初めて覚醒した時の事は覚えているのになぁ、何でだろ?」

 ロニエスは「うーん」とうなりながら、申し訳なさそうに大きな身体を小さくしている。


「ヴァーサンクの覚醒については、まだはっきりしていない事柄が多いと聞く。・・・そういう場合もある、と承知するしか無いだろうな」

 そう言ってジェルジンはファリーに振り返り、何気なく口の前に指を立てる仕草をする。

「ロニエスの頭が悪いからよ、ね、ファリー」

 アマンダもファリーを見て、ウインクを投げた。


 ふたりは「ロニエスは何も覚えていないから、何も言うな」と言っている。

 つまり、ファリーが女性体である事も、覚えていないのだ。

 何もかも元通りなのだと実感したファリーは、

「うん、そうだね」

 と、笑顔でうなずく。

「・・・そこ、うなずく所じゃ無いだろ・・・」

 情けない声が、ロニエスの口からこぼれた。


「無事にファリーが目覚めて安心しました。昨日からずっと胸が潰れる思いでしたよ」

 金髪をかきあげながら、セルデュが微笑んだ。

「てめぇはさっき来たばかりだろうが」

 ロニエスの突っ込みがセルデュには聞こえないようで、

「アマンダも心配だったでしょう。もう大丈夫です、私がそばに居りますから・・・」

 と、アマンダの手を取って、上目使いで見る。


 相変わらずのセルデュを前に、ファリーは苦笑するしかない。

 ロニエスが、セルデュと(うっかり)再会した経緯を簡単に説明した。

 そうしている間にも、セルデュはアマンダを相手に甘い言葉を囁いている。

 ・・・が、


「あ、ごめん。あなた育ちすぎだから却下」

 アマンダは、極めて冷静に拒絶した。

「へ?」

 セルデュの目が点になる。


「年下の可愛い子じゃないとダメなのよ~、ねぇジェルジン」

 と、アマンダがジェルジンの背中に抱きついた。

「お、おいっ、オルファリ!この刻印士を何とかしろ!昨夜からずっとこうなのだ!」

 ジェルジンが顔を真っ青にして、振り払おうともがいている。

「怖がらなくていいのよ。おねえさんが優しく教えて・あ・げ・る」

「オ、オルファリーッ!た、助けろっ!」

 取り乱すジェルジンを見ながら、ファリーはカラカラと笑った。


 その様子を見ていたロニエスが、思い出したように言った。

「そういえばアマンダ。お前結局、何でトリッチ追ってたんだよ?賞金のためじゃ無いだろ?」

 その問いに、アマンダはジェルジンを抱きしめる手を緩めた。

 すかさずジェルジンは逃れて、距離を取る。

「あーうん。・・・賞金はどうでも良かったんだけど・・・」

 アマンダが言いよどむ。

 ファリーはふと思いついた。


「・・・もしかして、人魚?アマンダ、人魚を追っていたの?」

 図星をさされて、アマンダは顔を赤くした。

 ネハーコの魔法院に連れて行かれた時に情報を得たのだと、ファリーは気づく。


「何だぁお前、まさか不老不死とか信じてんのかぁ?」

「違うわ!」

 ロニエスのからかいを、アマンダは即座に否定する。

「人魚を食べると魔力が付くって聞いたのよ。だから・・・。だって、ファリーの血に頼らなくても仕事ができたら良いなって・・・笑っていいわよ。自分でも馬鹿って分かってるもの・・・」

 アマンダは見られたくないのか、顔を背けた。

 ググが飛んで来て、主を庇うように肩先に止まる。


 ファリーはじっと、自分の手を見つめた。

 ・・・もしかして、トリッチが人魚にこだわったのもそれなんじゃないかな。失った魔力を取り戻したくて・・・。

 胸に迫るものを振り払うように、ファリーは顔を上げた。


「それにしても、今回のお手柄はググだよ。でも、どうしてぼくの居場所が分かったんだろうね?ガーゴイルって、そんな能力があるのかな?」

 褒められてるのは分かるらしく、ググは胸を上げて「クククーッ!」と鳴いた。

「考えられるのはファリーの血だと思うわ」

「ぼくの血?」

 アマンダがうなずいた。

「この子を維持しているのはファリーの血、つまりファリーの魔力だもの。それで辿る事ができたんじゃないかしら」

「そうかあ・・・。偉いねググ、本当にありがとう」

 ファリーのお礼に、「クー」と嬉しそうに返事をした。


「まあ、トカゲ鳥にしては上出来だったな・・・って痛えっ!」

 ロニエスの顔に向かって、ググの蹴りが炸裂した。

「このっ!馬鹿トカゲ!」

 ロニエスが飛び回るググを追いかける。

 アマンダが「いい加減にしなさいよ」とたしなめる。

 セルデュはアマンダの塩対応がショックだったようで、まだ茫然自失という体だ。

 自他ともに認める美男が、女性相手にあんな態度を取られたのは初めてなのかもしれない。


 ああ、帰って来たんだ。

 ファリーは心からの安堵を感じて、また眠くなる。


「・・・もう少し休め。魔力を使い果たしたのだ。今日一日くらいは回復に努めろ」

 うん・・・。

 ジェルジンに返事をしたつもりだったが、声にならなかった。

 ファリーは、心地よい眠りの中へと入って行った。




 眩しい朝の光が、窓から差し込んでいる。

 一日の始まりを告げる魔法院の鐘が、往来を行く馬車の音に混じって遠く聞こえて来る。

「うーん」

 ファリーはベッドの上で、思い切り伸びをした。

 昏睡から目覚めて3日、魔力も体力もすっかり取り戻している。


 今日も良い天気のようだ。

 出発の日はやはり晴れが良い。

「ほら、起きなよ、ロニ」

 となりのベッドで眠る相棒に声をかける。

「うー」

 返事なんだか寝言なんだか。

 頭まですっぽりと被った毛布が、ごそりと動いた。


 旅立ちの準備は、剣と杖とを腰に下げて完了となる。

 ふたりが部屋を出ようと思った時、扉を叩く音がした。

「今日が出立と聞いたのでな・・・少し時間があるか?」

 ジェルジンだった。

 今日は青と白の縦縞ローブを着ている。


「トリッチャードの事で、私が手にした情報を教えておきたい」

 ジェルジンの言葉に、ファリーとロニエスは顔を見合わせた。


To be continued.

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