骨董屋 山猫堂

枡本 実樹

Sophy の 願い

窓の外は雨。

せっかく桜の木が見える部屋なのに。

車が水飛沫を跳ね上げていく音がする。

朝方までは窓にバチバチと激しい音を立てて、雨風が吹き付けていた。


引っ越し初日だっていうのに、外が騒がしくて全然眠れなかったわ。

「ふふ。昨日は春の嵐すごかったものね。」

だから、暫く眠るわね。

「うん。ソフィ、ゆっくりおやすみ。」


家の主人が引っ越しの片付けをしている間、窓際のワタシ専用のソファで、暫く眠ることにした。

Sophyソフィ。ワタシの名前。

骨董屋を営む主人の家で暮らしているの。


何度か移転して、場所はいくつか変わったけど。

どこで開いても大繁盛。

骨董屋【 山猫堂やまねこどう 】は、夕方6時開店、夜11時閉店。

真夜中の12時からはワタシのもとで働くものたちが、アンティークの商品を丁寧に美しく管理しているの。



彼と出会ったのは、もう二十年以上も前のこと。彼がまだ六歳の頃だったわ。

彼のおじいさんがやっていた店に、母親に手を引かれて連れてこられ、幼い彼は置いて行かれた。

身体の弱い子だったから、いつもベットに横になっていた。

夜中に声を殺して涙を流していたのを、今でもよく憶えているわ。


おじいさんはワタシが元々住んでいた国の人でね、一緒に世界中を旅して。

この国が好きになってしまって、永住を決めたの。

とても綺麗な碧い眼をしていたわ。

彼はおじいさんと同じ眼の色をしている。とても綺麗な碧。

でもね、子供の頃、その周りとは違う容姿のせいで、いじめにあったりしたのよ。

なぜ、みんな同じでないといけないと思うのかしら。


ワタシが助けてあげられるのなら、何でもしてあげたいと思ったけど、そんな力は持っていないし。

ただ、彼の傍にいることしかできなかった。

色々と大変な思いをしてきた子だから、そろそろ幸せに生きて欲しい。

欲の一つでも持ってくれたら、何か生きる希望に繋がるんじゃないかと思うのだけど。


とても純粋な子で、人を憎んだり羨んだりしない、心の綺麗な子だった。

だから、ワタシがいつも人間にしてきたようなをしなくても、初めて会った時から、ワタシの言葉が彼には聴こえていた。

怖がりもしなかったし、嬉しそうに抱き締めてくれたとき、ワタシが仕えるのはこの子が最後なんだわ、と思った。


最後の主人になる彼には、彼が願うことで、ワタシが叶えられることは何だってしてあげたかった。

いくらそう思っても、彼は何も欲しがらない。

望む前から、どこか諦めている。

どうしてそうなってしまったのかしら。身体が弱かったからかしら。


人間って、もっと欲深いものだと思っていた。

そんな人間をたくさん見てきたもの。

何かを手に入れても、もっと欲しい。もっともっと欲しいって。

欲に溺れるのはどうかと思うけど、欲があることはいいことだと思うわ。

だって、生きる力になるでしょう?


彼はいつも笑っている。

とっても優しい微笑み。

生きるために、身に着けた、彼なりの術なのだと思うけど。

時々、その笑顔を見てると哀しくなるの。


そんな彼が、とびっきりの、心からの笑顔を見せたことが、何度かある。


一度目は、まだ小学生だった頃。

一昨日まで住んでいた街に、引っ越してきたばかりだった。

胸に古い洋書絵本を抱えて、幸せそうな笑顔で公園から帰ってきて。

どうしたの?って訊いたら、公園で出来たお友達に借りたって。


それからは、よく近くの公園に出掛けてた。

ワタシも、初めて出来たお友達がどんな子か、こっそり覗きに行ったわ。

とっても優しそうな子で、安心したのを憶えている。

時々、絵本を借りてきては、一生懸命に読んでいた。

でも、発作がおきて、二ヶ月間入院することになってしまった。

退院して、公園に行ったものの、もう会えなかったのよね。


そして、二度目は、去年の今頃。

桜の花が満開だった。

散歩から帰ったばかりで、急いで二階の自宅に駆け上がって行くあなたを追いかけた。

ガラス扉の付いた本棚に、大切に飾ってあった、あの絵本を抱えてた。

どうしたの?って訊いたら、あの公園で出来たお友達を見たかもしれないって。


それからはよく散歩に出掛けてたわ。

ワタシも、あの時のお友達がこの街にいるのか、こっそり探しに出掛けたわ。

なかなか見付からなくて、落ち込んでいたわね。


三度目は、去年の暮れ。

雪が降り始めて、寒かった日。

外に並べていた美術品を店に入れようとした時、あの子が店の前を通っていたのよね。

その次の日も、またその次の日も。

探していた時は、全然見付からなかったのに。

まさか毎日、決まった時間に、店の前を通っていたなんて。


まずは、声を掛けてみなさい。って毎日言って聞かせたけど。

その頃、手術の日程が決まったばかりで、不安だったのよね。

体調が優れなくて、店を開けれない日も増えていたし。

その上、道路拡張で店を移転しないといけないようにまでなっていて。

「心配しなくて大丈夫だよ。いつもこんな感じだから。」

そう言って微笑む彼は、また多くのことを諦めようとしているのが見えて、とても哀しかった。


そこでワタシは昼間、眠い目をこすって、散歩に出たの。

あの子は近くの古書店でいつも本を読んでた。

公園で絵本を読んでいた頃と、なんら変わらない可愛らしい表情で本を読んでいたわ。

でも、時々、何か思い悩んでいるようだった。


だから、少しだけね、をさせてもらって、悩みを聴かせてもらったの。

詳しくはわからないけど、店に客が来ないことが悩みの種だったみたい。

それなら、ワタシにだって解決できるじゃない。そう思ったから、急いで帰って、作戦を伝えたの。


あの子に、ワタシの指輪を渡したらどうか?ってね。

彼は、それは出来ない。って言ったけど。

困っている彼女を助けたいでしょう?

あなたも彼女の絵本をずっと借りているでしょう?

それに、怖がらなくても、あの子は、指輪を不安がらないし、乱用もしない。

そう言って、言い聞かせたの。


彼に持たせているワタシのペンダントと、長い間箱に眠ったままになっているワタシの指輪は、どちらも同じ力を持っている。

金古美きんふるびのペンダントと指輪。

ルビー、サファイア、エメラルド、シトリンが埋め込まれていて、その石の魔力をもつ猫がそこに眠っている。

ある言葉で呼び起こすと、真夜中の12時から4時までの間、持ち主の願いを叶えるよう動いてくれるの。


どんな願いでも叶えられるわけではない、けどね。

生命にかかわることや、誰かの心を変えることなんかは出来ない。

だけど、何かを変えたいと努力している人の、想いにそっと寄り添うくらいの力は持っている。

それを理解出来ない人間や、欲に溺れる人間たちが多くいて、その負の力の大きさに、かつては多くいたワタシのようなものや、そのものたちが持つペンダントや指輪は、壊れていった。


彼は、ギリギリまで悩んでいた。

だから、一枚の張り紙をして、あとは運命に任せてみたらどうかしら?って言ってみたの。

お店を片付ける前の最後の一日だったし。

あの子の気持ちは、あの子のものだから、ワタシたちが勝手に決められるものでもないしね。


そうして張り紙を貼ってみたら、あの子が読んでくれていたの。

彼は声を掛けて、一緒にコーヒーを飲めて、話ができただけで幸せそうだった。

そして、あの子に、ワタシの指輪もちゃんと渡せたみたい。

あれが、四度目の心からの笑顔を見れた日。



それからすぐ、この家に引っ越してきた。

彼は明後日から、手術のために入院する。

でも今、とても晴れやかな顔をしているわ。


数年前に倒れた時、手術をした方がいいと言われた。

余命が数年でも、それが自分に授けられた命の時間だから。と、彼は頑なに手術を拒んだ。

去年の秋、手術が出来るのは、今度の春で最後かもしれないと言われた。

そして、すごく難しい手術になるとも。

ワタシは、ただただ生きてほしい。そう願った。


手術を決心してくれて、すごくホッとした。

「ねぇ、ソフィ。もし、手術が成功して、無事に退院できたら、あの子に絵本を返しに行くね。」

そう言って、五度目のあの笑顔を見せてくれたわ。



入院の日。晴天の空。

「ソフィ。行ってきます。」

いってらっしゃい。気を付けていくのよ。そして、元気に帰ってくるのよ。

「うん。ソフィ、いつもありがとうね。」

こちらこそ、いつもありがとう。


笑顔で手を振るあなたを見送れてよかった。

六度目のあの笑顔を、ワタシはもう見れないけど。

傍にいてあげることさえできなくなるのが不安だった。

でも、もう大丈夫ね。


ねぇ、あなたと彼女の未来が、幸せになることをワタシは信じてる。

何百年も生きてきたものの勘だから、間違いないわ。


あなたがここに帰ってくる頃、新しいソフィがいるわ。

その子のことも可愛がってあげてね。




窓際にあるワタシ専用のソファ。

桜はもう満開。とっても綺麗ね。

ぽかぽかして気持ちいい。おやすみなさい。






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骨董屋 山猫堂 枡本 実樹 @masumoto_miki

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