真夜中の鳥籠に閉じ込めて

志波 煌汰

私を離さないで

 真夜中というものは、少女が秘め事を囁き合うために存在する時間である。

 それは幾千もの夜を越えてきた吸血鬼にしても変わらない、絶対の真実だった。

「愛していますわ、お姉さま……」

 月明かりだけが二人を包むベッドの上。腕の中の少女の睦言に対し、絹のようなその翠の黒髪を優しく撫でながら、吸血鬼も愛の言葉を返す。

「私も愛しているよ」

 幾度となく口にしてきた言葉を、しかし変わらぬ熱情と共に吸血鬼は囁く。その甘い囁きに、黒髪の少女は体を震わせた。

 ああ、自分は間違いなく愛されている──その確信は、陶酔となって少女の体を突き抜ける。 

 そしてその陶酔が、少女に決意をさせた。

 かねてより胸に抱いていた一つの想いを、彼女は愛する吸血鬼に静かに告げる。

「お姉さま、私の血を吸ってください」

 私をあなたの眷属にしてください──。

 身も心も自分に捧げるという宣言。それを受けて銀髪の吸血鬼は、少しだけ目を見開いた後、そのサファイアのような瞳を寂しげに細めた。

「ごめんね。それは、やめておいた方がいいと思う」

 断りの言葉に少女は酷く傷ついた顔を見せた。

「何故ですかお姉さま。私、本当に貴女のことを愛しているのです。貴女とずっと一緒に居たい。こんな夜を、何度でも重ねていきたい。お姉さまも、私を愛してくれているのでしょう? でしたら──」

「愛しているから、だよ」

 囀る唇を柔らかな指先で押しとどめて、吸血鬼は慈愛と悲しみを湛えた眼差しを返す。

「愛しているから、君を縛りたくはないんだ。君には太陽の下で笑っていて欲しい」

「太陽なんて、お姉さまに比べたらくすんで見えますわ。そんなものより貴女と過ごす夜の方がよっぽど大切です。お姉さまはそうではないのですか?」

「大切だよ。大切だからこそ、ありふれた永遠にしたくないのさ」

 月影が吸血鬼を照らし、艶やかな銀髪が柔らかにそれを反射する。月の光が銀色だと言った誰かはこの光景を見ていたのだろうか、と少女は頭の片隅で思った。

 どこか遠くを見ながら、吸血鬼は少女に語る。

「遠い昔、一人の子を眷属にしたことがあった」

 自分の知らない過去の話に、少女の肩がぴくりと震える。

 それに気付いているのかいないのか、深窓の佳人は言葉を続けた。

「可愛らしい娘でね、お互いに深く愛し合っていたとも。だけども、その娘は明けない夜にやがて病んでしまった。最後は自ら陽光のもとへ飛び出して、灰になってしまったよ。笑いながら消えていく彼女を、私は暗がりから見ていることしか出来なかった」

 根っからの吸血鬼である私と人間である君たちとではやはり違うらしい、と夜の生き物は寂しげに告げる。

「それ以来、どんなに愛し合っていても吸血鬼にはしないことに決めているんだ。何度か頼まれたこともあったけど、全て断った。それで正解だったと思うよ」

 共に生きる時間が永遠でなくとも、愛が変わることはない──吸血鬼は告げる。

 永劫とも思える夜を過ごしてきた少女の結論だった。

 陽光の下を歩く君たちの姿もまた愛おしいのだと。

 愛しているがゆえに君たちから自由を取り上げることは出来ないのだと。

 それは切実な祈りだった。

「……分かりましたわ、お姉さま」

 少女の少し悲しげな返答に、吸血鬼は恋人の体を抱きしめようとする。

 しかしその腕は少女が立ち上がったことで空を切る。

「よく分かりましたわお姉さま。お姉さまは私のことを想っていてくださるのですね」

 言いながら、少女は自らの鞄を漁る。

 やはり怒らせてしまっただろうか。今夜はこのまま帰ってしまうかもしれない。不安に駆られながらも、吸血鬼は返答する。

「ああ、本当に君を愛している。だから──」

「ですけど」

 言葉を遮り、幼い少女は何かを取り出す。

「愛しているなら──どうかこの真夜中の鳥籠に、私を閉じ込めてくださいませ」

 銀光を照り返すそれは、一振りのナイフだった。

 そして少女はそれを自らの柔肌へと差し入れる。

 何を、と止める間もなく鮮血が飛び散った。

 ごぼり、と小さな唇から夥しい血が溢れる。

「な──」

「お、ねえ、さま」

 血を滴らせながら、愛しの美姫の元へと少女は歩み寄る。紅が純白のシーツを染め上げていく。

「どうか、どうか血を吸ってくださいな。このままでは、私、死んでしまいますよ?」

 蠱惑的な、笑みだった。

 真祖たる吸血鬼をも震撼させるほどの、凄絶な恋情があった。

「私を愛しているというなら──貴女の手でこのまま囚えて欲しいですわ。風切羽を切って、足の健を切って。血の鎖で明けない夜の鳥籠に、どうかどうか、閉じ込めてくださいな」

 永遠に、永遠に──。

 告げて、少女は恋人にその身を委ねる。

 どくどくと命の温度が液体になって抜け出ていき、その躰がどんどん冷えていくのが感じ取れた。

「で、出来ないよ、そんなこと。君が好きだ。君を愛している。愛しすぎて──閉じ込めておくなんて、出来ない」

「それならそれで、構いませんわ」

 少女の瞳が吸血鬼へと向けられる。その視線は既にどこか遠くを透かし見ているようだった。

「でしたら私はこのまま、貴女の心に閉じ込めてもらいます。嫌だと言っても聞きませんわ。貴女との永遠以外、何も欲しくはありません」

 陽の下での『普通の幸せ』なんて、ちっとも唆られない。

 少女には今この瞬間の永遠こそが、ただ一つの真実だった。

「あ、あ、あ、だめだ、だめだ、行かないで、私を置いていかないで」

 朧気になっていく感覚の中で、愛しい夜が自分の身を強く抱き寄せたことだけがはっきりと感じられた。

 血の通わない、冷たい指先。人外の温度だよと自嘲してみせたそれと自分の体温が近づいていくのが、ただただ嬉しかった。

 ──どうか、私を離さないで。

 その言葉と共に、少女の夜は永遠になった。

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