エピローグ

エピローグ

 日差しは春の暖かさを感じさせてくれるけど、風はまだ冬の香りを含んでいた。

 バスターミナルから少し歩いて、僕は立ち止った。レンガ色の駅舎を見上げる。空の青とレンガ色の駅舎のコントラストが綺麗だったけど、人工物はやっぱり自然の色と調和しないなと思った。

 札幌の大学に受かったため、僕は今日この街を離れる。これから特急スーパーおおぞらに乗って札幌に向かう。

 ちょうど二日前、紀夫が送別会を開いてくれた。紀夫も伊藤さんも市内の看護学校に合格したから、当分この街にい続ける。この街から離れるのは、知っている範囲では僕と岡野と和田さんくらいだった。岡野は仙台の福祉大学に合格して、昨日仙台に向かうため一足先にこの街を離れた。和田さんは僕と同じく、札幌の大学に合格し春から札幌で大学生活を始めると息巻いていたことが印象的だった。

 仲がよい友達みんなに挨拶をすることができた。みんな札幌に行く僕に対し、この街に戻ってこいよ、と言った。そう言ってくれるのは嬉しかったけど、その想いに対して応えれる自信はなかった。

 みんなに挨拶はできたけど、僕はまだ雅世の仏壇の前で手を合わせる機会を得ることはできなかった。彼女に言いたかった言葉は、今も胸の中でくすぶったままだ。

 悶々とした気持ちを抱えたまま、僕はこの街を後にする。

 駅の入り口を通り、改札に向かう。売店の前を通り過ぎた時だった。

 改札の前で並んで立つ、紀夫と伊藤さんの姿が目に入った。僕を見つけた紀夫が手を上げた。

「おう」

 全く想定していなかったことに直面し、僕は目を見開いた。

「二人とも、どうしたの?」

「何、ぼけてんだよ。お前の見送りに来たに決まってんだろ、なあ紗希ちゃん」

「そうだよ、三代君。それ以外に駅に来る理由なんてないよ」

「二人ともありがとう」

 二人の思いやりに触れ、目頭が熱くなる。自然と瞬きの回数が増えた。

「何時の汽車なんだ」

「一○時三五分発の汽車だよ」

「そっか。それなら、少し時間あるな」

 彼はほほ笑む。

 それから僕らは通行人の邪魔にならないよう、壁際で五分くらい話した。次帰ってくるのはいつになるのかとか、帰省する際は必ず連絡すれよとか、そんなことを主に話した。

 僕は腕時計に視線を落とす。

 汽車が発車する一○分を切っていた。

「そろそろホームに行かないと。今日はわざわざ見送りに来てくれてありがとう。街

を出る前に二人の顔を見れて嬉しかった」

「だろ」

「じゃあ、二人とも元気で」

 僕は手を振ろうとしたけど、二人は僕を真っ直ぐ見たままだった。

「三代」

「どうした?」

「結局、小山さんに線香をあげれたのか?」

 僕は首を横に振った。

「そっか」

 紀夫が何かを言おうとしたけど、その言葉を飲み込んだのは僕にも分かった。

 雅世が亡くなった日の病院での出来事を紀夫にも話した。病院に駆け付けた伊藤さんからも、その時の出来事を聞いていたはずだけど、僕は自分の口から伝えた。だから、紀夫も僕が雅世の父親に一方的に恨まれていて、そして線香の一本さえあげることさえ許されていないことも知っている。

 紀夫は伊藤さんの腕を肘でつんつんと突いた。彼女は手から下げていたトートバッ

クを僕に差し出して言う。

「汽車の中で見てね」

「これは?」

「俺らからのプレゼントだ。今、開けんじゃねーぞ。もう行ったほうがいいぞ。じゃあな」

 なんだかぎこちなく二人は手を振った。

 僕も手を振り、首を傾げながら改札を通った。そして、改札を通り抜け、ホームで振り返り二人に向かったもう一度手を振った。


 汽車が出発して、海沿いを走っている時だった。

 僕はもういいかなと思って、トートバックを開けた。中には大きな本のような物が見えて、取り出した。

 息が止まる。それは雅のスケッチブックだった。

 前々から一度見てみたいと思っていたスケッチブックが、まさか僕の手に触れることになるなんて、全く想像していなかった。

 ――雅世、そして雅、見せてもらうよ。

 僕は二人に心の中で許可を得るように言ってから、スケッチブックの表紙をめくっ

た。

 一枚の紙が挟まっていた。

 ――三代君へ。雅ちゃんのお母さんから預かりました。伊藤紗希。

 そう書いてあった。

 きっと伊藤さんが雅世の家に訪問した際、預けてくれたんだろう。彼女の母親の配慮が嬉しくて、僕はほほ笑んだ。そして、一枚めくる。

 彼女の部屋から見える景色が書かれていた。最初のページからスケッチブックの三分の一くらいは、部屋の窓から見える景色だった。鉛筆だけで描かれた景色だから、なんだか全て同じ景色に見えたけど、雲の形違ったので、それぞれ違う日に描いたことが想像できた。

 汽車に揺られながら、ページをめくる。

 僕の姿だった。それは、初めて雅の絵のモデルになった時の絵だった。

 ――この時は、とても恥ずかしかったな。

 絵を見つめるだけで、あの日の出来事が映像になって頭の中で再生されるようだった。まるで氷柱のような冷たく尖った雅の声が頭の中で蘇る。

 高校生の時はスマホを持っていなかったし、雅世と一緒に写真を撮ることなんてしなかったから、僕の手元には彼女との思い出が形として残っている物は何一つ無かった。だから、雅世と雅と過ごした時間が確かに存在したんだと嚙みしめることができて、なんだか救われるような気がした。

 それから雅と過ごした日々を再現するように、何枚か僕の絵が続いた。

 そろそろ、雅を外に連れ出した時の絵があるかな? と思ってめくる。ビンゴだった。彼女を海が見える丘に連れて行った時の景色がスケッチブックに広がっていた。

 羽のように両手を広げて、夕陽が沈む水平線に立つ雅を思い出す。

 それは、純粋に美しい景色だった。美しいという言葉以外に当てはまる表現を見つけることが困難なほど、美しい絵だった。

 スケッチブックを閉じて、トートバックに仕舞おうとした時だった。その一枚で最後かと思ったけど、スケッチブックにはもう一枚紙が残っていることに気づく。

 僕は最後の一枚を静かに、めくる。

 モノクロじゃない一枚に広がる色が目に飛び込んできて、そして口を押さえた。涙が溢れて、嗚咽が漏れる。周りに怪しまれそうで、手で強く口元を覆う。

 ――雅世、雅、僕の人生に色をくれてありがとう。

 ずっと伝えたかった。

 二人と過ごした日々を忘れない。僕はこれからも二人との思い出を胸に生きていく。そうすることで、僕の中でずっと二人は生きてゆけると思った。この想いは、僕と二人の間に芽生えた愛と言えるのかもしれない。

 涙で滲んでぼやけて見える。僕は涙を拭い、絵を見る。スケッチブックの中で唯一色が塗られたページだった。

 そこには、ぬさまい公園で手をつなぎながら夕陽を眺める雅世と僕がいた。

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二番目の恋 北原楓 @tomfebruary

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