真夜中のドールハウス

スロ男(SSSS.SLOTMAN)

A doll house at midnight.


 早く真夜中にならないかと、あたしは暗闇の中でそわそわする。真夜中になれば自由に動ける。動ける範囲は限られているけれど。


 そのわずかな時間を使って、あたしは取り戻さなくてはならない。


 自分あたしという存在を。


 頭上に光の線が走る。

 光の幅が拡がっていき、そこに大きな目玉が現れる。ぎょろり、とこちらを見て、目玉の形が変わる。微笑んでいるのだ。


 すっかり天井は取り払われ、目玉の持ち主である「あたし」の顔が露わになる。前髪を鬱陶うっとうしそうに振り払うと、途端に「家」が揺れて彼女がいつも通りのセッティングを始めたのだとわかる。


 あたしは、体の硬直が解け、自由を取り戻していたが、動けずに回転する家の中で立ち尽くす。


 揺れが収まると今度は頭をつかまれ、くるりと向きを変えさせられた。


 そこには馴染みのある部屋の光景。


 アイドルのポスターが貼られたり、ぬいぐるみがあったりと、少し子供っぽいけれど、居心地のい、あたしがずっと住んでいた部屋——


「あたし」は腕を組んでこちらをにらみつけてから満足したようにうなずき、ビーズクッションに腰かける。ローテーブルに載ったタンブラーを手にし、ぐいっと一口。


 視線があるので、あたしは動けずにいる。


 お腹も減らないし、トイレに行きたくもならない。体のりなどといったものも感じないが、すぐにでもうーんと伸びをしたかった。


(早く酔い潰れろ……)


 あたしは「あたし」を見ながら、そう考えていた。


       ☆


 どうしてこんなことになってしまったのか、まるでわからない。けれどきっかけはといえば、間違いなく「家」——ドールハウスを見つけたことだ。


 仕事をやめて実家に戻り、子供部屋おばさんと化したあたしは部屋の模様替えをすることにした。


 が、真っ先に押入れから始めたのは大間違いだった。懐かしの漫画本や雑誌が出てきては読みふけり、玩具おもちゃが出てきては遊んでみたりと、全然進まない。


 こりゃあ断捨離だんしゃりせんとあかんな、と何故か関西弁で自分に言い聞かせ、いちいち確認せずにどんどん外に出したその最奥さいおうに。


 子供の頃に大好きでずっと遊んでいた人形の家ドールハウスが出てきたのだった。


 確か叔父が海外の土産か何かで寄越したもので、蓋を閉じると大きめのランチボックスのようになって持ち運べて、そこも好きだった。


 人形は子供の玩具にしてはリアルというか、いかにも海外の人形といった感じで、あまり可愛くはなかったが、当時の誰かの「大人って感じ」の言葉でお気に入りに昇格し、どんどん愛着を深めていった。


 が、壁の側面に当たる蓋はなくなっていて、天井に当たる板は外れかかっていた。


 それ以外は特にいたんでいるところもなく、懐かしくなってあたしは「家」を棚の上に置き、人形を中に納めた。


 その日は梅酒がはかどった——


 一週間ほどであらかた断捨離は済んで、けれど「家」を捨てるのは躊躇ためらわれた。


 きっと模様替えをするとこれは浮いてしまうだろうな、と思った。子供部屋の面影のあるいまでこそ、かろうじてなんらかの調和を保っていたけれど。


 それに真夜中、独り酒を飲む時に眺めるのに丁度いい——


 なんて、押入れを片付けるだけで疲れ切って、模様替えをしない言い訳にしようとしていた面もあったろう。


 しかし、ひとりで飲む酒は寂しく、実家の周りは田んぼだらけで飲むところもない。車を出してひとり酒、代行だいこうで帰るアラサー女とかさすがにありえない。


(……仕事も探さないとな……)


 その日は悪酔いした。



 目が覚めると暗闇の中だった。一瞬パニックになりかけ、体がまったく動かないことに半狂乱に——ならなかった。


 いまから思えば、この体は人形のもので、心臓が激しく鼓動するわけでもなければ、宿酔ふつかよいだってしないのだから当たり前だ。


 心の動揺が体に表れ、体の異常が心に揺さぶりをかける。そうして揺れはどんどん激しさを増し、恐怖は高まっていく。


 だから。


 その時のあたしが感じていたのは恐怖ではなく、不可解な現象への疑問と理不尽さへの怒り、だった。


 光が差し込んできて意識を取り戻した。寝ていた、というのとはちょっと違うと思う。ぐるぐると渦巻く思考にショートを起こし、ブレーカーが落ちた、ようなものか。


 そして、あたしは見た。


 あたしそっくりな「あたし」が、あたしと「家」を眺めながら、満足げな表情でタンブラーをあおる姿を。


       ☆


 自分が人形の中に囚われてから、何日経ったろうか。最初の一週間、いやおそらく一ヶ月ぐらいまでは日数を数えていたと思う。

 そのほとんどの日数を、「あたし」はあたしを酒の友として過ごしていた。


 が、ある日のことだ。


 ドアの乱暴に押し開けられる音がした時は、あたしは暗闇の中、動かない体に閉じ込められたまま、音だけ聞かされた。


 にちゃにちゃ、という音、ばりぼり、ガリッ、ゴリッという音が間に挟まり、ふーっというため息、またぴちゃぴちゃと続いて、それから呪詛のような言葉。


 足りない足りない足りない足りない——


 自分の声とは思えない怨嗟えんさの声を、けれどあたしは自分の声だと認識していた。

 いや、あたしの体に巣食う、何者かの声だと。


 その日は、結局あたしは暗闇の中に閉じ込められたままで、まるで脳障害で倒れた人のような大きないびきを聞かされて、一晩を過ごした。



 ある時は、天井が開けられた時に、ぎょろりと血走った目が中を睥睨へいげいし、それから妙に明るい声で「あたし」が歌うように言って、あたしの時間が始まった。


「こーんばーんはー、今日は動かないのかな?」 


 家の中をのぞき込む「あたし」の唇は、赤々としてぬめり、口の中をもごもごさせていたかと思うと、ぺっと何かを吐き出して、しばし家の中を覗きつづけ、くくくと喉で笑うとベッドへ行って眠ってしまった。


 あたしは、動けるようになった体を動かすこともできず、寝息が聞こえてから「家」の中に放り込まれた、彼女の食べがらを見た。


 最初は蛇かと思った。


 細長くて、ビチビチと動いていた何か——


 ああ、これはネズミの尻尾に違いない。


 理解したあたしは、それを拾いあげ、「家」の外へ投げ出した。



「家」を抜け出し、散策したときのことは、今でも忘れがたい。


 酔い潰れた「あたし」を横目に、あたしは「家」の壁をよじ登り、隣の学習机へ飛び降り、引き出しの取っ手を足場にして床へと降りた。


 もし足を滑らせ落下していたら、どうなったのか。玩具が落とされたように、特に何事もなく済んだろうか。それとも頭や手がもぎれて、特に痛みもなく済んだか、もしくはそこから赤い血がどくどくと流れたりするのか?


 幸い部屋のドアは空いていて、そこから抜け出すと、まるでアスレチックかボルダリングかといった感じで階段をひとつひとつ降り、階下へと向かった。


「心配なのよ」という母の声。

「こないだなんか、冷蔵庫の豚肉どころか、近所の人からもらった鹿の肉だかなんだかまで無くなってて……」

「いいじゃないか、べつに」

 父の訥々とした声。「べつにナマで食べてたとかじゃないんだろ?」


 しばし間があって、

「黙って食べられたとかそういう話じゃないのよ……なのに、なに、そんなナマで食べたとかどうとか? ナマどころか、凍ったケモノの肉を、あの子は食べてたのよ……」


 泣き声。


 あたしは、何も言わず、またボルダリングをして自分の「家」へ戻り、しくしくと泣いた(気持の上では……人形は泣いたりしない)。


       ☆


 目眩めまいがした、のかと思った。違った。地震だった。激しく「家」は揺れ、倒れた。壁に床に頭や手を打ちつけながら落下し、結果的にあたしは「あたし」の手助けなしに自由を手に入れていた。


 痛みは全然ないのだが、体が動かない。いずるようにして「家」を出て、しかしここから出たとしてどうなるのか。


 部屋のドアすら、あたしは開けられないというのに!


 と、折りよくドアが空いた。


 スマホのライトで部屋を照らしながら入ってきたのは、「あたし」だった。


 足りない足りないと呟きながら部屋へ入り、ライトで足元を照らしてあたしをみつけた。


「あった……!」


 うれしそうに「あたし」は言い、あたしはつかまれた。持ち上げられた。その先には、「あたし」の口があった。


 洞窟のような「あたし」の口の中にあたしの頭が突っ込まれ、そうして——


 頭と胴体が千切れるブチっという音、頭にググッと圧力がかかり、ぱちんだかゴリッだかいう弾ける音が——



——音がして、あたしはうえっと吐き気をもよおした。


 その昔、学生時代にだまされてスズメを食わされたときのことを思い出した。


 あたしは口の中のものを吐き出した。


 チカッチカッと明滅して、部屋の明かりが点いた。


 部屋は散乱していた。


 口の中がいごったい・・・・・


 ドールハウスが棚から落ちて、壊れていた。


 その近くに赤い絵の具をこぼしたような跡があり、首のない人形があった。


 ハッとして先ほど吐き出した辺りを見ると、人形の腕と砕けた頭部の破片があった。


      ☆


 夜も遅く、ほとんど真夜中に大きな地震のあった日のことははっきりと覚えているけれど、それ以前の記憶がぼんやりとして思い出せなかった。


 何か恐ろしいことがあった気がするけれど、思い出せないし、思い出したくない。


 いつのまにか片付いていた部屋の、断捨離を終え、あたしは落ち着いた感じに部屋を模様替えした。


 なんだか両親が妙にあたしに気を使いあれこれと優しくしてくれるので、あたしはかえって気味がわるかった。


「お仕事探し、あわてなくてもいいからね」とか「悩み事があるなら相談に乗るぞ」とか。良くも悪くも放任主義だったふたりの親身な様子に、もしかして宇宙人にでも乗っ取られたのかしら、とか。


 真夜中に梅酒を飲みながら、なんとなく理由のない寂しさに襲われて、あたしは叫び出したくなった。


 その時。


 地震があった。


 家鳴りがするほど激しく、酷い揺れ——


 あたしは床に突っ伏し、信仰したこともない神様の名前を連呼して、息が尽きるタイミングで揺れは収まった。


 恐る恐る顔を上げると、


 屋根はなく、


 そこから大きな目玉がふたつ、あたしをぎょろりと見つめていた。

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