トロッコの前にて踊れ
ナナシマイ
1
陽がもっとも遠くなる時。
夢とか精霊とか、はたまた悪意だとか。そういうモノたちの時間。
街の人たちはそれを「
だけどわたしにとっては違う。
踊り子であるわたしにとって、石在刻はただただ生きるために足掻く時間だ。
*
中折れ帽を被った壮年の男が声高に呼びかけると、辺りで彼のようすを窺っていた者たちがわらわらと集まってくる。
誰もが仕立てのよい服や高価な装飾品や余分な脂肪を身につけており、晩秋の冷たい風を防いでいる。
中折れ帽の男は人好きのする笑みを浮かべていたが、彼らの裕福そうな(そして実際に裕福であることも知っていた)姿を見て、内心ではこのあと懐に入ってくる大金のことを考えほくそ笑んだ。
世界随一と名高い鉱山のふもとにあるこの街では、金と意思さえあれば手に入らない宝石はない。
富の象徴。夢の権化。神の祝福。
爪の先ほどの粒でも他国で売れば豪邸を建てられるような金額になるが、ここでは娯楽の一端を担うにすぎなかった。
尽きることなく掘り出される宝石。
鉱山から街へトロッコによって運び込まれ、そして、街に住む人びとの夜を満たす。
陽がもっとも遠くなる夜。月もない夜。世界を照らすのは石だけだ。
中折れ帽の男の合図でひとりの少女が姿を現す。
頭には視界を奪うための黒布が巻きつけられ、自身の目の代わりである黒子に手を引かれていた。
石が照らすだけの夜闇にもはっきりとわかる細い体躯。素肌の上から淡く光る薄布だけをまとい、それでも寒さに震えることなく持ち上げられたのは透き通るほどに白い顎。
一歩、また一歩と、鉱山から敷かれたレールの終端へ近づく。
誰かの息を呑む音と、微かに振動する大地。歩みとともにふわりと布が揺れて。
石在刻が、始まる。
*
カチ、と鍵のかかる音がして、わたしの夜が始まったことを知った。
山から石が届くまで、踊りを踊る。それが仕事。
まとっている薄布は遠く離れた聖地で作られたものだという。わたしの動きに合わせてふわりと舞う。
これを光らせることができる者だけが、踊り子になれるらしい。
神だとか精霊だとか、わたしにはどうでもいいのに。寒さも防いでくれやしない、ただレールに繋がれているだけの薄っぺらい布のくせに。
この薄布はわたしの矜持と命を天秤にかける。
山から石が届くまで。
下りてくるトロッコから逃れるためには、まとった薄布を剥がすしかない。
間に合わなければ、石とともになるだけだ。
*
踊り子の少女がゆっくりとアラベスクの型をとる。
先端にまで意識を行き届かせて、ピンと伸ばされる細い四肢。
誰もが食い入るように見つめるなか、彼女は動き出した。レールに繋がれた小さな
シャッセ、シャッセ……タンデュ、ピケ――シャッセ、フェッテ――。
緊張と弛緩が繰り返される。
そのあいだに、彼女がまとう薄布は少しずつはだけていく。
不思議な少女だ、と中折れ帽の男は思う。
親のない踊り子たちは、他の踊り子を見ることで踊りを覚える。しかしこの少女は違った。初めから踊れたのだ、誰も知らない踊りを。
しかし、彼にとってはどちらでもよいことだった。
鉱山から採れた石に踊りを捧げることで石は宝石となる。特に、踊り子の血を吸った宝石は最高級品だ。
だからどちらでもよい。
踊り子が長く娯楽を提供しようとも、トロッコに轢かれて宝石に命を散らそうとも。
どちらにしても懐は暖まるのだ。
*
――そう、そこでアントルシャ!
あぁ、今夜も石の声が聞こえる。誰も知らない踊りを教えてくれる声が。
わたしはそれにしたがって空中で足を交差させた。肩に引っ掛かっていた薄布がするりと落ちる。多分もう、隠せている部分はほとんど残っていない。
別になんだっていい。恥じらいなんてとうの昔に感じなくなった。それでも焦らすように薄布を取り払ってゆけば、そのぶんお金をもらえるから。そうしたら、しばらくは食べてゆけるから。
石が届くぎりぎりまで、わたしは踊り続ける。
*
最後の曲線を越えたトロッコが、真っ直ぐこちらに下りてくる。
視界を塞がれていても、踊り子の少女はトロッコの位置を感じているのだろう。見物客を煽るように薄布をひらつかせた。
その煌めきは少女が跳躍するたび、回転するたび奥に隠した局部へと視線を
――ジュテ・アントルラセ。
中折れ帽の男も今となっては、少女の動きを見るだけで、彼女が踊りの練習をするときに呟く妙な響きの言葉も思い浮かべることができた。
迫りくるトロッコに背を向けて宙を舞う。
薄布が弛みをなくし身体の軸が崩れると思われた瞬間、少女は踏み込んだ足を振り上げ、くるりと身を翻した。同時に彼女をステージに縛り付けていた布がすべて取り払われる。
一糸まとわぬ姿で、踊り子の少女は初めと同じ、アラベスクの型をとった。
ゴッと鈍く重い音がして、ほんの寸刻前まで彼女がいた場所にトロッコが停車する。
湧き上がる歓声。
情欲をかき乱すようななめらかな肢体の奥で、石は青白く光る宝石となった。
*
その声を知っている。
遠い記憶。
わたしはずっと、月を乞うていた。
踊れ、踊れ。月にワルツを。
踊れ、踊れ。今宵もステップ踏んで。アン、ドゥ、トロワ――――
トロッコの前にて踊れ ナナシマイ @nanashimai
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