何も起きない

鯵坂もっちょ

第1話

「外で蕎麦食べれないんだよね」

「外で蕎麦食べる機会なんてそんなないでしょ」

「うちが蕎麦屋だから。だったらうちで食べればいいなって思っちゃう」

「知ってるよ。聞けよ」

 最悪最悪最悪。本当に最悪。なんでもっと早い電車にしなかったんだろ。教室でだらだらと暇をつぶしてないでさっさと帰ればよかった。

 いつもこの線になんて乗らないはずの二人なのに、今日はどこかでデートでもしてたんだろう。

 夕方の下り列車は何故か今日に限って妙に空いていて、ゆりあちゃんと青木くんも心なしかゆったりとした座り方をしている。でも私の心はガサついていた。

 ふわふわのクリオネを握りしめる。ここ10分ほど、ずっとそうしていた。

「でも和真こないだ蕎麦食べてたじゃん。昼に。コンビニの」

「なんかさ、あれって蕎麦じゃなくない?」

「どういうこと?」

 わかるよ。私にはわかるよ。あれはお店のちゃんとしたお蕎麦とは違うジャンルだよね。あれはあれで美味しいもんね。

「なんていうかさ、あれって店で食べる蕎麦とは別物じゃん。だから俺の中の蕎麦判定に入らないっていうか」

 ほらね。ゆりあちゃんにはわからないんでしょ。

「おいしくないってこと?」

「「違うよ」」

 二人分の音声が重なる。しまった。声に出てた。

「えっ」

 ゆりあちゃんがすごい形相でこっちを見ている。顔の印象全部が目、ってくらいの大きな目。その目が怖くて顔を見ていられない。

「え……いや、わかんないけど、別においしくないってわけじゃなくて、コンビニのお蕎麦はあれはあれでおいしいよねっていうか、別ジャンルっていうか……」

「そうそう! そうんなんだよ! まさにそれが俺が言いたかったこと。よくわかってんねえ、久能さん」

 私はうれしくて思わずきもい笑みを浮かべてしまいそうになるが、青木くんのすぐ奥の大きな目が気になってハヘヘ……みたいな中途半端な顔になった。

「ぜんぜんわかんない」

 案の定、青木くんの奥からは地の底みたいな声が返ってきた。


 20分ほど前のことだ。

「あれ! 久能さんじゃん。こっち来て座んなよ」

 そこにはゆりあちゃんと仲良くシートに腰掛ける青木くんの姿があった。

 最悪。青木くんに会えたのは嬉しいけど、よりにもよって二人一緒のときなんて。

 よりにもよって、同じ男子を好きになるなんて。

 よりにもよって、そっちと付き合うなんて。

 こっち来て座んなよ、と声をかけられただけでそこまで思いつめてしまって、反応ができなかった。

 まずいこのままでは無視になっちゃう、と思ってなんとか言葉を絞り出した。

「え、い、いいよ私は……、二人の邪魔しちゃ悪いし」

「何言ってんの、久能さんもいたほうが楽しいでしょ」

 それはもちろん、私にとってはそうだけど、でも。

 うっかりその優しい言葉に甘えてしまって、そこから3駅ぶん、私の地獄は続いている。


「きょうは何してたの? 部活で」

 ゆりあちゃんが強制的に話題を変えていた。青木くんは文芸部だ。

「あ〜それなんだけどさ、ちょっと聞いてほしいんだよね」

「何?」

「何も起きない話、って何だろう」

「何? どういうこと?」

「今度出す部誌でさ、なんか一つのお題でみんなが書いてきたら面白いんじゃないか、って話が出て。ミステリ縛りでどうだとか登場人物を決めといてはどうかとかいろいろ話が出てたんだけどさ」

「うん」

「で決まったお題が『何も起きない話』なんだよね。難しくない?」

「確かにいつも和真の書いてるの大スペクタクルみたいな感じだもんね」

 そうなんだ。知らなかった。やっぱりゆりあちゃんと私とでは一緒に過ごした時間が違う。私のほうが青木くんのこと理解した気分になっていたけど、うぬぼれだった。

 ぎゅ。ガチャガチャで取ったクリオネに指が食い込む。

「別に起こしちゃえばいいんじゃない? で実は作中作のできごとでしたぁ〜。とか。現実世界では何も起こってない」

「う〜ん……」

「それとか、じゃあ例えば政治家の話で、省内で不祥事が起きまくるんだけど体裁が悪いからみんなでもみ消して、『何もなかったことにする』話とか。端から見たら何も起きてないよ」

「う〜ん、でも『何も起きない』というお題である以上、本当に何も起きない話にしたいんだよね」

「よくある会話だけして進む日常漫画とかそんな感じ?」

「そうそうそんな感じ!」

 青木くんが私以外の人と共感しているというだけで、胸が痛む。自分でもどうかしていると思う。

「でもそれだと普段の和真の作風からは程遠すぎて難しいよね」

「まさにそうなんだよね〜」

 作中作。作風。そんな言葉、私だったら出てこない。ゆりあちゃんのほうが、文芸部としての青木くんに理解があることを見せつけられている気がした。

 私は黙って二人の会話を邪魔せずにいることしかできない。

「描写されてる範囲でだけ、ことが起こらなければいいんじゃない?」

「どういうこと?」

「大事件の後処理を描くとか。逆にこの先の未来になにか大事件が起こることを予感させるとか。作中に限れば何も起こらない」

「あ〜それいいかも。俺に向いてる」

 ゆりあちゃんは勉強はそんなにできない(私と同じだ)けど、本はよく読んでるから、こういうこと考えるのは得意なのかもしれない。私とは、根本的に頭の作りが違う。

 やっぱり、青木くんにはゆりあちゃんのほうがお似合いなんだ。

 どうしたらゆりあちゃんから青木くんを奪えるのかな、なんて考えてたこともあったけど、このキレのいいやりとりを聞いてたらそんなことも思えなくなってきていた。

 なにより、こんなに信頼しあってる関係を壊すことは、私にはできないな、と思った。

 ゆりあちゃんが姿勢を整えだしたのでふと気がついた。ゆりあちゃんの降りる駅は次だ。私と青木くんは一駅隣どうしで、そこまで行くのにあと5〜6駅ほど。

 30分近く、青木くんと時を共有することになるのだ。

 いっそ、楽になってしまおうか。いつまでもこんなことで気を揉み続けたくない。当たって砕けてしまおうか。

 クリオネの感触が手に伝わってくる。ふわふわ。

 気とクリオネをもんでいたらいつのまにかゆりあちゃんがいなかった。今思えば「じゃあまた明日ね」くらいのことは言っていた気はするけど。

 車両には他にも何人も人がいたけど、私の中では世界に青木くんと二人だけで取り残されたような気分になった。

 青木くんが口を開く。

「久しぶりだね。こうやって二人で話すの」

 それは私が二人を避け続けてきたからだ。

 何でそんなこと言うのか、と思う。否が応にも、意識せざるを得なくなってしまう。

 好きです。好きでした。付き合ってください。ゆりあちゃんがいるのに? 私のほうが青木くんのことよくわかってるよ。それはないでしょ。あんな会話できるの? 好きだけど付き合わなくていいです。気持ちだけ伝えさせて。青木くんのこと困らせちゃだめ。

 頭がごちゃごちゃになる。

 やっぱり、今の関係性を壊すことはできない。

 あと5駅。

 何もしないでおこう、何も起こさないでおこう、と心に決めた。


<了>

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何も起きない 鯵坂もっちょ @motcho

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