第7話

           七



 目を覚ますと、朝日が窓から差し込むのが見えた。


 ジンは、体を起こして周囲を見回す。メリルピンがそばで毛布にくるまって寝ている。すやすやと寝息を立てていた彼女の寝顔は、穏やかだった。


 ジンは起き上がって、窓から村の光景を見渡す。


 昨日は疲れ果てて結局駐屯所で寝泊りすることになった。駐屯所に来た時も彼女はまだ泣きじゃくっていた。


 昨日のうちに応急処置ができる傷をジンは手当てした。幸い先の戦いで致命傷は負わなかった。ただ、持っていた包帯を使い切ってしまったので、わざわざ倉庫まで包帯を取りにいかなければならなかった。


 血で汚れてしまった黒衣は取り替えて、置いてあった緑色のローブを拝借した。


 まだ体中が痛んでいる。またメリルピンが昨日のような突進をしたら、立っていられなかった。


 窓には快晴の空が広がっていた。昨日の大雨が嘘のように、空気が穏やかで温かった。


 鮮やかな景色の真ん中には、バラバラになった肉塊が横たわっていた。


 後ろで声がしたので、振り向くとメリルピンが上体を起き上きて、目をこすっていた。おはよう、と彼女は間の抜けた声で挨拶をする。ジンも短く、おはようと返す。


 メリルピンがじっとこっちを見つめていた。ジンも彼女を見つめていると、


「昨日は、ごめん」


 昨日泣き叫んだことだろうか、とジンは思った。


「気にしなくていい」

 

 短く返事をすると、ジンは腕を組んで窓枠に体を預ける。しばらく黙り込んでいると、今度はジンが口を開いた。


「これから、どうするつもりなんだ」


 え、とメリルピンは口に出す。彼女は咄嗟に口を押さえて、顔を赤らめる。それから手を口から離して、


「ど、どうって、わからないわよ。行くあてもないし、騎士とか剣士とか、魔術師とかになるつもりもなかったから、その、えっと」


 メリルピンは言葉を詰まらせる。ジンはちょっとした溜息を吐いて、


「そんなもんじゃない。もっと簡単で、単純なものだ」


ジンは一拍おいて、


「お前がどこへ行きたいのか、それだけだ」


 メリルピンはうつむく。ジンはメリルピンに近づいて、屈む。


「俺ができる限りで、そこへ連れて行ってやる」

「本当に? どこへでも連れて行ってくれるの?」

「ああ」


 ジンは首を縦に振る。メリルピンはしばらく考えて、


「村の外に出られるなら、どこでもいい」


 メリルピンはジンの顔を覗き込んで、心配そうな表情をする。


「わかった、連れていくよ」


 それを聞くと、彼女は目を輝かせて大げさに喜んだ。


 強い子だ、とジンは思った。家族を失った彼女の心情を推し量ることはできなかった。気丈にふるまう姿は、ジンには眩しく見えた。ジンはいつもの落ち着いた口調で、


「それじゃ、行くか」


彼女は元気にうんと返事をした。


ジンは、快晴の空に祈りをささげた。


可憐な少女に、幸せあれと。







         *





 そこは、人間の退廃の象徴だった。


 レンガ造りの酒屋の中は、調理のために蒸し暑い空気がこもっている。


 夕方から夜にかけて、ヨーンに建てられた酒屋『ノースバレー』に汗臭い男の客が増えてくる。鍛冶職人、商隊の下っ端、駐屯している兵卒などである。


「よくあんなところから帰ってこられたな。さすがは、竜狩り君といったところか」


 そのあだ名はやめろ、とジンは言いたくなったが、堪えて先へと促す。


 ジンを困らせているのはあの使者だった。今回は大きな杯をよそって、ビールを鯨飲していた。


「いい加減飲むのを止めたらどうだ」


 ジンは呆れた口調で使者に言うが、使者は似つかわしくない陽気な顔で、


「今日はいいのだ。何といっても、竜狩り君がこのヨーンに帰ってきたのだからね。いやいや、君が戻ってこなければ、私の首がどうなることか想像に難くないだろう」


 使者は首をトントンとたたく。息を吐いて、ジンは呆れた態度をとる。


 二人が座っているカウンターの奥では、店主が調理や酒の準備をしていた。二人のやり取りを見ていた店主は、ちらりとジンを見る。まるで同情するよと言いたげな視線だった。


 ジンは使者に、約束の金は、と尋ねる。使者は思い出したように、懐から慌てて何かを取り出そうとする。杯をこぼしそうだったので、ジンは内心ひやひやしながら使者を見ていた。


 取り出したのは分厚い茶色の封筒だった。


 使者は杯を持って、


「報酬金の証書だ。そいつを持って金貸しに換金を申し出ればすぐに金貨が手に入る。もっとも、なくしてしまったら元も子もないがね」


 残ったビールを使者は飲み干した。杯をテーブルに叩き付ける。ジンは封筒を手にして見つめたまま動かなかった。


 使者は、その様子を見て、


「そのお金、何に使うんだい。もしかすると見かけに反して女遊びなんかしてるんじゃないかい」

「余計なお世話だ」


 ジンは使者に言い捨てる。店主はジンの機嫌が悪くなっていくのを心配そうに見つめた。ジンはまたため息をついて、


「旅だ。あいつと一緒に」


使者は目を丸くして、


「メリルピンちゃんか。彼女はいまどうしているのかい」


 全く余計なお世話だ、とジンは心の中で毒づきながら、


「俺の家で寝泊まりしてる。何もすることがないから、早く旅行に行きたいってしつこくせがんでくるよ」


 へえ、と間抜けな言葉を使者は返す。ジンは使者のいい加減さにいら立ってきた。さっさと追い払って、帰ろうとジンが決意した時、使者は珍しくジンの顔を覗き込んでいた。ジンが怪訝な顔をすると、使者は笑って、


「いやなに、この前とは違って生き生きとして見えるなと思ってな」

「だから余計なお世話だ」


 一音一音を強調して、ジンは言い放つ。使者は笑い声をあげて、


「いいじゃないか、この前は死にそうな男の顔をしていたんだぞ。それが今や、少しヒネてはいるけれど、ずいぶんと明るい表情をしている。こんなに喜ばしいことはない」


 ジンはふと、今までの自分を振り返った。今は、少し虚無が満たされている。


 肘をついて、ジンは微笑んで、


「まあ、あいつに出会えたことは幸運だと思っているよ」


 使者は顔を縦に振る。そうそれでいいんだと言わんばかりだった。


「せいぜい楽しんできたまえ」


 使者はジンの肩に手を置く。この時だけ、ジンはこの男が旧知の親友のように思われた。微笑んで、肩に置かれた手をそっと退かしながら、


「言われなくてもそうするさ」


 ジンは、テーブルに置かれた自分の杯を取って、中身を飲み干した。


 なぜか、酒の味が格別に美味く感じられた。







          *






 緩やかな丘を登っている時、突然冷たい風が吹く。メリルピンは大きなくしゃみをする。


 二人は背中や両手に荷物を抱えて、もうすぐロックバレー村を覆う柵の外に出ようとしていた。ジンは丘を登り切った時、振り返って村の全景を見渡した。


 青空に、白い線が引かれている。村を取り囲む木々はようやく季節に見合った紅葉を迎えていた。全壊した村の建物は、黒光りして変わらない素材の美しさを見せていた。


 美しい光景に水を差すような、巨大な肉塊は昨日見たのよりも数段小さくなっていた。


 腐敗が他の生き物よりも早く進行している。竜の死骸はすぐに消えてなくなってしまう。


 ジンが呆然と眺めていると、メリルピンは怪訝な顔で、


「大丈夫?」


 ジンは我に返る。メリルピンが顔を覗き込む。


「心配ない」


 ジンは彼女に告げる。彼女は顔を綻ばせる。


 また振り返ってジンは全景を見下ろす。誰も生きていない、空白の村。竜がもたらした、惨禍の跡地。


 そして、彼女と出会った、新たな始まりの地。


秋にはふさわしくないな、とジンは思った。


「早く行こうよ」


 門の扉の取手を持ってメリルピンが急かす。ジンは彼女のもとに来て扉を引く。目の前に枯れ葉が積もった道が広がる。


「外の世界は初めてか?」


 メリルピンはこくりと頷く。


「どんな世界かな。私すごく楽しみ」


 彼女は落ち着いた口調で呟く。


「きっと、いいところさ」


 メリルピンは満面の笑みで門の扉の傍にいる。


 頼むから槍を振るうことがないようにと、ジンは願った。


幾多の命を傷つけてきた、紅の槍を。


 ジンとメリルピンは手をつないで村の外へ歩み出た。


 二人の進む道は、薄暗かった。

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紅の槍 夢乃ミラ/碧天 創 @aozoracreate2021

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