101パーセント除菌スプレー

不二川巴人

101パーセント除菌スプレー


 近年、人々の清潔志向は、加速の一途を辿っている。

 そんな折、ある化学メーカーが、『超除菌スプレー』を開発した。謳っているのは、『101パーセントの除菌』。


 なぜ100パーセント以上かというと、ひとたび対象物に吹き付ければ、たちどころに、ありとあらゆる細菌やウィルスが死滅するだけでなく、一定期間、『不純物』を寄せ付けないからだった。


 しかも、メーカーの広報曰く『たとえ飲んでも死なない安全性』があるということだった。では、飲むとどうなるか? それは『内臓が殺菌されます』という、うわべだけ取れば都合のよすぎる話だった。


 そのスプレーは、水虫やわきがなど、菌が関連する皮膚病にも抜群の効果があり、悩める人々の救世主となった。


 しかし『101パーセント』は、さすがに誇大広告ではないかと、国の関係省庁が調査したのだが、メーカー側は厳然たる正しい実験データを出し、景品表示法には違反しない、ということになった。そしてそれは、爆発的ヒット商品となった。


 人々は、少しでも疑わしきは、徹底的に消毒した。また、そのスプレーは、空気に対しても効果があり、無菌状態が重要視される医療現場やなどでも、大幅な手間の短縮に繋がるとして、実に好評だった。


 だが、人々の『清潔志向』は、それだけにとどまらなかった。

 少しでも『汚い』と思った物は、そのスプレーで、徹底的に除菌した。

 他人と握手する時にも、まずはお互いの手をスプレーした。

 排泄物にも、スプレーを吹きかけて、ニオイを消した。

 やがて、公園の遊具や砂場の砂も、徹底的に除菌するようになった。


 開発メーカーは、生産が追いつかないほどの状態になり、供給が安定するまで出荷を停止する、と発表した際には、世間はパニックに陥った程だ。


 『清潔』を求める需要は、ますますエスカレートしていき、しまいには、動物に触れあう前も、『彼ら』にスプレーをしてからでないと、『不潔』だと罵られた。


 動物たちにとっても、有害な寄生虫がいなくなるというメリットはあったものの、それだけでは済まなかった。次第に、『人間以外の虫や動物は、全て汚い』という思想が蔓延し、野生動物の虐殺が起きた。その国からは、『動物園』や、『水族館』と言った施設が、消えた。


 人間の体内には、腸内細菌に代表される、常在細菌という物がある。しかし、『汚らわしい細菌が、自分の身体の中に、うじゃうじゃいるなんて!』と、勘違いを起こした人々は、スプレーの原液を飲み干し、身体を中から『殺菌』を試みた。結果、体内の細菌が一掃され、バランスを崩してばたばたと死んでいった。


 当然、真面目な科学者がそれら体内の細菌の重要性を必死に説いたが、残念ながら、盲目的なまでの『清潔志向』に囚われた人々の耳には届かなかった。


 次第に、性行為も、排泄行為も、出産さえも、『汚くて、ありえない』こととして忌避され、人々は、こぞって人工授精に走り、汚物は、身体にチューブをつけて、寝ている間に吸い取るようになった。


 動物としての本能を、理屈で押さえつけると、どうなるか。

 行き着く先は、集団ヒステリーである。かつて起きた、魔女狩りの再来だった。


 女性達の欲求不満は、日に日に高まっていき、少しでも『汚らわしい性欲』を抱いた者は、『魔女』として、惨殺された。また、性欲と『清潔』の狭間で揺れた結果、発狂する者も少なくなかった。それでも、やはり、『何よりも清潔』であることは、美徳とされた。


 いつしか、その国では、『いかに清潔であるか』を基準に、人間のランク付けがなされるようになった。


 下層ランクの者は、家畜のような扱いを受け、人々の欲求不満のはけ口になった。上層ランクの者も、ほんの些細なことや、他者の密告や陰謀などで、安寧を貪ることは許されなかった。


 そしてやがて、その国は、国土全体を、巨大なドームで覆うようになった。国中が、無菌室になったのだ。


 『究極の清潔』を手に入れた人々は、歓喜した。大半の人々は、試験管の中で産まれ、ドームの中で育ち、短く生涯を終える。仮に『ドームの外』に興味を持つ者が現れれば、たちまちのうちに吊し上げられ、糾弾され、殺された。


 その国が、隣国から撃ち込まれた細菌兵器であっという間に滅亡するのは、ドームの完成から、半年後のことだった。


                        おわり

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