天上のペンデュラム
夜空アリス
第一章 『血塗られた運命の終わりを求めて』
chapter1 「出会い」
人を形作るのはまず魂が存在する。そして肉体が付き、やがてそこに心が宿る。それは心を物質化し、形成する事ができる。その形は様々で、強さも人によって変わってくる。それを悪用する者も善意として力を振るう者と分かれる。
“心”が世の中を左右する今、幾つもの想いが交差する物語が幕を開けようとしていた――。
「……まさか、オレがこんなところに足を運ぶ事になるとはな。全く、何が起こるかわからないぜ」
街中を散策しながら一枚の用紙に目を落とす。そこには『入学のご案内』と書かれており、紙一杯にそれに関わる内容が連なっていた。
「しかしだからと言って、わざわざこんな都会にそんな学校建てなくてもいいんじゃないか? オレは人混みが苦手なんだ。何というか、田舎ならではの穏やかさというか、ほのぼの感というか……。こういう時間に追われた張り詰めた空気が苦手なんだよなぁ」
周りを見渡してみると、スタスタと速歩きで交差点を横断する人や、それに加えて時計を見ながら電話をして忙しなく移動する社会人が右往左往している。
空気の重さ故か、「はあ……」と深い溜め息を吐いてしまう。東京とはこういった場所なのだと、不安が頭を掻き乱してくる。
そんな中、駅前で何やら人々が足を止めて賑わっていた。何かのイベントだろうか。慌ただしい平日に似合わない歓声が響き渡っている。
人の合間を縫って前に行くと、目の前が簡易的な戦場と化していた。
「――やるなあアンタ。女にしては中々筋がいい……! この俺の抜錨を相手にしても臆することなく戦い続けるとはな!」
「君も、この都会の重ったるい空気を払うのにうってつけの相手だ。レディでありながら、端なくも狂おしいほど興が乗ってしまう!」
そこには、この駅前ではあり得ない甲高い金属音が眼前から鳴っていた。いまいち働かない思考回路を無視して、今は戦いを楽しんでいるであろう二人を眺める事にした。
背の高い男が手にしているのは、相手を力で捻じ伏せられるような大剣。相当な筋力が必要になりそうだが、まるで自分の手足の如く軽々と振るっている。
一方の美貌な顔立ちの女性は、それこそ王宮に遣えている騎士のような剣を握っていた。白を基調とした、目を奪われるほどの綺麗な心の塊。左手にはその鞘が握られており、状況に応じて武器としても使用している。
ふと、近くにあった看板に目を通してみる。そこに書かれていたのは『ストリートファイア』となっていた。これは時間も場所の指定もなく、ゲリラ的に開催されるイベントのようなものだった。注意書きには、『警備にあたっている範囲内でのみ戦闘を行うこと。』『相手の命に損傷を与えるような攻撃は控えること。』『大技の使用は厳禁』との事だ。
「ルールを守って楽しく勝負しましょうとか、これ考えた人はどんだけ気が狂ってるんだ……」
恐らく、そんな事を思っているのはこの場で自分だけだろうと密かに察していた。
「それにしても、こんな街中で
そんな事をよそに、甲高いつば競り合いが繰り広げられていた。
幾億の闇を祓えそうな白い剣が一筋の迷いもなく男に斬りかかる。だが、その一閃ですら飛んでいるハエをはたき落とすかのように真上から振り下ろす。手数の多い素早い攻撃を、身の丈以上ある大剣で防ぎきる。時にはその思い一撃を鞘と刀身を重ねて受けるなど、熾烈な戦いが続く。
しかし、その時間も有限であるようで、終了の合図であるタイムウォッチが耳を叩く。制限時間は十分のゲリラバトルはこれにてお開きとなった。
「――ふぅー。結局、決着がつかなかったな」
「あぁ。だが、良い運動になったぜ。久しぶりだ、こんなに胸躍る戦いができたのは」
これがこの二人の青春なのだろうかと、友情が芽生えつつある光景を見てそう思っていた。ギャラリーからは拍手喝采が沸き起こり、壮大な盛り上がりを見せた。周りのノリに合わせて適当に拍手をしていると、戦っていた女性がちらりと少年に目を移した。
「君、中々に良い眼をしているな。どうだ? 良かったら君も一汗流していかないか?」
「……は?」
自分に視線が注がれている事を認めたくないのか、キョロキョロと見回してみるも他の人は少年の方を見ていた。つまりはそういう事である。隣の人に「変わって」と眼で訴えるが、静かに首を横に振られて断られる。これは一汗どころか一滴の血は確実に流れるだろうと確信していた。
「わ、悪いが、オレは遠慮しとく。今から知り合いに会うから汗だくにだるのはちょっとな……」
適当な言い訳を見つけて誤魔化すが、指名された時点で既に一滴の汗が頬を伝っている。
「そうか、それは残念だ。何故か君へと眼が止まってしまってな。だが、知り合いに会うのに汗臭いのはエチケットに欠けてしまう。またの機会があったらだな」
そんな奇跡は御免被りたいが、その確率を引き当ててしまいそうで背筋がゾッとする。
「そんな偶然があったら、まあ、その時は……」
何とかその視線から逃れようとしてそそくさと退散する。ふと、一度首だけを回して後ろを見る。すると、彼女は険しい表情でこちらを見つめ、やがて目をそらしてしまう。構わず少年も前を向いて歩き出す。
空がやがて暗くなり、秋の寒さがより一層厳しくなる。しかしこの都会であれば、建造物の明かりで街中がライトアップされるロマンチックな景色も魅力的だろう。
しかしそれでも、一度街を抜ければ外灯が少なく、一人で歩くには奇妙にも思えてくる。そんな中、少年、赤い髪と瞳を宿した
途中で細い路地に入り、何度か曲がり角を曲がっていく。
「――ぐわっ!」
狭い路地で男の呻き声が響く。
「オレに何の用だ? アンタに跡を付かれるような事をした覚えはないが」
空霧の後ろをずっと付いてきていた、眼鏡を掛けている大学生だと思われる男。彼が曲がってきたところで待ち伏せをし、タイミングを図って手で首を締めて壁に押し付ける。男が両手でそれを解こうとするも、締められている手はびくともせず、力を緩める仕草もない。
「ま、まさか気付かれていたなんてな」
「誰だって気付くさ。こんなあからさまなストーカーされたら尚更な。それよりも、オレはアンタに聞いてるんだけどな。姑息な操り使いさん」
「……へぇ」
不気味にもその男の顔に似合わない広角の上げ方をした。男は首を絞められて閉じていた眼を開けると、右目には『糸』の文字が写っていた。
「やはり俺の眼に狂いはなかった。お前、中々に変わってるなぁ。何ていうか、存在自体が少し気持ち悪い」
「初対面の人に言うセリフじゃないな。まあいい、オレの何を見てそう感じたのかは分からないが、この人と同じ事をオレにしようとしたんだろう?」
「ふはは、せーいか〜い」
首を絞められ、苦しい状況が続いているにも関わらず、男は薄ら笑いを浮かべるのを止めない。それどころか、図星を突かれて寧ろ喜んでいるようにも取れた。僅かに差す外灯が男の不気味な笑みを更に酷く浮かぶ。
「コイツを使っているように、俺はお前が欲しい。なあ、どうだろうか。俺のサーカスの一員にならないか?」
男が伸ばした手は空霧の顔へと届き、中指を反らせて顎に触れる。まるで動物に舐められているような気持ちの悪い感触。すると、空霧は締めていた男の首から手を離した。ドサッと鈍い音がしてその場に男が崩れ落ちる。
「悪いが他をあたってくれ。お前なんかの操り人形になるなんて真っ平ごめんだ」
手をひらひらと振ってその場を後にする。
細い路地から抜け、公園沿いに出たところでまた何かを感じた。通り過ぎようとした公園に敢えて入り、中央で立ち止まる。夜風が公園の砂を払う音と一緒に、そこへ一人、また一人。複数の足音が近付いてくる。気付けば、周りには五人の人影が集まっていた。それぞれ年齢や性別も違うが、平均で言うと若いといった印象だ。
「……まだ何かあんのか? お前の用は断ったんだからいい加減に解放してくれ。これ以上オレに絡む理由はないだろ」
「いや〜あれくらいで折れる訳にはいかないよ」
一人の制服姿の女子高生がケタケタと笑いながら言い放った。その女子高生も周りも、やはり眼には『糸』の文字が入っていた。
「お前が応じないのであれば――」
一人のスーツを着た男の手から淡い光が輝く。光が収まり、その手に握られていたのは一丁の拳銃だ。
「穴を開けてでも連れて行くしかないよねぇ!」
カチャリと構えられたその銃は間違いなく本物だろう。黒き鉄の塊からは実弾が込められていると予想できる。それに合わせるように他の四人もそれぞれ武器を手にする。チェーンソーや包丁といった人を殺すのにはうってつけの獲物。そのどれもが淡い光によって錬成されたものだ。
「おいおい、こんなとこでどんちゃん騒ぎを起こすつもりか? 近所迷惑も考えたほうがいいぞ」
「それはお前が大人しくすれば済む話だ!」
一人の男がチェーンソーを振り回して襲いかかってきた。エンジンを掛け、木から人を伐採する回転した刃が空霧へと向かう。狙うは胴体。切断まではいかなくとも、肉体を抉って瀕死にするには充分すぎる。
後ろに跳躍して躱し、目の前に不気味な機械音が横切る。指が刃先に触れただけでも軽く一本は持っていかれるだろう。
「――っぶな」
その動きを読んでの事か、背後に包丁を持った女子高生が接近する。背中からの一刺し。だが、しゃがんで腰を低くしてからの足払いで相手を転倒させる。その隙に両側から男二人がナイフ片手に切りかかってきた。再び跳躍した時、スーツの男が銃口を向けていた。
「殺したら意味がないからな。心臓は狙わないよ」
勝ち誇ったという笑みを浮かべて照準を定める。銃口の奥に潜む弾丸が空霧を撃ち抜こうとしていた。
「別に心臓を狙っても構わないさ。どうせ当たらない」
口角を少し上げ、余裕の表情を浮かべる。それを見た男は眉をピクリと動かし、挑発される。そして、一発の銃声が闇夜を切り裂いた。
「――ほら、言っただろう? 当たらないのさ」
放たれた銃弾は体を貫く事はなかった。それは突如空霧の目の前に現れた赤黒い障壁によって防がれていた。一人分を防ぐ盾のような長方形のそれは、やがて立方体へと形を変え、空霧の横に浮遊する。
「ちっ、魔術か! まあいい、こちらは五人だ。数で押し切ればどうとでも――」
「そうだな。だがこんな物騒な物はしまっておくんだな」
一瞬の内にスーツの男の前に移動し、銃を掴む。手に力を込めると、まるでガラスが割れたかのような音を響かせて砕ける。パラパラと淡い光の粒と共に残骸が地面へと降り注ぎ、やがて消滅する。それとほぼ同時に、男は充電が切れたロボットの如く地面に崩れ落ちた。
「これで暫くは起きてこれない。……さて、残りは四人か。そのままペンデュラム剥き出しでかかってこい。楽にしてやるさ」
そう一瞥すると、先程まで意気揚々としていた四人は恐れを成したのか、徐々に間合いを取る。
僅かな空白の時間が過ぎ去った後で、女子高生が口を開く。
「見立通り……いや、それ以上か。なるほど、半端者では届かないという事か。わかった、今日はここまでにしよう。これ以上こちらの手駒を減らされては困るからな。また会いに来るよ。お前を手に入れるまで、何度でも足を運ぶ。気長に待っていてくれ」
そう言い残し、影に飲まれるようにして四人の姿は消えていった。
数分ぶりの静寂が訪れ、夜風が静かに頬を掠め、「ふぅ〜」と小さな溜め息が夜空にかき消される。すると、後ろの方からジャリジャリと誰かがこちらに歩いてくる。
「手助けは必要なかったみたいだな」
現れたのは、昼間に駅でストリートファイアをしていた少女だった。腰まで伸びた白い髪がそよ風によって綺麗に靡いていた。
「やはり、君は気付いていたんだな」
「まあな。オレを舞台に上げようとしたのも、本当はあいつらの尾行を知らせる為だったんだろう?」
そう、彼女は始めから空霧が敵から狙われている事に気付き、忠告を促す為だった。そして、二人でそれを対処するのが目的だったのだ。
「敢えて、というやつか」
「ああ。何故か知らんがオレの問題だしな。他人を巻き込むわけにはいかないさ。実際、あの程度の連中なら一人でもどうにでもなる。ま、今回で終わりって訳でも無さそうだが」
やれやれと言った様子で首を横に振り、それを見た少女はクスリと笑う。
「優しんだな」
「紳士的なんだよ。自分で言うのも何だが、女性には優しいと思ってる。それより、まずはこの人を交番まで運ぶか」
「そうだな」
倒れたスーツの男を背負い、二人で夜道を歩く事になった――。
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