真夜中コンビニ千客万来

古月

真夜中コンビニ千客万来

「いらっしゃいませー」


 入店音を聞けば自然に挨拶が出るようになったころ、私は真夜中のシフトにも入るようになった。なにしろコンビニの夜勤は時給がいい。それでいて客足は少なく暇も多いのだから楽なことこの上ない。適当にレジを打って商品の棚出しをして、空き時間には休憩室でスマホを弄っていればいいのだから。

 もちろん、真夜中の客には変な人間も多いが。


「あなたは神の存在を信じますか?」

「そこの棚にいなければいないですねぇ」


 お客さんが来店したと思って休憩室から出てきてみれば、そこにいたのは商品を一つも持っていない二人組のおばさんたちだった。宗教勧誘とかマジ勘弁。ついつい雑なあしらい方をし過ぎて神さまを市販品にしてしまった。

 その後の戯言はもう右から左だ、聞く価値もない。これで別の客が並んでいたら適当なことを言って帰ってもらうところだが、あいにく店内のお客さんはこの二人だけ。


 と思ったら、仕事帰り風のお姉さんがやや駆け足で入店してきた。おばさんたちは他人がやって来たとみるや早々に話を切り上げて帰って行った。いやこっちの時間を取らせたんだからなにか買って行ってよ。


「あの、お手洗いを借りられませんか?」

「え? ああはい、どうぞ」


 おばさんが店を出るや、焦った様子のお姉さんが尋ねてきた。私がトイレのある方角を指し示すと、お姉さんは首を横に振って、


「違うんです、スタッフさん用のを貸していただきたくて」

「いやあれがスタッフ兼用で」


 ピンポーン。お客の来店を告げるアラームが鳴る。その瞬間、お姉さんはビクリと体を震わせた。入店してきたのはちょっと薄汚い恰好の、端的に言えばホームレスのおじさんだ。いつも同じくらいの時間にやってきては店内をぶらつき、たまに煙草を一箱買って帰る常連さんだ。


 あ、もしかしてあのホームレスのおじさんを怖がってるのかな?


 一瞬そう思ったけれど、お姉さんはむしろほっとしている。そして私が不審そうな顔をしているのに気付いたのだろう、バッグから手帳を取り出し何かを書きつけた。


『助けて』


 その一言で私は事情を察した。「落とし物のご確認はこちらでお願いします」とわざと聞こえるように言ってお姉さんをカウンターの中に入れ、そのまま奥のスタッフ休憩室へ通した。


「誰かにあとをつけられているみたいなんです」


 やっぱりか。本当にたまにだが、こんな風に助けを求めてくるお客さんがいる。私は監視カメラ映像の前にお姉さんを連れて行き、その映像を見てもらった。いつの間にか客が何人か増えている。


「この人です。この人がずっと後ろをつけてきていて」


 お姉さんが指し示したのは酒類コーナーの前にいるいかつい顔つきの男性だ。袖を捲ったシャツから覗く腕には派手な刺青いれずみが入っている。とても堅気カタギには見えない。


「どうします? 警察を呼びますか?」

「いえ、大事にはしたくないので……私の勘違いかもしれないし、恨まれても嫌ですし」


 お姉さんは本当に怯えているようだった。私はお姉さんを裏口から外へ送り出した。この店舗の裏口は正面の入り口とは別の通りに面しているから、店内の客からお姉さんの姿は見えない。

 私はお辞儀をしながら立ち去るお姉さんの後姿を見送ってから店内に戻った。


 スタッフ用のドアから店内に入るとホームレスのおじさんが目の前に立っていた。目が合うなり不安そうな表情でレジを見ている。このおじさんがこんな挙動を見せるのは決まってお客さんが並んでいるときだ。品出しでレジを離れているときにも同じように教えてくれるから何気に助かっていたりする。他のスタッフも同じようにお世話になっていて、勝手に「現場監督」なんてあだ名をつけていたりする。


「大変お待たせしました」

「ボクとケッコンしませんか?」

 今日は妙なお客が大量だな。

「ボクのオウチ、オカネモチ。ママ安心させたい。ボクもイイトシ、ケッコンしない?」

「えーあー、それはちょっと。その――ワタシ、医学部の彼氏いるのデ」


 実際にそうならどれほどいい事か。

 その外国人客は映画の中でしか見ないような肩の竦め方をして、失礼にも「アンビリーバボーそんなまさか」などと言いながら出て行った。なんだ、私に彼氏がいるってのがそんなに予想外か。チクショウ、その見立ては合ってるよ。でもそんなにあっさり引き下がるのはビザ目的だからって知ってるんだから! 悔しくないもん!


「なあ、あの人なんなの?」


 カウンター下の見えない位置で拳を握りグヌヌしていた私に、チャラそうなお兄さんが話しかけてきた。お隣には露出多めなギャルお姉さん付き。なお、カウンターの上には酒とおつまみと栄養ドリンク、それと避妊具。隠す気ないんかーい。


「あの人、とおっしゃいますと?」

「だから、あのキタねぇおっさんだよ」


 チャラ男が親指で指したのは雑誌コーナーに移動した現場監督のおじさんだ。ちなみにいかついストーカー疑惑の男性はいつの間にかいなくなっている。


「あんなのがいたらさ、店の風紀? が悪くなるでしょ。なんとかしてよ」

「なんとか、と言われましても……」


 現場監督おじさんは見るからにホームレスだけど、万引きするわけでもなく、他のお客に絡むでもなく、見た目に反して悪臭を漂わせたりもしていない。むしろさっきみたいにレジ待ちのお客さんを教えてくれたりで助かることの方が多い。

 それをどうにかしろと言われましても。


「ちょっとやめなよ~」

 ギャルのお姉ちゃんがチャラ男の腕を引っ張っているが、チャラ男はむしろふふんと自慢げになおも私に詰め寄ってくる。

「どうにかしろよ、警察呼んだりとかさぁ」

「犯罪行為をされているわけではありませんので……」

「それじゃあ俺があのおっさん殴れば連れて行ってもらえんの? やろっか?」

 その場合、警察に連行されるのはあなたですが構いませんか?


 このチャラ男、ギャル姉ちゃんに男らしいイイところを見せたいのだろうが、まったくの逆効果なのに気付いていないのだろうか。ギャル姉ちゃんの「やめなよ~」がだんだん冗談みを失くしている来ていることにまだ気づかない? そろそろやめておけ? そのゴム使うタイミングなくすぞ?


 そんな押し問答を続けていたら入店音が鳴った。いらっしゃいませ、と声をかけようとしたが、誰も入って来ていない。閉まる自動扉の向こうに暗闇に消えていく現場監督の背中が見えた。

 チャラ男は遠慮なしに大声で話していたから、当然何を話していたのかも聞こえたんだ。それで気まずくなって出て行ったのだろう。チャラ男はそれで満足したのか、会計を済ませると「ちゃんとしろよな」などと言いながら店を出て行った。ちゃんとしてほしいのはお前だよ。


 ***


「お疲れさまでした~」


 引継ぎとレジの金額チェックを終え、私はまだ薄暗い中を帰路についた。夜中に小雨が降ったらしく、地面はしっとり濡れている。


 今夜のシフトは大変だった。いつの間にかお客が来店していたり、品出しに集中していてレジ待ちに気付かなかったり、それを嫌味のように責められた。こちらの落ち度なので反論も何もないのだが、やっぱりお叱りを受けると凹むものだ。


 あのチャラ男が来店してから一か月ほど経過した。あの日以来現場監督おじさんは店に来なくなった。チャラ男のクレームを気にしてのことだろう。

 あのときあとを追いかけて「気にしないで」の一言をかければよかった、と思っても後の祭りだ。こちらもワンオペ勤務中で店を離れるわけにいかなかった。また何日か後に店で会うだろう、そのときに声をかけよう、そう思っていたのに。


「ちょぉ~っと、後味悪いんだよねぇ」


 カラン、背後で空き缶の転がる音。


 いつもなら気のせいだと思ってまた歩みを進めていたはずだ。だけどこの時だけは、何となく身体ごと振り返った。そこに誰かがいるような気がしたから。

 街灯の灯りの下に、ぬっと誰かが暗闇から進み出た。


 腕の派手な刺青には見覚えがある。あの日、仕事帰りのお姉さんを尾行していた男性だ。


「お前、邪魔したな。あいつを逃がしたな」


 言っている言葉の意味を理解するのに数秒要した。理解してぞっとした。この男性はやっぱりあのお姉さんをストーキングしていたんだ。だけど私がお姉さんを裏口から逃がしたから見失って、それを逆恨みしているんだ。


 逃げなきゃ。そうは思っても足が動かない。ヤバい、ヤバい。この状況はヤバい。男が近づいてくる。なのに動けない。殺される!


「……あ」


 背後から声。男も、そして私も振り向いてそちらを見た。

 薄汚れた格好のホームレスが街灯の下に立っていた。知っている姿だ。現場監督おじさんだ。男を見て、そして私を見た。いつものあの不安そうな視線で。


 私を絡めていた恐怖が、その瞬間にふっと消えた。


「た――助けて!」


 喉の奥から出せる限りの声で叫んだ。刺青の男は慌てて身を翻すや、またビール缶を派手に蹴り飛ばしながら逃げて行った。

 そして現場監督おじさんもまた、身を翻して走り出そうとする。いやそこは違うでしょカッコよく怯える乙女の隣に駆け寄るシーンでしょこっちに走り寄ってよ、っていうかちょっと待って!


「待って!」


 なんとか逃げられる前に呼び止めた。現場監督おじさんは悪事を見つかったわけでもないだろうに飛び上がらんばかりの驚きようでその場に直立する。またあの不安そうな視線だ。

 そして呼び止めたはいいものの、どんな言葉をかけるか私は考えていなかった。


「えーっと、その、さっきは危ないところを助けてもらってありがとうございます……?」


 若干語尾を上げてしまったのは、おじさんが実際のところ何もしていないことに言いながら気付いてしまったからだ。だがまあ、現場監督おじさんがいたからあんな大絶叫ができたわけだけど。ところで住宅地のど真ん中なのに誰も様子見に来ないってどうなの。


 私はちょっとだけ考えて、結局、いつも通りの言葉をかけることにした。


「またのご来店、お待ちしております」


(完)

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