後編
テオに手を取られ、手袋越しでもわかる彼の熱と、カーラに向けられる切ないほどの眼差し。そして、あまりにも真剣な声に負けてしまった。それは怖いくらいに甘やかで、まるで心から愛されているのでは――そんな錯覚してしまいそうになる。
仕方なく。そんなふりをして一曲だけ付き合うつもりが、なぜか続けて三曲踊ることになってしまい、そのあとはテオ自ら食事を運んでくれるので一緒に食べた。バルコニーで少し話しをして、最後に金平糖をくれた人。
ドキドキしたのも、ましてや楽しいと感じてしまったのも、きっと気のせい。
キュッと胸が痛かったのはきっと、罪悪感のせいだ。
色々な色の金平糖を一粒口にし、その甘さに口角が上がったカーラを見てテオが微笑んだのを思い出し、シシッとその光景を振り払う。彼の隣に寄り添う自分が浮かんだなんて、思い違いにも甚だしい。
(普段と違う笑顔だったからだわ。あの時みたいに……)
テオは普段から柔和な笑顔を絶やさない人だ。
でもそれは、彼が意識的に作っていることにカーラは気づいていた。
◆
実は世話係のメイドとしてテオの担当になる少し前に、カーラはテオと出会っていた。
ベルの子孫だからだろうか。踊ることが好きなカーラは、休憩時間などに隠れて、一人でこっそり踊っていることがある。
ベルに習っているときもそうなのだが、相手がいるダンスの練習の時は、モップをパートナーに見立てて踊るのだ。ベルに触れることはできないから。
カーラは磨く仕事も得意なので、モップを持っていることはむしろ自然で目立たない。誰もいない部屋や奥まった廊下で、時々こっそり踊っていたのだが、そんな現場をテオに見られてしまった。
ギョッとして振り返るも、クスクスと笑う声も、細められた目も優しく、遊んでいたメイドを咎める色は全くない。
「上手だね。私が相手を務めようか?」
どこまで本気なのか、手を差し伸べてきた若い紳士に一瞬見惚れたカーラは、状況に気づいて慌てて顔を伏せた。
(いけない。休憩時間とはいえ、こんなところをお客様にみつかるなんて)
そのまま「失礼しました」と立ち去ったから、多分顔はたいして見られていないだろう。それでも内心冷や汗ものだったのは確かだ。
その直後にテオの世話係を命じられて顔を合わせたのだけれど、彼がカーラに気づいた素振りも、執事やメイド長に報告した様子もなかったのでホッとした。一介のメイドなど記憶にとどめることもないのだろう。
◆
「まあ、いい経験だったよ」
冷静を装って、なんでもないことのように舞踏会でのことをベルに話して聞かせる。それでもテオとのことを伏せてしまったのは、もう二度とない宝物を閉じ込めたかった――そんな想いからだったのかもしれない。
だから次の朝早く。
小さな花束を持ったテオが、カーラの自宅に訪れることになるなんて想像さえもしなかったし、彼の
(メイドのスカウト?)
などと考えてしまったのも、たぶんカーラのせいではないだろう。
「テオ様。状況がよくわからないのですが、私は、テオ様の奥様になられる方の侍女にしてくださる――という意味で、よろしいのでしょうか?」
胸の痛みを無視してカーラが尋ねると、テオが慌てたように一瞬立ち上がりかけ、また腰を下ろした。
「ちがう。そうではなくて……。ああ、最初から丁寧に説明をした方がよさそうだ。まず昨夜、貴女と踊った男は私でね。きっちり三曲、踊っただろう? いささか強引だった自覚はあるけれど、どうしてもそうしたかったんだよ、カーラ」
テオは相手がカーラだと気づいていたことに唖然とし、次いで三曲続けて踊る意味を思い出して呆然とする。
(私、
「驚いたかい? カーラ・リミエール」
しかもフルネーム! リミエールは母方の姓で、カーラの本名だ。
「でもテオ様。私は一介のメイドです」
助けを求めて奥の方を見れば、ベルが面白そうにニヤニヤと見物しているのが目に入る。
(ベルさん助けてよ! テオ様、絶対何か勘違いされてるから!)
ベルが怪奇現象の一つでも起こせば、きっとテオは驚いて立ち去るだろう。
でも彼女はカーラを叱るように、口だけで「めっ」と言い、
「いい男じゃなぁい。しっかり話を聞いてあげるのよ。あなたが知らないこともぜーんぶ、ね?」
と意味深に笑って消えてしまった。
(ベルさん、絶対面白がってる!)
「カーラ、聞いてるかい?」
「テオ様、大変申し訳ないのですが、私、これから仕事なんです」
「貴女がメイドとして世話する相手はここにいるけど?」
「そ、それはそうですけど」
テオは、カーラが昨日の令嬢であり、同時にメイドだと分かってることに理解が追い付かない。
「そうそう、伯父上にもメイド長にも、ちゃんと断ってあるから大丈夫。安心して?」
(何をですか⁉)
ベルが消えているため(消えてても近くにいるだろうけど)、カーラは
「と、とにかく」
と言って立ち上がった。
「女性一人の家に男性がいるなんて、外聞的にもよくないです。万が一にも、テオ様の名誉に傷がつくことがあってはならないですから」
「いや、むしろそれを気にするべきは貴女のほうだけど。もっとも、この家の場所を教えてくれたのは門番のポールで、彼の母上にもさっき挨拶をしているから問題ないよ」
「なっ」
昨日テオからもらった金平糖を持ってたポールに聞いたらしい。一瞬彼に金平糖を分けたことを後悔しかけ、ハッとした。
ポールの母に挨拶をしたということは、今頃近所の奥様方が洗濯などをしつつ、カーラの家をわくわくと見守っているのは間違いないだろう。
(いやぁ! おばちゃんたち、ぜったい面白がってるのが目に浮かぶ!)
「でもそうだな。話が長くなるから、貴女のおじいさまの家に行こう。もう訪問する約束はしているからね」
「え? おじいさま?」
天涯孤独のカーラに、おじいさまと呼べる人はいないのだが。
「ああ、まだ気づいてなかったんだね。昨日貴女と一緒に入場した人がいただろう? スミスと名乗っていたとおっしゃってたが、本名はデイビス・リミエール。君の祖父殿だ」
「は?」
「家出した娘の子である貴女に会えて、とても喜んでいたよ」
「ええ?」
はしたない声をあげたことは、どうか大目に見てほしい。
結論から言うと、カーラの母の話は嘘だった。
その後訪ねた祖父母の話によれば、そもそも家は没落などしておらず、母は駆け落ちしたことで勘当されていたらしい。
永遠の夢見る少女であると同時に強情かつ自分勝手な性格な母は、実家にカーラを引き渡すことも、自分が連れ戻されることもがんと拒否していたのだそうだ。
(でも結局私を置いていっちゃったくせに)
それでも母が今は海の向こうで例の吟遊詩人、もとい、元某貴族の三男である男性と幸せに暮らしていると聞いてホッとした。生きてるならまあいいやと思えたのは、今も昔もカーラが自分を不幸だと思ったことがないからだろう。
長年寝込んでいたという祖母は、ベッドからカーラを抱きしめ涙を流した。
「淋しい思いをさせたわね。でも私のおばあ様が、自分が一緒にいるから手を出すなとおっしゃって、ずっと我慢していたのよ」
祖母の祖母って……。
「ええ。亡くなったベルおばあ様。貴女と一緒にいてくれたでしょう?」
祖母にもベルが見えていたらしい。
カーラは知らなかったが、ベルはあちこち飛び回っていたし、なんとテオとの出会いも、舞踏会での様子もばっちり見学していたそうだ。なんてこと。
「本当は年が明けて貴女が成人した時に、この家に迎えられるよう計画していたの」
「そうなんですか?」
びっくり。
「ええ、もちろん。でもね、貴女と結婚したいという方にせかされて、少し早くなったのよ」
そう言って「ふふっ」と笑う祖母の顔は、どこかベルに似ている。
「おじい様だけ、先にあなたと会えてうらやましかったわ」
「おばあ様……」
はじめて会った気がしないせいか、自然とそう呼べたカーラに、またもや祖母は泣きながら笑った。
◆
その後リミエール家に入ったカーラは一年後、テオを婿として迎えることになる。
もちろん結婚式にはベルもこっそり参列していた。
「ねえテオ様。いつから私のことを? その時が来たら教えてくださるっておっしゃいましたよね」
披露宴のさなか、花嫁衣装に身を包んだカーラがずっと気になっていたことを尋ねると、テオは彼女の手を取って愛おしそうに唇を落とし、「うん、やっと話せる」と微笑んだ。
「貴女がモップと踊っていたあの日にね、私の心臓は撃ち抜かれたんだ」
立場上、叔父の家のメイドに手を出すなど論外だった。しかし必死で自分の気持ちをごまかしていたテオは、叔父宅のメイド長からカーラのフルネームを聞いて、知り合いの老紳士が話していた孫娘ではないかと気づいたという。
「貴女の笑顔は老夫人によく似ていたから」
さっそくリミエール家を尋ねようと考えていた日の夜、テオの元にベルが現れた。最初は夢かと思ったが、彼女が「試練を乗り越えたらきっと、あの娘は貴方と結ばれるわ」と約束したそうだ。
カーラでさえ気づいてなかった恋心を、ベルはばっちり見抜いていたらしい。
「テオ様。そんな怪しい言葉を信じたんですか?」
美しいベルは女神にも精霊にも見えそうだが……。
「あの時の私は、ワラにもすがりたい気持ちだったんだよ。それに彼女は、カーラがダンスが好きなことや小さい頃のエピソードを教えてくれたんだ」
(ベルさん、何を話したの⁉)
半信半疑だったテオの気持ちは、リミエールの主人たちに会ったことで霧散した。彼らがカーラに会いたがっていたこともあり、ベルを通じて三人は協力者になった。
カーラに内緒だったのは、ベル自身の制約があったから。
ベル曰く、「姿を見せるのも声を聞かせるのも、色々と約束事があるのよ」と。
「そう、なんですね……」
「貴女を手に入れるためになんでもない顔を続けるのは、相当骨が折れたよ。愛しいカーラ。貴女の眼差しに気づいてからは余計にね」
そのきらめく眼差しにカーラの頬が熱くなる。ずっと無意識に彼を目で追っていたことも、なんでもない素振りをしてるのに目だけは彼を恋い慕っていることも、全然隠しきれてなかった。それを彼から指摘された時には恥ずかしくて逃げてしまいたかったくらいだ。
それでもテオは根気よくカーラに向き合ってくれた。ゆっくり気持ちを確かめ合い、今彼の隣に立っている。
あの日、カーラが一瞬夢見てしまったように。
「テオ様」
「ん?」
「私を……諦めないでくれて、ありがとうございます」
「当然だ。カーラこそ、私を受け入れてくれてありがとう」
そしてテオは、ベルの出した試練をどう越えてきたかは今度ゆっくり教えてあげようと約束し、チラッといたずらっぽく上空を見ると、客たちから隠すようにそっとカーラにキスをした。
Fin
真夜中のシンデレラは守護霊付き 相内充希 @mituki_aiuchi
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