真夜中のシンデレラは守護霊付き

相内充希

前編

 深夜零時を告げる鐘の音が響いている。こんな夜中に鐘を鳴らすのは、お城で舞踏会が開かれる日と新年だけ。

 今夜は第一王子の誕生日を祝う舞踏会が開かれている。普段なら寝静まる町も今日はまだ賑やかだ。そんな時間に急いで帰ろうとするのはシンデレラ――ではなく、明日も仕事があるメイドのはず――なのだが……。


   ◆


 カーラが裏門から外に出でると、顔見知りの門番が小さく手を振ってきた。


「カーラ、終わったのかい。お疲れさん」

「ありがとう、ポール」


 ご近所さんで幼馴染でもあるポールに笑顔で返事をしたカーラは、ふと思いついてバッグに忍ばせていた小さな包みを彼に差し出した。


「お菓子を頂いたの。金平糖とかいう砂糖菓子ですって。キャロルと食べてね」


 ポールは半年前にキャロルと結婚したばかりだ。

 キャロルはおとなしい女の子で、今日と言う日に運悪く夜の当番にあたってしまった夫に文句をいうことはないだろう。でもきっと淋しい思いをしているに違いない。


 ふとカーラの脳裏にこれをくれた男性の笑顔が浮かび、とたんにきゅっとなった胸の痛みを無視する。


(素敵なものは好きな人と共有したほうがいいもの)


 自分はもう食べたのだから、小さな幸せを友人たちにも分けたかった。もらったお菓子は色も形も可愛らしい。きっと喜んでくれるだろう。


「いいのかい? ありがとう、カーラ。キャロルも喜ぶよ」


 庶民には貴重な甘味だ。遠慮しながらも「いい土産ができた」とクシャっと笑ったポールに手を振って、カーラはフードを深くかぶり直し、足早に城を後にした。


   ◆


 半ば走るように帰宅したカーラはドアのカギを閉めた後、ほぉっと長く息を吐いた。空っぽの部屋でランプを灯すと、フードを脱いで壁にかける。その下は場違いなほど美しいドレスだ。

 ポールは下働きのお仕着せだと思っていただろうから、こんな服を見たら腰を抜かしていたかも?

 そう思うと少しだけ可笑しい。


「おばあちゃん、これ脱ぐの手伝って」


 誰もいない部屋でカーラがそう言うと、古い椅子の上に、年配だが華やかな印象の女性が現れる。ただし向こうが透けて見えるので、明らかに生きている人ではない。


「おやまあ。おばあちゃんじゃなくて、ベルさんとお呼びなさいって言ってるでしょう」

 透けた女性は文句を言いつつも、目は生きている人間のようにキラキラしている。


「おばあちゃんのおばあちゃんなんだから、おばあちゃんでいいでしょ」


 頬を膨らますカーラに、ベルは大袈裟に「まあ、ご機嫌斜めさんね」と目を見開いた。いつもは素直に「ベルさん」と呼ぶカーラが、「おばあちゃん」などと言うのは珍しいのだ。


「カーラってばそんなに疲れたの? 楽しくなかった? いい出会い、あったでしょ?」


 これは何かあったわね? とでも言いたげなベルは、指をひと振りしてカーラの背中の小さなボタンをはずしながら面白そうに笑った。カーラにはこれが魔法なのかオバケの力なのかいまだによくわからないけれど、とりあえず部屋着に着替えることができてようやく人心地ついた。


 そしてしっぽを振っている子犬のようなベルを無視して、やかんに火をかける。最近キャロルから分けてもらったカモミールにお湯を注いで一口飲み、カーラはようやくベルに向き直った。


   ◆


 今は一人で暮らし、メイドの仕事などで生計を立てているカーラだが、世が世なら貴族のお嬢様だったらしい。らしいというのは、カーラ自身よく知らないからだ。


 母の話では、祖父の代に家は没落したという。

 それまで蝶よ花よと育てられた母は、屋敷に出入りしていた商人だった父と結婚した。二人はもともと駆け落ちを考えるくらいの恋人だったらしいから、没落はある意味好機だったのだろう。

 だがお嬢様育ちの母に、慣れない庶民の暮らしはつらかったようだ。


 しかも不運なことに、カーラが生まれてすぐに父が事故で亡くなってしまった。一人になってしまった母も母なりに頑張ったものの、カーラが十歳の時に失踪してしまったのだ。

 「新しい愛に生きることにした」との書置きを残して。


(いつかはやると思ったのよ)


 書置きを見て最初に思ったことがそれだ。

 どこかさめた娘だったカーラは、

「住むところはあるし、なんとかなるでしょう」

 と肩をすくめ、ポールの母たちを仰天させたものだ。


 とはいえカーラにとって、生活のすべを教えてくれたのはポールの母をはじめとした、ご近所おば様集団。彼女らのほうがずっと母親のようなものだったのだ。カーラ自身は自分が母の子だと言うよりも、夢見る少女のような母のことを、自分が面倒をみていると思っていたのだから。


 幸運だったのは、失踪前にこの小さな家の権利を母がカーラに移してくれていたことだ。言ってはなんだが、あのふわふわした母にそんな考えが及ぶとは考えられない為、そうしてくれたのは母の恋人だろう。

 彼は見目麗しい吟遊詩人だったけど、カーラの勘では、もともといいところの出身ではと思っていた。どこか母と同じ匂いがする男だったし、所作にも品があったからだ。

 ただ放浪癖があると自分でも言っていたから、(家も勘当されたんだろうな)と、そんなことを考えていた。たぶん間違いないだろうと今でも思っている。

 そんな男に母がどこまでついていけるかはわからない。でも七年たった今も特に知らせがないので、元気にやっているとカーラは思っている。



 一人ぼっちになり、母のいない家で黙々と片づけをしていたとき、物置で鍵のついた衣装箱を見つけた。凝った彫刻が施されたそれは、舞姫だった先祖のものだと聞かされていた。鍵がカラクリになっていて誰も開け方を知らないそれは、必要な時に開くと言われていたものだ。


「お母さん、これは置いていったんだ」


 事実、開かない衣装箱など持って行っても仕方がないだろう。

 そうは思っても、お伽噺のように話してくれた母の声を思い出し、少しだけ泣いたカーラの前に現れたのがベルだった。


「あなた、だれ?」


 とっさに幽霊だと思ったのに怖くなかったのは、彼女がどこか母に面影が似ていたからだ。それもそのはず。ベルはカーラの祖母のそのまた祖母、つまりこの衣装箱の持ち主である舞姫その人だったのだ。

 その後ベルが見えるのはカーラだけだということは分かったけど、同居人ができたことをカーラは心から喜んだ。


   ◆


 ベルはカーラに様々な躾をほどこした。驚くことに、貴族のマナーや踊りなどもそれに含まれていた。

「ねえベルさん。こんなこと、庶民の私が覚えても仕方がないんじゃないかなぁ」

 普段陽気なベルは躾だけは厳しい。

 不平を言いつつも従ったのは、彼女のことが好きだったからだし、学ぶことも楽しかったからだ。それでも、何の意味があるのだろうと思わずにはいられなかったカーラに、ベルは優しく微笑んだ。


「だって考えてもごらんなさい。しっかり作法が身についていれば、いいおうちで働くこともできるよ」

「いいおうちで? 上級メイドさんにもなれる?」

「ええ。それに、素敵な男性との出会いもあるかもしれないわよ?」


 ふふっと楽しそうに笑うベルにカーラは、「それはいい」ときっぱり首を振る。

 母のように恋に生きる自分など想像もつかないし、庶民の自分には政略結婚のようなものもない。今の時代に女性が一人で生きていくのが大変なことは分かっている。けれどありがたいことに、家もベルと言う家族もいるカーラは、一生独身でいることも可能なのだ。素晴らしい。


 そんなことより、もしかしたら将来お金持ちのうちで、優雅な上級メイドになれるかもしれない。カーラにとってはそちらのほうが重要で、真面目にベルの教えを吸収していった。

 そのおかげで、町のお金持ちの下働きから始め、今では臨時雇いとはいえ、伯爵家で働くこともある。このまま順調にいけば、正式に雇用してもらえる日も近いだろう。


(そしたら順調にキャリアを積んで、いずれはいい紹介状を携えて、どこかのメイド長になるのよ! 夢が広がるわぁ)


 なのにどうして今夜、お城へドレスを着て行っていたかというと、なぜかカーラのもとに城からの舞踏会の招待状が届いたからだ。


「なんで?」


 あて名はたしかにカーラだ。いまだに名字持ちではあるけれど、カーラは別に貴族ではない。それでも透かしの入った美しい招待状はどう見ても本物で、なぜだとひたすら首を傾げてしまった。住所も名前もあってるけれど――

「ま、何かの間違いよね」

 そう呟いて招待状を捨てようとしたところ、ベルに止められてしまった。


「いいじゃない。行ってらっしゃいよ。いい経験になるわ」

「いい経験?」

「そうよ。えっと、そうね。ほらあれよ。客として参加したら、客の気持ちが分かるようになるじゃない!」

「た、たしかに」


 実は好奇心旺盛なこともあって、ベルからこう言われると弱い。つい色々チャレンジしてみたくなるのだ。カーラが伯爵家で如才なくふるまえるのもそのおかげだと思っている。


 今臨時で働いている伯爵家には、時々甥のテオという若い男性が泊まりに来るのだが、見目麗しいテオはメイドにも人気で、色目を使う者が後を絶たないらしい。しかしカーラはしっかり落ち着いた対応ができたことで、メイド長からとても褒められたくらいだ。

 「カーラなら安心だ」と言われたことを自慢すると、ベルにはあきれられてしまったけれど。




(まあ、確かにかっこいい方なのよ。優しいし、ダンスも上手だったし)


 つい一刻前に城であった出来事を思い出し、カーラは他人事のように頷く。

 まさかテオも、自分のダンスの相手が何度か自分を世話をしてくれたメイドだなんて、思いもしなかっただろう。


 今日の舞踏会は、仮面をつけて顔を隠すという趣向だった。だからこそカーラも踏み出せたのだ。しかもドレスも仮面も、ベルの衣装箱にあったものを少しだけお直ししたもの。

 ベルを溺愛していた旦那様が、大枚をはたいて保存用の魔法を施していたらしく、状態はほぼ新品。


「でも誰も使わないものに、そんなに大金をかけるなんてもったいない気が……」

 つい本音を漏らすカーラに、ベルは「情緒がないわ」とカラカラ笑った。

「だから貴女が使えばいいでしょう。物は使ってこそ生きるんだから」


 そしてベルはどこで知ったのか、生地はいいけれど時代遅れだったドレスを、今時のデザインに直す手助けをしてくれる。ベルは物を動かすことはできるけど、縫物まではできないので、それはすべてカーラがした。自分で言うのもなんだが出来は最高で、舞踏会でもまったく見劣りしなかった。


 ただ他の令嬢と違うのは、表向きカーラは、城の下働きとして出入りしたことくらいか。

 本当にどこで知ったのか、亡くなった祖父の古い友人だというスミス氏が、何かと手伝ってくれたのも意味が分からない。


 とはいえ、ベルの近くにいるとこんな感じのことが多いので、正直もう慣れた。というか、考えるのをやめた。

(だって、悩んだり考えたりするだけ時間の無駄なんだもの)


 城に入るとすぐにスミス氏が見つけてくれ、彼のエスコートで会場入りした。入場した後は

「さあ、楽しんできなさい」

 と背中を押されたので、本当に一緒に入ってくれただけ。


 スミス氏を目で追うと、知り合いらしき人たちと歓談を始めたので、ベルは軽く一礼して舞踏会場に入っていった。


   ◆


 舞踏会が開かれていたのは大きな青の広間だ。

 慣例にのっとって進行するそれに、カーラが招待客として参加するのはもちろん初めてだ。しかし以前、小さな舞踏会にメイドとして手伝いに駆り出されたことがあったカーラは、その時のことを思い出しながら、なんでもないふりをして令嬢令息の輪に混ざった。


(お互い誰が誰だかわからないしね)


 緊張しなかったと言ったら嘘になるけれど、むしろいたずらしているような、わくわくした気持ちのほうが大きかった。

 我ながら度胸があると思わなくもないけれど、たぶんこれもベルの血だろう。

 カーラは王族の前でさえ踊りを披露したことがある、美しい舞姫ベルの子孫なのだから。


 最初は独身の男女がそれぞれ一列に並んで向き合って、優雅に体を揺らすようなダンス。そのあと男女一組ずつのダンスになる。

 今回は第一王子の伴侶探しとも噂されていて、「見た目に左右されず、運命の相手を探すんですって」とご令嬢方が楽しそうに噂をしていた。

 実際、仮面をつけていても目立つ第一王子はずっと一人の女性と踊っていたから、きっとあの女性を見染めたのだろう。そう思うと、そんな現場を間近で見られたことは幸運だったなどと思うのだ。


 ただし、カーラをずっと誘ってくるテオがいなければ……。


 カーラは彼が誰かはすぐわかった。顔を半分覆い隠す仮面でも、優しい茶色の目はキラキラしているし、楽しそうな口元も以前見たことがあった。

 伯爵家のメイドたちがこれを見たら、悲鳴を上げて喜んだだろう。


(うーん、テオ様ってばいつにも増して素敵だわ。普段もこんな風に笑ってればいいのに)


 そんなことを考えてしまったのは、カーラが令嬢のふりをしているからだろうか。正直彼の笑顔にドギマギしてしまったし、その体温を感じられそうなほど近くにいることで眩暈がしそうだった。

 でもカーラは最後まで名乗らなかった。名乗れるわけがない。

 テオが機嫌が良さそうなのは、カーラをどこかの令嬢だと思い込んでるからだ。だからこそせっかくの出会いの場を邪魔してはいけないと、カーラは頑張って彼から離れようとした。

 でもダメだった――。


「貴女と過ごす幸運を、この哀れな男に与えては下さいませんか」

「哀れだなんて、そんな。――ほら、あちらに素敵なご令嬢がいらっしゃいましてよ」

「待って、行かないでくれ。私は今夜、貴女と過ごしたいのです。ダメかい?」

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