真夜中に見た運命
秋色
真夜中に見た運命
「まずは、スープをお持ちしました」
ウェイターがスープ皿を運んてきた。ひときわ華やかな女性客がこう尋ねる。
「ねえ、この庭に見えるあの薄紫色の花はローズマリーでしょう?」
郊外にある小さなレストラン、ブランシュ。一面のガラス張りから見える庭には、月と照明に幻想的に照らされた薄紫色の花が見えた。
その夜、店は十数人の女性客で占められていた。
「はい、そうです。本日の肉料理にもローズマリーで香り付けされたものがございます」とウェイター。
「このお庭で栽培されたローズマリーで料理されているなんて楽しみね」
「どうぞ我が店の味をお楽しみ下さい。ところで今日は同窓会なのでしょうか? 皆様、懐かしそうにお話されているので」
「そうなの。十年前まで、同じ女子校の同じ寄宿舎で六年間過ごしたメンバーなの」
「それでは積もる話もおありでしょう」
華やかな女性客は周囲の友人に向かって言った。
「ねえ、みんな、思い出さない? ミス・アンダーソンのハーブ園を。女学園の中庭にあったわよね?」
「憶えてる。だって桜子、そこでこっそり枝を折っては、おまじないに使ってたもの」
「真矢、それ、もう時効でしょ」
「流行ったよね、私達、寄宿生の間で。レモンバームの葉を持つと試験の時に力を発揮できるとか、ラベンダーは恋を引き寄せるとか。可笑しいよね、男子禁制の学校なのに」
「夢叶わずよ」
「でも当時は恋の夢叶わずだったけど、桜子はそれから素敵な人に出逢って二人の可愛い子のママじゃない。私は食い気ばかりだったけどね。だから独身かぁ」
「憶えてる! 私がカレープラントの枝をお守り代わりに持ってたら、真矢が『誰がカレー食べたの?』って。でも真矢は仕事バリバリ出来て、キャリアを積んでるでしょ?」
やがてウェイターがプレートを運んで来た。「こちらはローズマリーで香り付けされたローストポークになります」
「美味しそうよ。ね、楓、スリムなのはいいけどやせ過ぎだからもっと食べた方がいいわよ」
桜子は斜め向こうに座っていたブルーのワンピースの女性に声をかけた。その女性は月のような美しさを持ちながら、その表情はワンピースの色と同じ位寂しげだった。「それにしても楓って相変わらず色が白いのね。うらやましいわ」
「桜子、私はほとんど家で過ごしているから白いだけよ」
「家で? 専業主婦だったっけ?」
「いえ、在宅でアクセサリーを作っているの」
「そうなの? 家庭的な貴女らしくて素敵ね。ね、憶えてる? 家庭に幸運をもたらすウッドローズのおまじないを?」
「ごめんなさい、私、気分が悪くて。ちょっと化粧室に行ってくるわ」ブルーのワンピースの裾をヒラヒラさせ、楓は、席を立った。
真矢が桜子にささやいた。
「桜子、楓は色々あったのよ。苦労したみたい。だから微妙な話題は避けようよ」
「え? 若くして親の決めた裕福な相手と結婚したんじゃなかったっけ? 良家のお嬢様らしく」
「でもうまくいかなかったらしくって、最近離婚したらしいの。私の親が楓の親と親交があるから聞いてるの」
「そうなの? それで素っ気なかったのね。十代の頃は、柔らかな物腰で透明感があったのに。あ、楓が戻って来るわ。じゃ、寄宿舎時代の楽しい思い出話だけにした方が無難ね」
彼女達の学生時代には、季節を追うごとに行事にまつわる思い出があった。美しい思い出もみっともない思い出も笑い話になって、食卓を賑わせた。
デザートのアイスクリームがテーブルに置かれる頃には、ハロウィンの夜の話になっていた。
「ね、いつかのハロウィンの夜の秘密のパーティーの事、憶えてる?」と一人が言うと、皆の反応は様々だった。
「そうね、あんたが一番張り切ってたわよね、優子。でも結局、先生にバレて叱られたわね」
「あれって叱られたのかな。確かにミス・アンダーソンに絞られたわね。でも楽しかったじゃない? みんなでお菓子を持ち寄ったりして。先生はね、こう言ったのよ。
『外国で精霊の祭とされている行事を中途半端に面白がって真似るべきではない』って」
その時、突然「もうやめて!」と楓が叫んだ。「あんな事、しなければ良かったのよ。あんな事、したから……」
皆は
*******
十四才のハロウィンの夜、寄宿舎で秘密のパーティーをした。みんな大はしゃぎだった。おまじないが寄宿舎の中で大流行していた頃の事。
このハロウィンの夜、将来の結婚相手が分かるという占いをしようという話になった。皆、興味はあるものの怖いので、自分で試したくはない。
そのうち、楓がちょうど良いという話になった。楓は真面目な子なので、ヘンな相手が占いで出てくるわけないという信用があった。
「楓、よく言ってるでしょ? 好きな人ができたら、二人で植物園に行きたいって。運命の相手が分かるチャンスなのよ」
委員長でみんなのリーダー的存在の桜子のそんな言葉で楓はしぶしぶ占いを試す事を引き受けた。
それはハロウィンの日の真夜中に、鏡の前で髪をとかしながら林檎を食べると、ちょうど十二時に鏡の中に運命の相手が映るというものだった。雰囲気を出すため、部屋の照明を暗くし、蝋燭の炎だけにした。危なくないように洗面器の中に水を張って用意しておいて。
疑いながらもこわごわ試す楓だった。十二時を刻む秒針の音がした時、楓が思わずはっと息を呑む微かな音が聞こえた。凍りついた様子で。林檎が手から転がった。慌てた楓が明かりを付けようとキャビネットの横のスイッチを探した時、さっき林檎の皮を剥いた果物ナイフが水を張った洗面器の中に落ちた。ピシッと何かが割れる音を聞いた気がした。
「まあ、楓ったら! 水の中に刃物を落とすと将来の結婚相手の顔に傷がつくと言われているのに」
その桜子の言葉にまたも楓は、はっと息を呑んでいた。
その時、寄宿舎の担当のミス・アンダーソンが音を聞きつけてやって来て、皆は散々叱られたのだった。
*******
「私、実を言うと、あの時、鏡の中に運命の相手を見たの」と楓は言った。テーブルは静まり返った。
「色の白い緑色の眼の美しい人だった。私は親の決めた相手と一緒になるものと諦めていたけど、どうしてもそれが忘れられなかったの。
夫は冷たい人だったけど、私に子どもが生まれない事も風当たりは強かったけど、それよりも何よりも私があの日の鏡に映った人を忘れられなかったの。
運命の人と信じていたから」
それからは会話が盛り上がる事もなく、会は解散となった。
「私、気分が悪いので早く帰らせてもらうわね」とワンピースの上に白いスプリングコートを着た楓は、コートの丈を翻し、真っ先に出口に向かった。
*******
足早に舗道を歩く楓は、前方に背の高い姿が交差点を横切るのを見かけた。その横顔に傷が見えた気がしてはっとした。思わず追いかけていくと、角でまるで楓を待っているようにその男は壁にもたれ、紫煙をくゆらせていた。
その眼は緑色で色は透き通るように白く、顔の額から頬にかけ、垂直な傷があった。それにも関わらずその表情は柔和でずっと前からの知り合いのように楓を見た。
*******
桜子は、皆の帰る方向分の数のタクシーを呼んだ。真矢は桜子に言った。
「楓を追いかけなくていいの? 楓、悲しそうだった。私達のせいかしら?」
隣にいた優子も言った。
「そうよね。私も思ったわ。もう本当の事を言った方がいいんじゃないかって」
「あんな話を聞いて今さら言える? 鏡の中に現れたと思っているのは、私達のイタズラで、後ろで優子がポスターを振り上げた反射だったって」
「確かにね。私達のイタズラ、あんなに長年に渡って信じさせる事になるとは思わなかった」と優子は溜息をついた。
「あ、タクシーが来たわ」と桜子。「ね、楓は、東駅の方でしょ? 途中でタクシーに拾ってもらうわ。そして本当の事を打ち明けてみよう……かな。きちんと謝罪して。でも普通、信じるかな。外国の俳優みたいな顔が出てきて、それが運命の相手なんて」
「信じるんじゃない? 純粋な時代だったじゃない。それに私達の女子校のモットーを忘れたの? 『グローバルな人材を育てる』よ」と真矢。
「……にしても優子、あんた、外国の俳優のポスターを使ったのね。そんな微妙な事をするからよ。ジャニーズアイドルのポスターにするって言ってたのに。それだったらこんなややこしい事にならなかったのに」と桜子は文句を言いながら、自分達のタクシーの方に向かった。
「ごめんね、桜子。委員長だったあんたにだけ謝らせて。悪ノリしたのは私達も同じなのに。純粋な時代だった……か」
*******
タクシーの運転手に桜子が「舗道に白いスプリングコートを着た女性が歩いていたら、一緒に乗せてほしいの」と言った時、運転手は言った。「髪が長くて、青いワンピースの裾の見えている女性ですか? 多分その人なら、待ち合わせてた外国人らしい男性と反対の方角に歩いて行くのを、ここに来る途中、見ましたよ。そしてそこにある植物園に入っていきました。あんな所、あったんですねぇ。夜に開いている植物園が」
それはちょうど優子が別なタクシーの後部座席で今日の会話を思い出し、独り言を言っていたのと同じ頃だった。「でも私、外国の俳優でなくて、ジャニーズアイドルのポスター持ってたんどけどな……」
一方、桜子は、タクシーの運転手に詰め寄っていた。「それは本当なの? 何処の植物園?」
「いや、それが門さえ見つからない。さっきは大きく開門していたはずなのに」
「ちょっとしっかりしてよ、運転手さん。それでどんな感じだったの? 表情とか見えなかったの?」
「どんなって。女の人ですか? ええ、幸せそうでしたよ、とてもね。まるで十代の子のように跳ねるように歩いていました」
〈Fin〉
真夜中に見た運命 秋色 @autumn-hue
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