2.不可解な妹夫婦

「義兄上。アーネストです」


 扉の向こうから聴こえた声は、義弟のものだ。


「な、なんだ、どうした?」


 言葉に詰まってしまったではないか。

 義兄らしくといつも気丈に振る舞ってきた私としたことが。


 義弟であり、侯爵でもある彼から見下されては堪ったものではない。

 私はまだ爵位を継いではいないが、それでも次期公爵。彼よりは常に上にあらねばならない。

 たとえ彼が、先の戦争で侯爵家の騎士団を率い、敵城をあっさり陥落させた英雄と称される男であったとしてもだ。


「入ってもよろしいか?」


「あぁ、構わない。入ってこい」


 あえて尊大に言えば、バンと勢いよく扉が開き、ぎょっとした。

 押し入り強盗のような鬼気迫るその勢いは何だ?


 ツカツカツカと足音を立てこちらに近付いて来る勢いにも押され、思わずソファーの背もたれに身を引いた。


「リーナ!」


 しかし義弟は私を見ることはなく、一目散に妹の元へと駆け寄っていく。

 これでは犬のようだ。


「まぁ、旦那さま。そんなに焦っては、はしたなくてよ!」


 妹は昔からこうだった。

 悪気はなくも、こうした発言は男の自尊心を傷付けるから、もう少し言葉を選んで柔らかく話すようにと、母からは厳しく忠言を受けて結婚したはずなのに。


 ところが義弟は、場違いにも妹に向けてふにゃりとだらしなく顔を緩ませ、その後は白々しいほどの早さでその笑みを消すと私には無表情で「同席してもよろしいか?」と問い掛けた。


「あぁ」


 と返す前にすでに座っていた気がするのは気のせいだろうか。

 義弟は妹の隣に座ると、腕を後ろに回し妹の腰を抱いていた。


 おい、人の部屋で何をしている?


「どうされまして?」


「ちょうど下にいてね。大声が聞こえたものだから。君に何かあったらと気が気ではなく飛んできた」


「嫌ですわ、旦那さま。実家の騎士団も負けてはおりませんことよ!」


「彼らの腕を疑っているわけではないんだ。だが君のことは、出来る限り私が側で守りたいと思っている。いつでも俺に守らせてくれ、リーナ」


 かつて社交界で恐れられ遠巻きにされていた男は、一体どこへ消えたのか。

 これではところかまわず婦人を口説く、軽薄な遊び人のようである。


 しかし妹は、私にも分かるほどの恋慕の情を夫から熱心に注がれていても、それを取り合わなかった。

 これだから政略結婚は嫌なのだ。


「あの子たちはどうしていまして?」


「ふっ。あとで聞くぞ、リーナ」


「……今は聞いたことにだけ答えてくださいます?」


「そうだな。義母上がお世話をしてくれている。というか、奪われた形だな」


「まぁ、またなのね」


 両親は初孫のときからこうだ。

 妹に二人目が生まれ落ち着くかと思いきや、さらに酷くなっている始末。


 今や孫にメロメロで、公爵夫妻としての威厳も何もない。


「何度見ても慣れませんわね。お父さまもお母さまも子どもの前ではあんな顔をなさるだなんて」


「それはやはり親としては子を厳しく育てねば……と言っても俺には無理だな。子を持つと以前にも増して、お二人のことを心から尊敬するようになった」


「そうよ、あなた。もう少し厳しくしてくださいな」


「そういう君も──」


「おい、お前たち」


 夫婦の会話が長くなりそうで、私は止めた。

 そういうことなら、部屋を出て続きをすればいい。


 妹が今さら私の存在に気が付いたようにこちらを見ると、「だから嫌なのですわ」と囁いた。


 おい、それも聞こえているからな?


「お兄さまとのお話が途中になっておりましたね」


「これは申し訳ない。私が急に来てしまったばかりに」


「謝らなくていいわよ、旦那さま。すぐに分かってくださらないお兄さまが悪いんですの。そうでなければ、もう部屋を出ていたわ」


 何度も言うが、ここは私の部屋だ。


「大事なことをお伝えするわ。よくお聞きになって、お兄さま。お父さまは『次代はお兄さまを飛ばし、わたくしたちの次男でも構わない』、そう言っていらしてよ」


「なんだとぉ!!!!」


 うっかり叫んでしまったら、義弟は妹を庇うようにして抱きしめた。

 なんだ、その対応は。私が妹に何かするとでも思っているのか?


「お兄さま、うるさくてよ。子どもたちが泣いてしまうから、お声には気を付けてくださる?」


「……それはすまないが、どういうことだ?」


 確かに甥姪が泣いてしまうのは避けたい。

 いや、待て。


 ここは公爵家の邸内。

 妹とはいえ、もう家を出た身。そして私はこの家の嫡男だ。

 侯爵一家に気を遣えと妹から注意を受けることは違うのではないか?


 しかし今の話が本当で、私が後継とならず、妹夫婦の次男が──。


 そんな続く疑問は妹の声に打ち消された。


「どうもこうも、そのままの意味よ。ねぇ、あなたも聞きまして?」


「義父上からは万が一のときには頼むと言われたな。そういえば、つい先まで義母上がもう一人はいつかとやたらと聞いて、男の子が生まれやすい方法があるから、あとで君に教えておくと……」


 やめてくれ。

 私の前で見つめ合い、お互いに頬を赤らめるようなことは即刻やめろ。

 なんだ、そのねっとりとした熱の籠った瞳は。


 もう気分が悪い。


「話は済んだな?お前たち、出て行ってくれ」


「次のお見合いで結婚を決めると約束してくださるまでは出て行けませんことよ」


「知ったことか。俺のことには構うな。父上はお前の子に後を継がせる気になったのだろう!ならば、私は結婚など不要!」


 妹の子を後継に。

 それは私の後にという意味だと思いきや、私をすっ飛ばすとは。


 まさか父上がそのようなお考えを持っていたなど……到底許せない!

 それはこれまでの私の生き様の全否定ではないか。


 次期公爵となるべく苦労した時間を返して欲しいものだぞ!

 もはや後継としての振舞いなど不要!

 これからは好きにさせて貰う!


「愚かなことを考えないくださいます?だからお兄さまは狭量で嫌なのよ」


「そんなことはない。心の広い私だから、喜んで祝ってやる。良かったな、まだ見ぬ次男は次の公爵だ。おめでとう!」


「嫌ですわ、視野の狭い殿方はこれだから。私たちは喜べませんことよ」


「何が不満だ?次男など婿になるしかないのだぞ?この家を継げるなど幸運ではないか」


「お兄さまのそういう短絡的なところが嫌だと言っておりますの」


「ごちゃごちゃとうるさいな。お前こそ、もう少し女らしく──」


 ひゅうっと冷たい風を肌に感じ、言葉を止めた。

 窓も扉も閉じて見えるが、どこから吹いた風だろうか。


 何故か斜め前にいる義弟だけは見たくなかった。


「義兄上。有難いことに、妻はよく淑女の鏡として貴婦人方には褒められておりましてね。夫としてもこんなにも素晴らしい女性を妻に出来たことを、心から喜ばしく、また誇らしく思っているわけなのですよ。現にこの場でも妻はうるさい声を一切出しておりませんし、いつも妻は穏やかで、とても優しく女神のようで……そうですね、義兄上?」


 …………女神?いや、聞き間違いか。うん、そうだな、そうに決まっている。



 こちらに向けた義弟の目は、どう見ても据わっていた。


 本気で押し入り強盗をするために来たのではあるまいな?

 私の部屋には金目のものなど……そこそこにはあるな。それは公爵家だから当然か。


 だがお前たちとて侯爵──。


 はっ!まさか!

 王命で公爵家を討ち取りにきたのではあるまいな?

 いつの間に我が家は国から敵として認定され──。


 そういうことか!

 だから父上は私を守るためにと次代の座から退け──。


「お兄さま、くだらない妄想は後になさってくださる?とにかく結婚よ。いい加減に結婚してくださらなければ、私たちが困るんだわ!」


 だから心底残念そうにこちらを見るのはやめてくれ。

 その間に、いちいち熱の籠った目で夫を見上げるのもやめろ。

 義弟よ、お前もだぞ。


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