4.言質は取りましたので

「ではご質問には、『いいえ』と答えます」


 公爵夫人になりたくて、婚約を望んでいるか。

 私の答えは否でした。


 非礼な発言を待っていたのでしょう。

 令息様は、驚いて私を凝視されておりました。


 けれどもすぐに我に返ったようです。


「気を遣うことはない。本音を言っても咎めないと約束したのだ。素直に話せ」


「これが本音です。公爵夫人になどなりたいと思ったことは一度もございません」


「なんだと?」


 公爵夫人を貶める気はありませんでした。

 むしろ尊敬しているからこその発言です。


 しかしながら、令息様には伝わっていないようですね。


「母上を愚弄する気か?」


 令息様が鬼のような顔をされて言いました。

 綺麗なお顔を歪め感情を露わにされますと、急に人間味を感じます。


 噂通りの方なのでしょうね。


 かつては妹である公爵令嬢様のエスコートをするときばかり、この令息様は社交の場に参加されておりました。

 公爵令嬢様がご結婚されて侯爵夫人となられた今では、侯爵夫妻が参加されるときだけ社交の場に姿を見せられると言われています。


 ですからこの令息様が長くご結婚されない理由として、妹への愛が重過ぎるのではないかと囁かれていたのです。

 侯爵夫人はご結婚される以前から完璧な淑女と名高い方でしたから、この国に妹を越えるご令嬢が存在せず、誰も見初められないのだと予想されていました。

 高位貴族の噂話など褒められたものではありませんが、この方はお見合いの回数が異常でしたからね。


 つまりシスター・なんとかです。


 けれどもこんな風に感情的になるのでしたら、家族愛が元々お強いのかもしれません。

 それとも母親への愛に限るのかしら。


 母と妹に強い愛を持ち、結婚を拒む男──。


 ……無理ね。

 あの方はもしも、万が一、今日世界が終わるような何かの間違いが起こってあなたが気に入ったときには、それは有難いと言っていらしたけれど。


 とても無理だわ。

 私のすべきことを済ませ、さっさと帰ることにいたしましょう。


「滅相もございません。その逆です。私のような子爵家生まれの者には身に余ることであると言っています。公爵夫人として振舞うこともそうですが、社交やお仕事なども大変なのでございましょう?」


「……確かに昔は母上も体調を崩されることが多かったな。公爵夫人として求められる責務が大変だったのかもしれん」


 高位貴族の夫人がどのような働きをしているのか。

 想像も出来ませんし、私はそれを知りたいとも自分がそうしたいとも思いません。


 出来れば貴族などやめて、呑気に暮らしたいくらい。

 それは貧乏子爵家の娘だから思えることなのでしょうね。


 この令息様のように高位の貴族がそれを仰れば、むしろ私が出来るものかと鼻で笑って差し上げたいところですが。


「では、何故この場に参った?」


 聞いてはおりましたが、本当に視野の狭い方なのですね。


 やはり世界が終わるほどの奇跡は起きないようです。


 お約束通り、あの方の領地で働かせていただくことにいたしましょう。


 ですが、侍女は不可能だと分かりました。


 先ほどの侍女さんたちのように気配を消して働くことなど出来そうにもありませんし、別の仕事をお願いすることにいたしましょう。令嬢らしさを求めなければ、私にも出来ることのひとつやふたつ、何かあるでしょうし。

 むしろ出来れば令嬢らしさを忘れ気楽に働けるお仕事を頂きたいですね。


 ついでにお屋敷でのお仕事もやめておきましょう。


 こんなに広いお屋敷に長居することを考えるだけでも落ち着きませんからね。

 まだお伺いしたことはありませんが、間違いなくあの方のお屋敷も広いはず。国の英雄の住まう城ですからね。


 ある意味、この場に来ておいて良かったのかも?


「何を言っても咎めないぞ。早く言え」


 私が言葉選びに躊躇していると感じさせてしまったようです。

 今の間は、ただ少し考え事をしてしまっただけなのですが。


 では「咎めない」というお言葉を信じて、お役目を果たすことにいたしましょう。

 もう二度と足を踏み入れることはなさそうですし、記念に紅茶をもう一口頂いてから。


 ──とても美味しいです。


「では僭越ながら、自由に発言させていただきます。あなた様だけがこの場にいることを無理強いされたと勘違いなさっておられませんか?」


「何だと?」


 令息様の声色が低くなっておりました。


 もう何度も咎めないと言ってくださったというのに。

 忘れっぽい方なのですね。


 ますます世界の終わる奇跡は訪れないことが分かりました。


「最初に私も同じだろうと仰いましたね?私には今まであなた様とお見合いなされたご令嬢様方のお気持ちを察することは恐れ多く不可能です。けれどもひとつ確かに言えることがございます。それは私たちが貴族であるということです」


「何を、当然のことを」


 心から馬鹿にしているような目を向けられましたが、私は言葉を続けます。

 もしかしたら、同じ目で見返してしまっていたかもしれません。


「貴族に生まれたからには、当主の決定は絶対です。家のために、領民のためにと、尽くす義務もございましょう」


「そんなことは君から聞くまでもなく分かっている」


「いいえ、分かっておりません。あなた様は、私が公爵夫人になりたいがためにこの場にいるのか、そのように私個人に問われましたね?」


「……」


「分かっていたら、そのようなこと決して口に出来ないはずです。貴族ならば、誰がこの場に来ることを決定するか、それも分かってございましょう?」


 令息様だって、その決定に従ってこの場にいるのですよね?

 たまにその決定を無視し逃亡されていることも聞いておりますよ。


 公爵家だから、そのように振舞えるのです。

 これが子爵家だったら、お取り潰しか廃嫡、縁切りという騒ぎになることをご存知ですか?


 とまでは言いませんが。


「君は嫌々この場にいると言いたいのだな?」


 まだお分かりいただけていないようで、とても残念です。

 貴族は曖昧な表現を好みますが、言われた通りはっきりお伝えすることに決めました。


「それも違います。私はこの場に貴族としての義務を果たしに参ったのです」


 あなたはあなたの義務を自分のお気持ちだけで放棄されてきたようですが。

 とてもいいご身分でうらやましい限りです。


 さすがにそこまでの嫌味は伝えませんでしたが。

 公爵令息様のお顔色が少々変化しておりました。




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