3.嵌められた公爵令息
困ると言われたところで、私の知ったことではない。
公爵である父の決定は絶対だ。
だから知らぬと答えずにいたら、妹の目付きが変わった。
「次のお見合いで必ず婚約を決めてくださいまし。いいですね、お兄さま?」
妹のこの射るように真直ぐに私へと向かう視線が、昔から得意ではない。
しかし義弟の前だ。威厳を損なわぬよう、私は強めに言った。
何故か義弟からは射るどころか大剣で切り掛かってくるような視線を注がれているような気がするも、そちらは見ないでおく。
「私が後継であろうとなかろうと、お前たちの子がこの家を継ぐ可能性が出て来たのだ。私が結婚を急ぐ理由はない」
ほらね、お父さまはまた失策を選ばれたのよ。
お仕事は出来るのに、どうしてお兄さまのことになるとこうも上手く出来ないものかしら。
公爵権限で結婚させてしまえばよろしいのに。
おい、リーナ。聞こえているぞ!
「お兄さまは、わたくしたちから子どもを奪うつもりですの?」
「何故私が奪うことになる?父が決めたことだ!」
「お兄さまが結婚されて、子が出来ればそれで済む話だわ。そのうえでもしものときは、わたくしとて考えますわよ」
「素直に喜んで、父上のお考えに従えばいいではないか。子が公爵位を得られるのだぞ?」
「喜びませんと言いましたのに。まだ分かりませんの?」
何故いちいち私に同情的な目を向けるのだ。
私は兄だぞ?
「長男は侯爵家の後継。その弟が格上の公爵家の跡取りなんて……胸が痛むわ」
まだ次男も生まれていないのに、よくそこまで想像するものである。
義弟が妹の隣で「相変わらずリーナは優しい」と言っているが、はたしてそうだろうか。
むしろ優しくないのではないか?
これから生まれるかもしれない子から公爵位を奪おうとしているのだから。
「仕方がありませんわね。少々不敬なことを言いますわよ、お兄さま」
「なんだ、急に?」
「ここだけの話にしてくださいまし。お兄さまはたとえばわたくしが王家に嫁ぎ、いずれは王妃になると決まっていた場合に心から喜べまして?」
私が言うより先だった。
「待ってくれ、リーナ。その想像はとても許せん」
「あら、ごめんなさいね、旦那さま。もののたとえでしてよ?」
「それは分かっているが……くっ。駄目だ。今夜にでも闇討ちに行きたくなる」
「あなたこそ、おかしな想像をしないでちょうだいな。王太子殿下はすでにご結婚されておりましてよ」
「側妃という道もあるではないか」
「旦那さま、わたくしの夫はどこの誰ですの?」
「ここにいる私だったな」
うふふ、あはは、ではない。
何を二人の世界に浸っている?
「あら、ごめんなさい。お兄さま。とにかくですわ、兄弟に無駄な火種など与えるべきではありませんことよ」
確かに王妃となった妹に跪き頭を下げることには屈辱しかない。
妹が王家を例えに出した意味は分かっている。
公爵位を越えるとなれば、王家くらいしか引き合いに出せないものだ。
妹が王太子と……ふむ。確かに気に入らないな。
だが相手がこの侯爵だからと妹の結婚が喜ばしいものにはならない。
そもそも全部が気に入らないのだから。
無理に結婚することはない。
ずっと公爵家にいるならば、世話をしてやらなくもないぞ。
そう伝えてきたというのに、妹は私を鼻で笑うようにして、さっさと結婚しこの家を出て行った。
だから妹の子どもたちだって、後継以外はいずれ外に出ていく時が来るのだろう。
あんなに小さな子どもたちが…………我が家の後継で構わないのではないか?案外いい考えではないかと思えてきたぞ。
さすがは父上。よく分かっておられる。
「お分かりになりまして?」
違う、それではない。
「いいや、分からんな。その考えでいけば、弟は格下の家に婿に入ることになる。それはそれで、兄と比較した弟が苦しむことになるのではないか?」
「ですから、わたくしたちの手元で育てたいのですわ」
なんだ、父上たちに我が子を取られたくないだけか。
確かに弟だけが両親から引き離されて公爵家で育てられるとなると、兄弟の仲は歪みそうである。
その点、両親から同じように育てられ……それはそれで同じく育ち身分差が出ることに不満を覚えることもあるのではないか。
しかし同性の兄弟を知らぬ故か、私にはよく想像出来ない。
しかしこの妹ならば、どうにかうまく子どもたちを導くのだろう。
それは分かった。
だが、そう考えると……。
かつて妹が『貴族の義務でしてよ!』とよく言っていたことを思い出す。
すべては領民のため、そして家のために、利となる方を選ぶべし。
それが妹の一環した考え方だったと記憶しているが──。
「どうなさいまして?」
「お前も変わったなと思ってな」
つい本音を言えば、何故か妹夫妻は見詰め合った。
いや、だから、なんでだ?
「とにかくお兄さま、明日のお見合いは絶対に成功なさいませ」
「明日だと!」
思わずソファーから立ち上がっていた。
「あら?聞いてございませんの?」
「知らん!誰だ、私への連絡を怠ったのは?」
「何度か逃亡しているお兄さまですもの。さぁ、あなたたち、出番ですわよ。せめて見目だけでも素敵な殿方に整えてちょうだいな」
妹がパンパンと手を鳴らすと、どこからか侍女たちがわらわらと湧いてきた。
いや、待ってくれ。
普段から湯浴みや着替えに侍女の世話など受けてはいない。
そんなものは子どもの頃だけだったはずだ。
いつもいる、ローゼンよ!
侍従の役目はどうした!
はっ。あんなところに。
扉の向こうの廊下に立って何を達観したような遠い目で私を見ているのだ。
いいから、助けろ。
何故そこで私を拝む?
何?侍女たちには敵わないだと?
それでいいのか、公爵家よ。
後継付きの侍従よりも侍女たちの方が偉かったのか?
こうして私は浴室まで引きずられ、衣服をひん剥かれ、強制的に湯に入れられた。
そして侍女たちにどこまでも磨かれながら、「まぁ、成長なさいましたね」なんて昔からよく知る侍女には笑われて……なんだ、これは、拷問か?
お見合いの前に心が折れそうなのだが?
「明朝にまたお世話に参ります。今宵はごゆっくりお休みくださいませ」
侍女たちは恐ろしい言葉を残し出て行った。
よし、逃げるか。
そう思ったが。
何故騎士が私の部屋の前を警護しているのだ。
それも何故こんなにも多くの騎士が立っている?
当主の孫たちが来ているのだから、そちらを手厚く警護したらどうなのだ?
この国の守りの要である侯爵領から、わざわざ侯爵夫妻が出て来ているのだぞ?
それこそ、何かあったら一大事だ。
騎士の一人と目が合い、無言で扉を閉めた。
こうなったら窓から樹を伝い……何故窓が開かないんだ。鍵が掛かって……いつの間に外側に鉄格子まで備わっている。
ここは本当に私の部屋か?
寝るしか道はなかった。
父上は妹が来るタイミングで、見合いを設定したに違いない。
完全にしてやられた。
妹が嫁いでからは、逃げ回っていられたというのに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます