1.公爵令息は妹から非難される

「お兄さま。愛とはどこか遠くを探すものではありませんわ。お相手を決めたあとに紡ぐものなのです」


 目のまえで優雅に語る婦人は、妹である。


 人の部屋に強引に入ってきた妹は、私の許可なくソファーに座ると、続いて入室してきた侍女たちも勝手に動いた。

 妹の前にあるテーブルに紅茶や焼き菓子が並べられていく間に、誰一人として私に許可を得ることがない。


 そうして今、妹は優雅に紅茶を嗜みながら、雄弁と語ったのだ。


 私がその向かいのソファーに座って、あえて礼儀悪く足を組み不機嫌さを露わにするも、妹には何の効き目もない。

 この二つのソファーは私個人に対する来客用ではあるが、窓からの日当たりもよく、私が寛ぐ場所として気に入っていた。

 なのに嫌な記憶が根付いてしまったではないか。

 ちょうどいいから、ソファーもテーブルも一新させるか。


「何を偉そうに、分かったようなことを言っている」


 何だ、その目は?心底可哀想だと語っているようではないか。

 私はお前の唯一の兄なのだぞ?


「はじめからお兄さまのすべてを愛してくださる方なんておりませんわ。世の中はお兄さまに都合良く出来ておりませんのよ。お父さまのお言葉に従って、お見合いなさいませ」


「もう何度もしたではないか!結果は聞いている通りだ!私はもう時間を無駄にしない!」


「ではどこでどのようにお相手を見付けて来るつもりですの?」


「そういうものは自然に出会う方がいいと決まっている!だからお前までこの件に口を挟むな!」


 厳しめに言ったところで、妹はカップを持つ手を寸でも揺らさなかった。

 さすがであるが、今は悔しい。


「せめて社交場に出てから言ってくださいます?相変わらず邸に引き籠ってばかりだそうね?」


「私は好きで引き籠っているわけではない。父の仕事を手伝っていて忙しいのだ!」


 次期公爵として覚えることも考えることも数多あった。

 それも優雅に暮らす侯爵夫人には分かるまい。


「お父さまが社交場に出ていらっしゃるのに、どうしてお兄さまが出られないのかしらね?余程お仕事が出来ないのかしら?」


「なんだと!お前に仕事のことなど分かるまい!口を出すな」


「いいえ、今日は厳しく伝えますわ。お父さまが困り果てておりましたもの」


 音を立てずカップをソーサーに戻すと、妹は微笑した。


「そうね。そのお兄さまの仰るお相手が、精霊様のいたずらか、神様の気まぐれか、天変地異の前触れか、余命と引き換えに悪魔との契約で遣わされたか。そんな感じである日突然お兄さまの目の前に現れたとして」


 なんだ、その物々しい奇跡の数々は。


「お兄さまはその女性のことを何もご存知ないのよ?せいぜい現れた瞬間に確認出来た容姿だけ。それでどうしてお兄さまはその方のすべてを愛することが出来るのかしら?」


「それは……運命の相手だからだ。初対面でもすべてが分かる」


 本当のところは知らん。

 それは経験がないのだから、仕方がないだろう?


「それって、お兄さまのお見合い相手の皆様も同じではなくて?」


「何?」


「だってお兄さま、わざわざお兄さまのような面倒な男との時間を作ってくださった天使のような清らかな心をお持ちのご令嬢の皆様なのよ?あちらもお兄さまの絵姿と恥ずかしい噂話くらいしかご存知なかったのではなくて?それでもお兄さまにお会いして、運命の相手だと信じてくださり、是非とも結婚したいと仰ってくださったのでしょう?」


「違う!あいつらは爵位に目が眩み、私に近付いただけだ。そして私は顔がいい」


 なんだ、その光のない目は。

 私が何をしたと言うのだ。


 お前だって、我が家は見目だけはいいとよく言っていたではないか。

 それとは違うと言うのか?


「お兄さまはその珍しいお眼鏡にかなう可憐なご令嬢が現れて運命を感じられたときに、その方の容姿を褒めるのではなくて?お相手の方はお兄さまのようにそれを嫌悪されるかもしれないわ」


 ちょこちょこと嫌味を挟まれているように感じるのは気のせいか?

 それを挟まずとも会話になる気がしなくもないぞ。


「それと一緒にするな。私には心がある!」


「それはどうかしらね。お見合い相手の皆様がお兄さまに一方的な運命を感じられたように、お兄さまと同じ気持ちにはない可能性の方が高いと思われますわよ?私の容姿に目が眩んで言い寄る男なんて気持ちが悪いと拒絶されるのではなくて?」


 気持ちが悪いとまで言う必要があったか?

 私は妹の言葉を強く否定した。そうせねば、心に大きな穴が空いてしまいそうだったからだ。


「そんなことは起きない。本当の運命の相手であるならば、最初から互いに想い合っているはずだからな」


「…………重症だわ」


 だから何なのだ、その目は?

 母親になったからと、私にまで残念な子を見るような目を向けるでない。

 私はお前の兄だぞ?


「お前などに何が分かる!父上から言われるままにあっさりと婚約し、結婚すればさっさと子どもを二人も──」


 顔が熱くなって言うのをやめた。

 妹に告げることではないと思っただけだ。


 すると妹は急に大きな慈愛を感じる柔らかい微笑みを浮かべるのだった。

 これはこれで落ち着かない。


「聞いてくださる、お兄さま?旦那さまったら、おかしなことばかり言うのよ。もう子どもは要らないとずっと拗ねておられたのに、すぐに三人目も出来そうだとそれは嬉しそうに……あら、いやだわ。こんなこと、初心なお兄さまに伝えることではなかったわね」


 これは初心だからではない。


「もっともだ。聞きたくもないからやめよ」


 妹のその手の話など聞きたい兄がいるものか。

 そうだ。だから私は別に、この手の話全般に照れているわけではない。


「お兄さま、もう時間がございませんことよ。次のお見合いで決めましょう」


「馬鹿を言うな!次もろくな女ではないかもしれん」


 妹は元々きつい目を吊り上げて、私を睨んだ。


 その視線に、かつて妹について囁かれていた言葉を思い出す。


 綺麗だが、情が足りないだとか。

 美しいが、可憐さが感じられないだとか。

 淑女として完璧でも、言葉がきつく優しくないだとか。

 あの冷酷非道な男には至極お似合いの婚約者だとか。


 社交界では好き勝手に語っていた男たちを知っていた。

 私の一睨みで、彼らは口を噤み、私の前から姿を見せなくなったけれど。


 こんな妹だが、他人に罵られることは好まない。

 こんな妹だがな。



 だが今はそういう声を聞くこともなくなった。

 一時は私が睨みを効かせてきた結果と捉え、兄をもっと敬えと思っていたものだが──。



「お父さまがついに仰いましたわ。次が男児だったときには、後継にさせて欲しいと」


「なっ。後継だと?どこの家の話だ?」


「この家に決まっておりますわよ。お兄さまは本当に公爵家を継ぐ覚悟がおありなのかしらね?」


 くっ。偉そうにぺらぺらと。

 生家とはいえ嫁いだからには他家の人間だ。

 我が家の後継について口を挟まれる謂れはない。


「たまたま今が未婚なだけだ。次期に相手は見付かるのだから問題ない」


「お兄さまに見合う年齢のご令嬢が、この国にあとどれだけいるかご存知ですの?ご令嬢たちは刻々とご結婚なさっておいでですのよ!まさか幼女趣味とは言わないでしょうね?」


「ふ、ふざけるなっ!そんな趣味はない!この国が駄目なら他の国から受け入れるまで!」


「ふざけているのはお兄さまよ!他国に打診した時点で、断ることは出来ませんわよ?それでよろしくて?」


「うるさいっ!黙れ、相変わらず口の立つっ!結婚して少しは大人しくなったと聞いていたが、あれはただの噂だったのだな!まさか、お前が自分で流したのではあるまいな?」


「まぁ、失礼ね。そういうところですわよ、お兄さま!お兄さまは視野が狭いんですの!」


 どうやら騒ぎ過ぎていたようだ。

 不意に寒気がしたあとに扉を叩く音が聞こえ、もうその時点で身体は冷え切っていた。


 あれは魔法でも使えるのか?



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