夜になったら眠らない

久世 空気

第1話

 世界から朝がなくなってからどれくらい経っただろうか。時計は0時から動かないし、学校に行く必要もなくなった。夜だけの世界は静かだ。みんな息を潜めて暮らしている。僕は今日も外に出て、公園をぶらぶらしていた。

「星雄」

 鉄棒で逆上がりをしていたら叔父の鉄郎さんがやってきた。

「夜中に遊び回るなんて不良少年じゃん」

 鉄郎さんは冗談めかして言う。まあ、ずっと真夜中なんだから、本気で言うわけが無い。

「鉄郎さん、たまにはうちまで遊びに来てよ。すぐそこだよ」

「いいけど、おまえの親父が怖いからなあ」

 お父さんは鉄郎さんが定職に就かないから嫌っている。家に来るのは嫌がるし、もう星雄と会うな、なんていう。でも鉄郎さんは気にしてないと思う。正月やお盆に集まるときはふらっとやってきて、僕や従兄たちに面白い話をしてくれる。たまに僕たちにも話させる。芸があったら芸もさせる。そしたらお駄賃をくれる。ただお年玉は一度ももらったことがない。

「じゃあ、また面白い話して」

 鉄郎さんはタバコをくわえて火を付けた。タバコも、僕の前で吸ってたらお父さんはめちゃくちゃ怒る。だからといって、鉄郎さんが吸ってないところは見たことがない。

「そうだなぁ。夜だから猥談かなぁ」

「それ、お婆ちゃんにフライパンで叩かれて怒られてたじゃん」

「いないから、いいだろ」

「面白い話が良い」

 鉄郎さんは本気で猥談がしたかったんじゃないのだろう。タバコをぷかぷか吹かしながら、考え込んで、話し始めた。

「ある会社に朝から幽霊が出た。生きていたときみたいに出勤し、夕方に消えていく。他の社員は怖くて近づけない。だから除霊してもらおうと坊さんを呼んだ。しかし幽霊は成仏したくなかった。何故だと思う?」

 僕は鉄棒にぶら下がりながら想像した。幽霊ってそもそもしごとできるんだろうか?

「んー、まだやりたい仕事があったから?」

 鉄郎さんは一本目のタバコを携帯灰皿で潰し、もう一本火を付けた。

「いや、楽だったからだよ」

「仕事って幽霊でやった方が楽なの?」

 僕が聞くと、へへっと鉄郎さんは笑った。

「そうじゃない。その幽霊は過労死したんだが、死んでみると誰も無理矢理仕事を押しつけてこないし、深夜まで残業させられないし、快適だったんだ」

「その人、朝が来なくなって成仏しちゃった?」

 朝が来ないから、大人は仕事をしなくなった。お父さんもずっと寝ている。起きているのは昼夜逆転している鉄郎さんとか、眠れない僕くらいだ。

「・・・・・・ま、成仏はしたよ」

 それなら良かった。タバコをはさむ鉄郎さんの指が、少しぎこちない動きをしていることに気付いた。そういえば、今日は冷える。

「鉄郎さん、うちにおいでよ」

「え?」

「お父さん寝てるし、気付かないよ」

 鉄郎さんは少し迷って、そうだな、と歩き出した。僕も一緒にマンションに向かった。エントランスとエスカレーターは禁煙だと言ったら、鉄郎さんは不服そうに、タバコを潰した。

 お父さんを起こさないように、そっと玄関を開ける。玄関から廊下に掛けてフットライトが小さく照らしている。

「意外とキレイにしてるんだな」

 あまり気を遣わない声量で鉄郎さんが言う。

「お母さんが居たときより片付いてるんだ」

 お母さんは家事が苦手だったから、ずっとお父さんと喧嘩してた。お母さんは買い物に行くと言って出て行って、いつの間にかお父さんと離婚していた。

「連絡無いのか?」

 鉄郎さんはブーツを脱いで上がってきた。

「全然。お母さんも寝てるんじゃない?」

 薄暗い廊下をそろそろ歩いて僕の部屋に入った。部屋の中をざっと見渡して、鉄郎さんはゲームのコントローラーを手に取る。

「毎日してたのか?」

「そうだよ。お父さんが寝てから」

 お母さんが居たときは1日30分の約束だった。だけどお父さんに禁止されていた。

「いつから眠れないんだ?」

「ずっとだよ。覚えてない」

 こっそりゲームで遊んでいたら、寝るのが惜しくなっていって、気がついたら眠らなくなっていた。ずっと夜が明けなければ良いのに、そうすれば学校に行かなくて良いのにって思っていた。

「ずっと夜になって良かった」

 鉄郎さんは黙ってタバコに火を付けた。子供部屋だからって気にしないんだなぁと驚いたけど、嫌じゃなかった。

「友達と会いたくないのか?」

「いないよ。他人と、上手くしゃべれないんだ」

「俺達とはよく話すのにな」

「うん、親戚とか家族は、大丈夫なんだけど」

 これは何度も先生や両親に指摘されていた。お母さんがいなくなってから、特にお父さんが厳しくて、その日何人と話したか毎日確認された。嘘をつくとばれる。先生に確認するから。

「星座の話、しろよ。おまえいつも話してるだろ」

「そんな教室でいきなり星の話したら頭可笑しいって思われるよ」

 教室の真ん中で、僕が一人でこと座流星群の話をするところを想像してみた。少しヤバめだ。

「同じ趣味の奴が釣れるぞ」

「そうかなぁ」

「今年の正月も、晃太がおまえの話を聞けなくて残念がってた」

 晃太は一つ年上の従兄だ。おっとりしてて、聞き上手で、年に2回くらいしか会わないけど仲良しだ。

「大学に行くまで盆暮れ正月はないってお父さんが言うんだ」

 僕は勉強が出来ないから、去年からお父さんが決めた。本当は皆と会いたいけど、お父さんの車じゃないといけない距離だ。

「大学って、あと何年だ?」

 7年かな、と言いかけて分からなくなった。ずっと夜だから月日が流れている感覚がない。

 部屋の中のデジタル時計はずっと0時ちょうどを表示している。ここから動くことはない。動かなければ良い。もし朝が来てしまったら、また学校に行って、頑張って誰かと話そうとして、しんどくなって、トイレから出られなくなって、放課後は誰もいない家に帰って、お父さんが帰ってきたら怒られて、勉強して・・・・・・。

「星雄」

 ぼーっと時計を見ていたら鉄郎さんが頭をぽんぽんと軽く叩いた。鉄郎さんらしくない行動でびっくりしていると、

「今は楽か?」

 と聞いてきた。

「楽、かな?」

 おや? 何かさっき聞いたな。楽。

――「いや、楽だったからだよ」

 タバコの煙が揺れて、流れる。窓が開いている。いつから開いていたんだろう。閉めようとして、手を伸ばす。窓の外は夜空だ。星が綺麗だ。ずっと眺めていられる。

「また落ちるぞ」

 鉄郎さんが僕の肩を掴む。

「また?」

 僕が振り返ると鉄郎さんはいつにも増して真面目な顔で僕を見ていた。

「それともわざと落ちたのか?」

「ここ8階だよ。落ちたら・・・・・・」

 窓から入る風は冷たい。だから鉄郎さんはまだコートを着たままなのに、僕はスウェットだけなのに何も感じない。

「星を見たかっただけなんだ」

 あの日も今日みたいな雲一つ無い夜空だった。空気が冷えて透き通っていて、星がよく見えた。窓から身を乗り出したら危ないことは分かっていた。でもそんなことより、星が見たかった。窓枠に上って、上半身を外に出したら、空を飛んでるような気持ちになった。でもサッシを握っていた手が滑った。つかみ直そうとしたけど、体が引っ張られるように地面に傾いて・・・・・・。

「朝は来るよ」

「え?」

「おまえが夜の世界に入り浸っているだけだ」

 なんだ。世界から朝が消えたわけじゃなかったんだ。止まっていたはずのデジタル時計は2時12分を指している。時間が動き出した。

「僕は死んだの?」

「一年前に、死んでる」

「本当に、僕は駄目だなぁ」

 何をしても上手くいかない。何も出来ない。駄目な子だ。最期に本当に馬鹿なことをした。

「駄目じゃねぇよ」

「でも、もうどうしようも無い」

「どうしようも無くねぇよ」

 外が明るくなってくる。暖かい光が部屋に差し込んでくる。

「あれは朝日?」

「いや、おまえが行くべき場所だよ」

 鉄郎さんの顔を見ると涙が流れていた。ここで本当にお別れだと僕は気付いた。

「星雄は短いけどちゃんと生きただろ。俺は知ってる」

「うん、ありがとう。また会えるかな」

「俺みたいな奴に会わない、ちゃんとした家に生まれ直せ」

 僕が吹き出すと、鉄郎さんも少し笑った。

 光がまた強くなる。優しい光。早く包まれたい。

「じゃあね」

 僕は窓枠を掴み、思いっきり体を窓の外に乗り出した。

 

 俺は暗い子供部屋でタバコを一箱吸いきった。

 窓から本当の朝日が差し込み始めたときに、兄貴がやってきた。俺を見て、困った顔をし、何か言いかけて止めた。

「逝ったよ。ちゃんと成仏した」

 俺から先に声を掛けると、ほっとした顔で「ありがとう」と、これまで言われたことがない言葉を言われた。星雄が事故か自殺か分からない状態で死んでから、ずっと部屋の中に星雄がいる気配がすると、母親伝てで相談があった。来てみると星雄は生きているときのように遊んでいた。何度か会いに来てわかったが、星雄はずっと真夜中の世界に自分を閉じ込めていた。

「星雄が不眠症って気付かなかったのか?」

「夜、起きている気配はしていたけど、勉強しているんだと思っていた。学校で寝ているって話は聞かなかったし」

 思わずため息が出た。それに兄貴は苛立った。

「俺だって必死だったんだよ。仕事だってあるし、一人で子供をちゃんと育てないとって、プレッシャーもあったんだ。根無し草のおまえには分からないよ」

「知らねぇよ。俺は、俺の立場で悲しんでるんだ。兄貴は関係ねぇ」

 兄貴は一瞬息をのみ、怒ったまま唇を噛んで出て行った。兄貴を責めるつもりはない。でも慰め合うつもりもない。勝手に悲しんでろ。俺もそうする。

 窓から入ってくる朝の冷たい空気が、タバコの匂いを全て清めるまで俺は部屋に残って星雄を悼んだ。

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