真夜中の願い事

御剣ひかる

あと五回だったのにっ!

 月曜日の朝、僕はすぐにクラスの異変に気付いた。

 隣の席の、とにかくよくしゃべる坂口さん。あんまりにもよくしゃべるから「ムダ口さん」とか一部の男子にからかわれちゃってるぐらいの賑やかな女子が、自分の席でうつむいて座って一言も話していない。

 当然、その周りには「どうしちゃったの?」って感じで女子が集まってる。

 つまり僕の席は、僕が座れる状態じゃないってこと。

 僕は鞄を机の横にひっかけて、逃げるようにその場を離れた。

「何があったんだ?」

「ムダ口さんが無口さんになってるな」

「あいつ、いつも余計なことばっか言ってるからあれくらい静かなほうがいい」

 男子は遠くで女の子達を見てひそひそ、中には聞えよがしに言ってる。

 確かに、坂口さんは規則にうるさいところがある。僕も友達に借りてた漫画を返すためにこっそり持ってきてたのを見つかって「駄目なんだよー」って言われたことがある。

 ちょっと嫌な気分だった。友達の家とは学校を挟んで結構な距離だから家に帰ってから渡しにいくのは大変なんだよな。別に学校で読むわけでもないから渡すぐらいいいじゃないか、って。

 でもそういうふうに愚痴ったら、こんな言葉が返ってきた。

「校則破ってるのも駄目だけど、もしも先生に見つかっちゃってとりあげられたら、本の持ち主のお友達がかわいそうでしょ」

 なるほどって思った。僕の本が僕の規則違反で没収されちゃったなら「あーあ」で済むけど、友達の本が僕のミスで取り上げられたら迷惑をかけることになる。

 ただの「正義厨」じゃないんだなって思った。

 けどクラスの男の子達の中には坂口さんのことを口うるさいヤツだって嫌ってるヤツも何人かいる。

 ただでさえ注意されるのが嫌な反抗期おとしごろまっただなかだもんなー。


 結局、今日一日、坂口さんは無口さんのまま、ずっと暗い顔だった。

 放課後、終わりの学活が終わると急いで教室を飛び出していった。

「弟くん、大丈夫かなぁ」

「無事だといいよね……」

 教室を出かかった僕の耳に、坂口さんのお友達のそんなささやき合いが聞こえてきた。

 弟が無事だといい?

 事故か何かかな。

 ちょっとだけ事態を理解した。

 うん、無事だといいのにな。

 そんなふうに考えながら、僕も帰ることにした。


 夜、塾からの帰り道、友達とわいわい言いながら歩いてると神社の参道に人影が見えた。

 いくら神社の中にも外灯がついてるからってこんな時間にお参りする人もいるのか。

 まだ僕らと同じ、中学生ぐらいの女の子の後ろ姿。

 なんか、見覚えあるような――。

 僕が思わず立ち止まってそっちを見たから、友達もなんだなんだ? って参道を見た。

「おいあれ坂口じゃね?」

「え? マジ?」

 そうか坂口さんか。

 ……あ、そうか。弟くんの無事を祈りに来たんだ。

 僕らが見守る中、坂口さんは本堂へと歩いて行って、二礼二拍手一礼。

 熱心に何かを祈っている。

 で、お賽銭箱の横に何かを置いて、戻ってきた。

 坂口さんは参道前の鳥居のそばに僕らがいることに気付いて驚いた顔をしたけれど何も言わずにまた同じように参拝しようとした。

「坂口ー、何やってんだよ」

「何度もお参りってどんな願い事だ?」

 友達が坂口さんについてってからかいだした。

「おい、やめろよ」

 僕もあとを追いかけて二人をとめたけど聞く耳持たない。

「無視かよ。普段あんなにうるさいのに」

 友達が、坂口さんの方をちょいっと押した。

 多分、怪我させてやろうとかそういう意図はなかったと思う。それぐらいの軽い感じだった。

 けど坂口さんはバランスを崩しちゃって「あっ」っと声をあげて尻もちをついた。

「うわっ、なんだよ。それで転ぶか?」

 友達は、まいったなって顔だ。

 てっきり、坂口さんは「何するのよ、もー」とか言って立ち上がると思ってたのに。

 尻もちをついたまま、手で口を押えて、……ぼろぼろと涙を流し始めた。

「えっ、ちょっ、おい大丈夫か?」

 慌てた友達がしゃがんで坂口さんの顔を見る。

「声、出しちゃった……! あと五回だったのにっ!」

 最初は小さく、最後は叫ぶような声だった。

 坂口さんは立ち上がって、僕らを睨みつけて何かを言いかけたけど、結局何も言わずにふらふらと神社を出ていってしまった。

「なんだよ、あれ」

「変なやつ」

 友達二人は顔を見合わせてる。

 あと五回、ってなんだったんだろう。

 僕は本堂に向かった。さっき坂口さんがお堂の陰に何を置いているのか、気になったから。

 そこには、小さな石がたくさん並べられてあった。


「それ、お百度参りだね」

 家に帰ってさっきの話を姉ちゃんにしたら、そんな言葉が返ってきた。

「お百度参り?」

「どうしてもかなえてほしい願い事を、百回お参りすることで神様に聞き届けてもらうっての」

 コーヒーを飲みながら姉ちゃんがジト目で僕を見た。

「あんたら、それ邪魔したんだよ。お百度参りの最中はしゃべっちゃいけないって決まりがあるからね。あと五回ってことは、九十五回往復したんだよ、その子。そりゃちょっと押されてもこけるくらい疲れてるわな」

 頭を強く殴られたぐらいの衝撃だった。

 きっと弟くんがよくなるようにってお参りだったんだ。

 それを、知らなかったっていっても、僕らは失敗させてしまったってことか。

「それって一度しかできないの? 失敗したらもう二度とできない?」

「そんなことはないはずだけど。でも一日に百度参るのってすぐにかなえてほしいからでしょ。よっぽど切羽詰まった願い事じゃない?」

 姉ちゃんはお百度参りを説明しているサイトを見せてくれた。

 一日で百度お参りするのと、百日かかさずお参りするする方法がある。

 弟くんがよくなるように、って百日もかけてられないから、今日一日で済まそうとしてたのか。

 ひどいことをしてしまった。

 僕があの時、坂口さんに気づいてなかったら。

 からかう友達をもっと強く止めていたら。

 今頃坂口さんどうしてるだろう。

 弟くん、大丈夫かな。

「姉ちゃん、僕、行ってくる」

「え、行くって? もう九時回ってるよ」

 じっとしてられなくて、僕は姉ちゃんに答えず家を飛び出した。

 走って、神社について。本堂の横の小石を集めて数えた。

 九十五個。あと五個足さないと。

 境内の小さな石を拾って、全部をポケットに入れた。

 サイトで見たお百度参りの方法を思い出して、入り口の鳥居に戻る。

 よし、始めるぞ。

 坂口さんの代わりに僕が百度、お参りする。


 どうか坂口さんの弟くんが助かりますように。

 祈りながら、願いながら、お参りして、石を置く。

 正直、だるくなった。

 多分三分の一ぐらい参った頃、あとどれぐらいだろうとか、まだ終わらないのかとか、考えてしまった。

 けれどポケットの中の石が少しずつだけど確実に減っていく感覚に、やり遂げないとって思い直す。

 僕が願っても、聞き届けられるかどうかわからない。

 坂口さんとはきっと本気度が違う。

 けど、邪魔して失敗させてしまった償いをしないと。

 お百度参りをして助かってほしいって思うぐらいに、坂口さんは弟くんが大好きなんだろう。

 助かってほしい。

 最後の方は心からそう願っていた。

 けど思いの強さと比例するみたいに足がだるくなってくる。

 石畳につまづいて膝をついてしまった。

 痛い! けど声は出しちゃだめだ。

 僕は口を手でぐっと抑えて立ち上がった。


 とうとう、百度、参った。

 お参りを済ませて、足を引きずって、本堂から鳥居へと戻った。

「よくやったね」

 姉ちゃんが、迎えに来てた。

 日付はとっくに変わってた。

 これって、まさか、無効じゃないよね……。


 次の日、坂口さんはいつもの坂口さんに戻ってた。

 弟くんは事故にあって意識不明だったけど、夜中に目が覚めたんだって。

 ちょうど僕がお百度参りを済ませた時間あたりだ。

 よかったー。

 だるくて眠くて、机に突っ伏したまま、僕は神様に感謝した。

「……ありがとう、ね」

 授業のチャイムが鳴ってみんなが自分の席に戻っていく騒がしさの中、隣からささやき声が聞こえた。



(了)

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