【読み切り短編】自分を変えたい少女はお面を被る

misaka

私から、わたしへ

 ある日、世界中に突如として現れた魔獣。彼らは目に付いた生物を捕食し、時に食べた生物の特徴を併せ持った姿に変態することもあった。そして、魔獣が捕食する生物にはもちろん、人間も含まれている。むしろ、魔獣は好んで人を襲い、食べる習性を持っていた。


 そんな魔獣に対抗するために、人類は『魔法』と呼ばれる未知の力を手にする。万物に宿るとされる『マナ』を、自らの意思と想像力で操作する技術、それが魔法だった。


 こうして、人々は魔獣に立ち向かうため、魔法を手に立ち上がる――。




 月明かりが照らす、真夜中の竹林。春先の心地よい風が林を駆け抜け、サワサワと木の葉を揺らす。

 そんな竹林に、1人の少女が両親によって置き去りにされていた。

 外にはねるようなクセがついた黒髪は、鎖骨当たりまでのミディアムヘア。闇夜でよく目立つ、全身白の儀式用の服――俗に白装束と呼ばれる出で立ちだった。


「へくちっ……」


 春先の風を受けて、少女が可愛らしいくしゃみを1つこぼす。同時に、月を隠していた雲が通り抜けた。闇夜を照らし出す月明かりが竹の葉の天井を抜けて彼女の髪を照らせば、少し青みがかった光を返す。


 ――月、きれいだなぁ……。


 現実逃避気味に差し込んだ月光を見上げたことで、髪色に続いて少女の顔立ちが露わになる。伸びた前髪の下には、日本人らしい黒い瞳が所在無げに動く。垂れた目元と猫背のせいで、少し頼りない印象を受ける、そんな16歳の少女だった。


 彼女は今いる竹林の近くにある剣術道場のひとり娘だ。人類に魔法がもたらされてから10年以上が経っている今。当主である祖父を中心に、彼女の家系は魔法とそれまでの剣術を融合させた新たな型を作り出そうとしていた。しかも、人々を恐怖させている魔獣を倒すための実戦的な型を。

 祖父は少女に言っていた。


 『刀は人を生かすためにある。今や最も人をあやめている魔獣だ。古きを踏襲しつつも、新たなものを。魔獣を斬るための型を作ろうではないか。常坂ときさか家の繁栄を願ってな』


 そして今日。編み出された『魔剣一刀流』を魔獣相手に実践して来いと、少女はこの竹林に放り出されたのだった。


「お父さんも、お母さんも、来てくれない……」


 最初は両親が付き添って、近くにいた小型の魔獣を倒すよう少女に指示を出していた。

 しかし、彼女はそれが出来なかった。魔獣とは言え、生物を殺すという行為そのものにどうしても抵抗があったのだ。自分が斬らなくても、最終的には両親が斬ってくれる。そんな安心感もあったのかもしれない。


 何度も挑戦して、その度に失敗し、挫折する。


 魔獣あふれるこの世界で、彼女の臆病やさしさはあまりにも大きな欠点となり得る。そして、その優しさを持つ限り、襲ってきた魔獣に無抵抗に食べられてしまうだけだ。

 それを危惧した両親は一か八か、少女を竹林に放置しているのだった。彼女が持つ、天性の魔法センス。加えて、幼少の頃から繰り返してきた血のにじむような稽古の果てに手に入れているはずの、伝統と革新をはらんだ魔剣一刀流を開花させるために。


 そうして、静かな林で1人立ち尽くす少女の手には、肝心の刀が存在しない。代わりに、両親からお守りとしてもらった狐のお面が、その手に握られていた。


 ――こうしてる場合じゃない、よね……。


 死にたいわけでは無い少女は早速、〈探査〉の魔法で周囲を探る。マナ同士が反発し合う性質を利用し、周囲の地形や状況を探る魔法だ。

 そうすると、やはりというべきか。少女を含め、今の日本に生きる人々にとってなじみ深い、禍々しいマナの反応が返ってくる。


 ――魔獣だ。


 その禍々しい反応はゆっくりとだが確実に、少女をめがけて近づいて来ていた。


 ――ど、どうしよう……?!


 魔獣を倒すまで勘当状態の少女。逃げてもいい。が、当然、古臭い道場を抱えた実家以外に帰る場所など無い。そして、魔獣が闊歩する外地と呼ばれるこの場所において、野宿とは死と同義だった。


 〈探査〉で調べた限り、魔獣以外に反応は無い。いや、魔獣を恐れて動物たちは逃げて行ったと考えるべきか。これまでは結局、最後には手を差し伸べてくれた両親も、今回ばかりはそうではない様子。


 ――私だって、魔獣を殺せるようになりたい、けど……。


 少女が考え事をしていた時だった。

 ピリッと、肌がしびれるような、全身がこわばる感覚が彼女を襲う。祖父との稽古でよく体感したもの。


 殺気、つまりは死を前にしたときに体が感じるそれだった。


 反射的に片膝を突き、居合の構えを取る少女。10年以上も繰り返し、体に染み込んだその動きには一切の無駄が無い。

 狐のお面を足元に置き、集中するために目を閉じる。


 「——……〈紅藤べにふじ〉!」


 小さく魔法を口にする。

 〈紅藤べにふじ〉は少女が最初に使用した〈探査〉の魔法と、体内のマナをイメージした形に凝集させる〈創造〉と言う魔法。2つの魔法を応用したものだ。〈探査〉で瞬時に彼我の距離を把握し、必要な長さの刀を〈創造〉して敵を斬る、そんな魔法だった。


 少女を中心に、淡く広がる藤色のマナ。先ほども使用した〈探査〉の魔法で周囲を探る。そして、見た目には何も持っていないその細い腕を、一閃。

 ヒュッ……と、夜闇を斬り裂く刹那の剣閃が、藤色にきらめくと、ほぼ同時。夜に紛れ、どこからか飛んできた黒いマナの塊——魔獣が使用した〈魔弾〉が真っ二つに斬り裂かれ、爆ぜるのだった。


「ふぅ……」


 差し当たっての脅威を排除して、うつむいたまま少女が小さく息を吐く。今、少女が創り出したのは、長さ5mもあろうかという現実ではあり得ない長さの長刀だった。しかも、ここは竹林だ。5mもある長刀を振るえば周囲の竹もろとも斬ってしまいそうなもの。ともすれば、それらが障害となって、太刀筋を鈍らせることもあるだろう。

 しかし、実際はただの1本も竹は斬られていない。少女は、魔獣が放った〈魔弾〉を斬るその瞬間にだけ〈創造〉で刀を創り、斬った直後に魔法を解除する作業を、コンマ数秒の世界でやってのけたのだ。

 極限の集中とマナ操作、気の遠くなるような鍛錬が必要となる、まさしく絶技と呼べる魔法だった。

 が、その実、状況は何も好転していない。


 「危なかった……」


 残心を解き狐のお面を拾い上げた少女の前に、奇襲が失敗に終わった魔獣がついに姿を現した。


『オイシ、ソウ?』


 ソレは人型をしていた。

 165㎝ほどの少女よりもはるかに大きく、ゆうに2mはある体高。

 体は肥大化し、太った人間のようにも、信楽焼しがらきやきの狸のようでもある。丸みを帯びた体からは、不釣り合いな細い手足が生えており、長い尻尾が地面に垂れている。

 顔は猿に近い。

 しかし、顔に当たる部分に目や鼻は無く、獲物を丸飲みできるよう十字に開くようになった口だけがある。

 肩や胸元、恐らく背中側もそうだろう。体のあちこちに老若男女様々な人間の顔が貼りついている。彼ら彼女らは一様に目をひん剥き、その口元には狂笑を浮かべていた。


 ――どどど、どうしよう……?


 少女は途方に暮れる。幼い頃から、その醜悪な見た目を見てきたために、その魔獣を見ても特に何も感じない。

 だからこそ、かもしれない。たとえどれほどいびつでも、彼女にとって、目の前の魔獣も動物として映る。彼女にとって魔獣と、そこら辺にいるイノシシやシカとの違いなど無いに等しい。そして誰よりも、少女は美しい森を育んでくれる動物たちを愛していた。人と話すことが苦手な彼女にとって、物言わぬ動植物たちは、厳しい稽古ですさんだ心を癒してくれる大切な隣人パートナーだった。


「あの子たちを殺す。そんなひどいこと、私にはできない……」


 浅い呼吸を繰り返しながら、少女は首を振る。それでも内心では分かっている。


 ――でも殺さないと、私が殺されて、食べられる……。


『キ、君、オ、美味シソウ!』


 と、魔獣が再び人間の言葉を話した。それも、体中にある全ての顔が声を合わせて。そして一歩、また一歩と少女めざして歩いてくる。

 今までは、ためらう少女の代わりに両親や祖父が魔獣を倒してくれたが、今回は違う。


 らなければ、られる。


 そのことを理解してもなお、彼女は未だ命を奪う覚悟をできずにいた。

 魔獣を相手にしても踏ん切りがつかない自分が嫌で嫌で。何度変わろうとして、失敗したことか。


『キ、君モ、私・俺・わし・オレノ一部ニシテアゲルゥ!』


 巨体を揺らし、ゆっくりと迫ってくる魔獣。顔だけになった人々が少女を見つめ、口からよだれのような体液をこぼしている。

 どうすれば。悩む少女の視界にふと、手にしていた狐のお面が入った。


『今回はこのお面を被るといいわ。ここには勇敢なご先祖の魂が入っているの。これを付けている間、あなたは別人になることができるのよ?』

『きっとそのお面が、臆病なお前を変えてくれる。お前を守る武器にも、盾にもなるはずだ』


 それを思い出し、試しに少女は狐のお面で顔を覆ってみる。

 狭まる視界。苦しくなる呼吸。世界と自分の間に、一枚の壁が出来る。


 不思議な感覚だった。自分が自分ではない、別の誰かになったような――。


「『私』は……『わたし』?」


 両親にとって、そのお面はあくまでもおまじないのはずだった。娘が危機に陥った時、魔獣を殺し、自分で自分を守ることが出来るようになればいいなという、ある種の願掛けのようなものだ。

 しかし、両親の想いと言葉。そして、少女の「自分を変えたい」という切なる願いが合わさった時、それは誰も予想のしなかった結果をもたらす。


の代わりに、が殺す。だから私は大丈夫……――〈紅藤〉」


 瞬間、少女を捉えようと伸ばされていた魔獣の手が宙を舞った。


『あぇ?』


 魔獣が間抜けな声を漏らす。やがて、自身のみに起きたこと――両腕が切断されたことを理解した魔獣は、絶叫を上げた。


イダイィィィ、イダイヨウゥゥゥ!』


 少女はそれに構わず、手にした藤色の刀で魔獣を切り刻む。刀が振るわれるたびにどす黒い血が舞い、魔獣がその体積を減らしていく。

 人間の顔や手足などのも次々に切り離され、黒い砂になって消えて行く。


「わたしが、殺す……! 魔獣を、殺す……。わたしが、わたしなら――」


 とうの昔に魔獣は絶命し、絶叫は止んでいる。それでも少女は、魔獣だった肉塊を切り刻み続ける。


久遠くおん……、もういい、もういいんだ!」


 結局、魔獣の絶叫を聞いて駆け付けた両親によってお面が外されるその時まで、少女はその魔獣を必要以上に殺し続けたのだった。


 こうして彼女は、お面を付けさえすれば魔獣を殺すことが出来るようになった。

 しかし、どこかいびつなその在り方は果たして本当に、両親や、誰よりも彼女自身が望んだものだったのか。そのゆがみを抱えたまま、少女は魔獣討伐を専門に行なう『特派員』を養成する学校に通うことになる――。

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