第4話 男の正体
一面銀世界になってしまった野辺山を抜けながら、私たちは黙々と歩いていく。聞きたいことはいろいろあるが、体力を温存する方に体は舵を切っていた。
夜が明け日がさす頃には、全身のあらゆる筋肉が悲鳴をあげ、いつもとは違う歩き方をして、なんとか普段使っていない筋肉で歩を進めるという、極限状態に陥っていた。
途中途中のチェックポイントでは、チョコレートやクッキー、信州そばなどをいただいた。食べ物がこんなに美味しいと感じられたのは初めてだ。
そのまま気を失ってもおかしくないほどボロボロの体を、気力だけで動かす。そして、ただただ目の前のコースに向き合いながら、私はずっと母のことを考えていた。
(お葬式の時、泣くことができなかった。お母さんが亡くなって「これで自由にお金が使える」「死んでよかった」って喜んでるんじゃないかと思って、自己嫌悪に陥った。親戚たちからは母の金遣いの荒さとか、人付き合いの悪さとかを指摘されて、故人が汚されたような気持ちになって……)
いろいろな人の言葉に汚されて、自分の気持ちが見えなくなっていた。
意識は朦朧としながらも、自分に向き合い続けることで、ようやく悩み続けていた答えを出すことができた。
「私、お母さんがやっぱり好きだった。死んじゃって、悲しかった」
「そうさ、お前の心はずっとそう言っている」
ずっと黙っていた男が、そう口を開いた。
「あなたは一体……」
「このイベントのコース案内に、俺たちのことが紹介されてるってんで、面白半分できてみたのさ。たまたまあんたの心の叫びを聞いて、ついちょっかいを出しちまったが」
私はコース案内を取り出し、裏面を見てみた。そこにはこの地域の観光情報に関する記事が載っており、その一つに「長野・山梨の妖怪」というコーナーがあるのが目に留まる。
––––妖怪「サトリ」、この地域では「オモイ」というらしいが、人の心を読んで、からかうのが趣味だと書いてある。
「まさか、あなたって」
顔を上げた時には、もう男の姿はなかった。
忽然と消えた男の姿に衝撃を受けながらも、間も無くチェックポイントの通過リミット時刻が近づいていることに気づき、私は再び歩き始めた。
ゴール地点に着く頃には、もはや生まれたての子鹿のような状態で、その場に崩れ落ちた。
それと共に、清々しい笑いと、全てを洗い流すような澄んだ涙が漏れた。
(お母さん、どうか安らかに)
踏破者の表彰式が終わり、踏み出す私の一歩は、弱々しいが、迷いのない一歩だった。
真夜中、雪降る野辺山の山中で 春日あざみ@電子書籍発売中 @ichikaYU_98
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