第3話 野辺山の山中にて
ゴールまでには、8のチェックポイントがあった。保健センターが最初のチェックポイントで、その先で野辺山を越える。松原湖を経由し、長野の総合体育館を目指す。各ポイントでは、お茶やお菓子、地域の名物料理が振る舞われるらしい。
これがもっと距離も時間が短ければ楽しめるのに。あまりに過酷な上に、スタート時間が夜9時のため、リタイア者を乗せる巡回車もあるようだ。
「ではスタートです! みなさん、無理をせず頑張ってください!」
係の声に従って、約千人の老若男女が歩き出す。ウダウダ言っていたが、これから始まるちょっと過酷な「夜のピクニック」に、少し楽しくなってきている自分もいた。一人での参加だが、周りに人もいるのでそこまで寂しい感じもしない。
出発の高揚感に騙されて、初めはどんどんペースを上げ、快調に野辺山に入っていった。どの人も頭に懐中電灯をつけていて、大勢の人が暗闇を歩く様は、まるで地上に延長した銀河のようで。普段は体験できない風景を前に、「やっぱりきてよかったな」という気持ちにもなっていた。
だが、フルマラソンを軽くこえる距離のイベントが、楽しいだけなわけはなかった。野辺山の最高地点を目指して歩く頃に、雪が降り始めたのだ。
寒さで筋肉がこわばり、前に進む力が徐々に削がれていく。まだゴールまで40km以上残っているのに。
視界が雪でまだらになる中。漆黒の闇世を照らす朧げな街灯の下で、ついに私は立ち止まってしまった。
あたりには人もおらず、心細さが増す。
ふと、子供の頃に自分に向けられた、母の笑顔を思い出した。
(あんなに迷惑かけられたのに、こういう時思い出すのはあの人の顔か)
ポロリ、と涙がこぼれた。悴んだ手で頬拭うが、どうにも止められない。
「大丈夫?」
背後から誰が現れたのに驚き、心臓がはねた。
振り返るとそこには、体育館で笑いかけてきた、あの若い男の姿があった。
「君は、お母さんが好きだったんだね」
「え?」
見ず知らずの男に、まるで心を読まれたのかの如くそう言われて驚きを隠せない。だいたい、どこから現れたのか。
こちらの反応が全く気にならないかのように、飄々と男は続ける。
「周りの人から、生活を切り詰めるくらい仕送りするのは、異常だと言われたんだね。お母さんは君に頼りすぎで、毒親だと。そう言われて君は傷ついていたんだね」
「なんで……」
「でも君はお母さんが好きだったから最後まで支えた。いいじゃないか、他人の言葉なんか気にしなくて。人間はラベリングが好きだよね。お母さんは『いい母親』だったのか『悪い母親』だったのか、そんなの結論出す必要ない。ただ心のままに、弔ったらいいと思う」
一体この男は何者で、なぜ急に説教を垂れ始めているのか。
私はしばし唖然と、その男の顔を見つめていた。
「ぼさっとしてないで、歩いたほうがいい。立ち止まってるほうがキツくなるし」
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