第5話 それもしあわせ。絶対にしあわせ

 聴き馴染んだ声は、生徒指導の教師の声だった。散々なトラウマとともに、僕はを離す動作をすると、教師は怪訝な目で僕を見た。


「は、はいっ。変研という研究会の活動でありまして……一人? 僕が?」


 高坂先輩がいなければ、当然の活動だが、改めて一人だと言われると収まりが悪かった。まるで夢か妄想の世界から戻ってくるような、キャトられたUFOから帰還するような、恐ろしく時間が飛んだような感覚があった。


「変研? 聴かない名だな。まあ殊勝なことだ。……取り組みたまえよ」

「はいっ」


 教師のプレッシャーから解き放たれ、どっと疲労感が圧し掛かる。教師の反応を見るに、やはり『変研は正式に認可されていないのではないか』という疑念が湧き上がってくる。高校に秘密結社なんて冗談じゃないぞ。

 僕は地面に置いていたトングを拾う。


「……二本?」


 何か大切なモノを忘れているような。

 頭痛がする。今はまだまともに立ててはいるが、だんだんと痛みが増してくる。それと同時に視界がぼやける。……この感覚、どこかで。思い出せない、思い出せないということはどうでもいいことなのだろう。

それよりもここで倒れたら誰にも気づかれない。それが一番マズい。




ですね。……先輩。一つ質問なんですけど』




 聴き覚えのない、聴き覚えのある声がする。僕はこの声が好きだ。好きだけれどそもそも知らない。けれど知っている。でも輪郭がつかめない。僕は彼女の次の言葉を待った。


『──というモノそのものが、ということってあり得えます? もしくはそれを知覚できますか? もし、それが人間だったら会話できるんですか?』


 絶え間ない頭痛の合間に、いつも通りの変研の活動の如く返す。


「……“一次性質”は観測者に関わらず、そこに存在する。だからそれはあり得ない。幻覚は幻覚に過ぎず、だから、僕は、高坂先輩の意見には、賛同できなかっ、た……」


 ──自分の声まで遠くなる。正常な思考ができない。これが誰なのか分からない。


『そうですよね、先輩。また“埋める作業”頑張ってくださいね』


 ──世界で一番大切な人の声がする。僕はそれが分からなかった。




 ******

 ******




 僕は高校三年生。普通に授業を受けて、普通に昼食をとる。ちょっとだけアブノーマルなことと言えば、前年度はかなり頭のおかしい研究会に所属していた。つまり『変研』のことである。

 正式名称は、知らない。変○研究会であると推測されるが、そもそもだったようで、高坂先輩というカリスマが消えたアングラな秘密結社に、活動を広報する手法も、手腕もなく、僕一人となった時点で事実上崩壊した。そもそも認められていない組織という時点でなかったようなものだが。


「ねえ、早く帰ろうよ」

「……おう」


 中学一年生から毎日聴いている、芯の通った女の子の声が後ろから僕を呼んだ。僕ら以外誰もいない教室の窓に桜ノ雨が振り込む。最後の年が始まるらしい。

 僕は変研が無くなってからも、高坂先輩と二人で語り合った教室に通っていた。智花は部活帰りに僕を呼びに来たのだ。あれ、智花ってなんの部活だっけ。……まあいいか。

 智花に左手を伸ばす。当然智花は僕の手のひらに右手を重ねる。指を絡ませて、春の陽気を感じる。日が落ち始めても、通る風はまだ温かい。


「校庭見てたらさ、ちょっと前に言ってた話思い出した」

「どんな話?」

って話。──秋も捨てがたいけど、春になると幸せ感じるなーって」


 しみじみと僕が言うと、智花は吹き出した。


「アハハっ、何それ。そんなこと言った覚えもないけど」

「あれ?」


 去年、智花が急にそんなことを聞いてきたような記憶があった。変なことを口走ったことを恥じ、耳が赤くなっていく感覚。

 僕をからかいながら、智花は「でもまあ」と続ける。彼女のボブヘアの隙間から少し赤くなった耳が見えた。


「……あ、あたしもしあわせだよ」

「何それ」「もう、うるさい」


 僕らはもう一度笑い、ピタリと肩をくっつける。誰もいない桜並木を、くどいほど甘いコーヒー牛乳を飲み干すように、見つめあったり、無意味に名前を呼んでみたりしながら並んで歩く。

 彼女こそが僕の『唯一信じられるもの』だ。だ。




 ──だから確かに僕はしあわせだ。

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ペガサスの存在証明 花井たま @hanaitama

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