第4話 巡り合う"君"を殺したい

 僕はただの高校二年生。普通に授業を受けて、普通に昼食をとり、普通に課外活動を行う。ちょっとだけアブノーマルなことと言えば二つ。一つは対して仲良くもなかった引きこもりの妹が、海外へ療養に言ったこと。名前もぼんやりして思い出せないくらい、。まあ引きこもりだしな。居候が一人減ったって感覚だ。

 もう一つは僕が所属している研究会、その名も『変研』のことである。

 正式名称は、知らない。変○研究会であると推測されるが、そもそも正式に学校から認められた組織なのかすら怪しい。何せ、メインの活動はで行い、生徒会費も出なければ、いるはずの顧問の先生が教室に顔を出したことはなく、活動内容は雑談だからだ。

 しかし、今年度初めに有望な後輩が加入し、賑やかな研究会になるはずが──。




「わたし、高坂先輩と会ったことないんですよね」


 学校の前の側溝に落ちているタバコをトングで拾い、粗大ゴミが入るほどの大きさのゴミ袋にチマチマと入れながら、一年生の赤星が嘆く。晴れて全学年が変研に揃ったというのに、赤星と高坂先輩はまだ顔を合わせたことがないというのだ。そもそも高坂先輩が赤星の存在を知っているのかも怪しい。

 何せ、赤星は僕がこの活動をしていた時に流れで入ってきたのだから。

 赤星はサイドテールを揺らしながら、お宝探しのように雑草をかき分けゴミをサルベージしていく。僕は白いため息を吐いた。悴む手を握ったり開いたりする。冬休みを終えた一月中旬は脳内も真っ白になるくらいの寒気に包まれる。


「赤星の曜日が合えばいつでも来ていいのに、教室。……って言ってももうほとんど登校してこないけど、先輩」

「だからわたしのことはソラって呼んでください。……他の曜日は本当に忙しいんです。まあ来年からはちょっと空いたりするんですけど」


 変研の活動内容と大きく外れているところで一体何をしているのかと言えば、ボランティアという名のだった。つまるところ、変研を変“部”に昇格させるために、僕が先輩に提言した生徒会及び学校へのアピール活動。こうやって強引に活動実績を作ろうというわけだ。

 と、言っても温室育ちの高坂先輩がノリ気なわけもなく、本来の活動日である火曜日は先輩と教室でいつも通り過ごしていたけれど。あれだけ浮世離れしている人も、ちゃんと受験があるらしい。もうほとんど学校に来ていない。

 ともかく、来年の新入生を変研に誘致するためには、まず部活への昇格を目指さなければならない。今までのように圧倒的なトーク力とカリスマでもって、人員を誘拐してくるなんて荒業はできないのだから。


「ソラはどんな後輩が欲しい?」


 何の気なしに赤星へ問いかけると、彼女は回れ右の要領でスカートを翻し僕の方を向いた。僕は彼女のこの動作が好きだった。スカートがフワリと浮き、華麗に赤星が半回転するたびに、僕の心のが、幸福な液体で満たされていく感覚が好きなのだ。


「……んー、実は後輩とか要らない、って言ったらだめですかね」


 申し訳なさそうに赤星は言った。別にそんなシュンとしなくてもいいのに。


「そしたらこの活動してる意味が無くなるけど」

「いやいや、この活動自体は好きなんです。ゴミ拾いとか、草むしりとか、ボランティア系のアレ好きですし。みんなと活動だってしたいですけど。……ちょっと私の変な話聞いてくれます? 変な子だって思われちゃうかもですけど」


 赤星はトングをカチカチと鳴らしながら、目線を僕から逸らす。

 僕は「先輩にもっと変な人知ってるから」と答えた。


「高坂先輩にチクっちゃいますよ。まあ、面識はないんですけど」

「あの人は喜ぶと思うなあ」


 ……閑話休題。


「別に改まって聞いてもらわなくてもいいんですが。想像してほしいのは……例えば人が頑張って工作したモノを持った時や、駅のホームのギリギリに立った時。──そんな時、何の気ない原因から、自分はこのモノを壊してしまうんじゃないか、滑り落ちて電車に撥ねられてしまうんじゃないか。そんな風に怖くなったことってないですか?」


 僕は言葉通りにそれを想定して、悪寒が体を走る。すぐには思いつかないけれど、確かに身に覚えがあった。何か大切なモノを壊してしまう──。……その感覚。

 でもどうして具体例が出てこないのだろう。大切なことを忘れてしまっている感覚があった。しかしここで無意識化の何かを意識下に引っ張りだすような、そんな無謀なことは行わない。思い出せないことはどうでもいいことだから。

 それよりも目の前で僕に共感を求める女の子の、薄いくちびると揺れる眼球、指でつまんだサイドテールらを見やる。今、目の前にあるモノが全てなのだ。


「……なんとなく、わかるよ」


 僕が心を込めて相槌を打つと、まるで呪文を詠唱するかのように赤星は語りだした。


「わたしは、ずっと怖いんです。──わたしは先輩を殺せます。例えば太陽がまぶしいとき、なんとなくわたしはこの持っているトングで先輩の目を貫いてみせます。なぜか? そんなことは特に関係なく。先輩は呻いて蹲るでしょうか。わたしは自分のしたことをひどく反省して、先輩に駆け寄るんです。相当血が出ているかもしれないですね。本当にわたしはバカです。先輩を腕で支えます。先輩の体温が温かいので、わたしは先輩の喉に噛みつくんです。馬乗りになって、先輩が動かなくなるまで。……特に大した理由なんてないんです。でもわたしは会う人間を”全て”殺します。……頭の中で。それができる。だから、あまり後輩が欲しくないなって思ったり。わがままですけどね」


 ──それは狂気をはらんだ大魔法。詠唱が終わると、赤星は無理にほほ笑んだ。

 僕は無性に目の前の女の子を抱きしめたいと思った。この子は自分に投げかけられている可能性にひどく鈍感だ。この先が一本道だと思い込んでいれば楽に生きられるところを、人生の解像度が高すぎるせいで、すべての未来に怯えている。それは端的に愚かなことで、僕はそれを愛おしいと思った。

 でも僕は抱きしめ方なんて知らなかった。だから代わりに問うた。


「……なら、どうして後輩はダメで、僕は大丈夫なのかな。もう一年間くらい一緒にいて、今更かもしれないけど。どうしてわざわざあの日、ゴミ拾いしている僕に声をかけたんだ」


 しかし、どうやら僕の言葉は“外れ”だったらしい。「鈍感」と呟いて赤星は一歩僕に近づく。……もう一歩近づく。……もう一歩近づく。もう、一歩も距離がない。


「ソラ。……ごめんだけど、本当に分からない」


 僕は身に覚えのない犯罪を認める。ここまで近づくと、ぼやけていた赤星の輪郭が浮かび上がってくる。すなわち、明確に認知していなかった身長差や、ピクセルが足りず知覚できなかったベージュのアイメイクが、刺激的な情報として僕の脳を刺す。


「分からないですよね、先輩ですもん。……わたしはあの日先輩を見たとき思ったんです。って。わたし、散々脳内で人を殺してきましたけど、と思ったことは初めてなんです」


 赤星の猟奇的な犯行予告を聞いて、僕は一歩後ずさった。


「……なに、今から僕死ぬの?」


 赤星は笑う。そして、僕の腰に両手を回した。僕は身構えたが、いつまで経ってもその力は優しく、暖かかった。ゼロになった距離で、僕の胸元から彼女は僕の目を見つめる。


「感情を伝えるのが苦手なんです。一目ぼれです。──つまり、先輩が好きなんです。わかりますか? を逃げ回る中で、に出会えた感情を」


 返す言葉を知らなかった。人に好意を向けられたことが無かったからだ。それでも僕は自分が何をすればいいのかを知っていた。両腕を赤星の背中に回し、優しく、しかししっかりと抱き彼女の実存を確かめる。

 やっと出会えた。僕の『唯一信じられるもの』、ここで抱きしめた赤星ソラの存──。




「──おい、で何やってる?」


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