第3話 世界の論理と砂糖のお城
守り続けた砂城はやがて風化し、僅かなほころびをつついてしまえば土台から消え去る。
砂の上に建てた砂のお城が崩れると何が残るか? そう、なにも残らないのだ──。
相変わらず僕は牛乳とコーヒーがハーフハーフの飲み物を作ろうとしていた。
食器棚を開いて中を確認したとき、マグカップが三個しかないことに気が付いた。父、母、僕の三つ。……陽菜のぶんはない。当たり前と言えば当たり前だ。それでもミサンガが擦り切れるように、積み重なった違和感が今日は気になった。
食器も、スプーンも、フォークも三人分。言われてみれば、それはそうという感じ。まともに食事も取らないのだから、食器は必要ないだろう。うん、当然だ。何も食べずにどう生存しているのかという問い……は、浮かんでこなかった。そういうことにしよう。
調子が狂っているな。そう判断した僕は洗面所に向かい、冷たい水を手ですくい、ある程度の勢いでもって顔に叩きつけた。小学生のころ居眠りでよく先生に怒られていた僕は、いつも「一回、顔を洗ってこい」と指導を受けていたことを思い出す。
その時、教室移動ですれ違った陽菜の姿が記憶の中にあり、僕は安堵する。が、しかし洗面台に立てられている歯ブラシの数はやはり三本で、ここにも陽菜がいる形跡が無かった。
僕は一体何に焦っているのだろう。突然陽菜がいなくなった、もしくはこの世界から消失したとでも思っているのだろうか。バカみたいな推論は変研らしくない。そりゃ偏見だ。そもそもいなくなったかどうか心配なら、陽菜の部屋をノックすればいいだけじゃないか。
妹がいるか心配な兄貴なんて、相変わらず情けないが心の安寧を保つためだ。
──あれ、妹の部屋はどこだ?
知っていて当然の知識にたどり着けず愕然とする。
二階なのは知っている。妹がいつも降りてくるし。あれ、二階には俺の部屋があって、それで──。
「──お兄ちゃん? どしたの、そんなところで突っ立ってさ」
僕が僕を揺るがすとんでもない結論にたどり着く直前に、陽菜は現れた。
妹がいるだけで、泣きそうになることってあるんだな。僕は当たり前の事実に心を揺さぶられてしまったが、兄の威厳を保つため、おくびにも出さないよう努めた。
「……いや、ボーっとしてた」
「わざわざ洗面所でやらなくても。ねね、お兄ちゃんに言わなきゃいけないことがあるの」
「なんだ、改まって」
「大事なこと。ちゃんと聞いてね」
陽菜はそう笑ってリビングへ向かう。いつの間にか手入れされているロングヘアが、残像のようになびいて後をついていった。
僕は陽菜を写真に収めたいと思った。先輩との会話を思い出したというのもあるが、僕のスマートフォンの中に、陽菜が一人も入っていないのがやけに物寂しく感じたからだ。
でも、妹をカメラに写すだけなのに、なぜここまで気が進まないのだろう。
開けてはならない箱の前に立っているような気分になるのはなぜだ。明らかに不自然で、不思議だ。リビングの木目調のテーブルがグルグルと渦を描く。眩暈のような感覚とともに、陽菜の対面に腰を掛けた。
そして陽菜は告げる。
「──あのさ、私、今日から留学するから」
──いやいやいやいやいや。本当にいなくなるなんて。陰謀論者ではないが、何らかの作為を感じた。陰謀論者ではないため、その責任を何かに押し付けることはできないが。
──ひどい頭痛がする。自分が今まで積み上げてきたロジックが、根底から覆されるようで気分が悪い。
「引きこもりを治す療養生活って感じ? 狭い部屋から飛び出すのはめちゃくちゃ怖いけど、行ってくる。治ったら、いろんなところに行こうね。今まで話してなくてごめん。でも、応援してくれると嬉しいな」
──あれ、なんか視界が暗く。というか、目の前のコイツは誰だ?
「……やっぱり、応援してくれるんだね、お兄ちゃん。最後だからいうけど──」
──世界で一番大切な人の声がする。もうそれが何か分からないが。
「渇きを埋めるために女の子をとっかえひっかえするのは、私好きじゃないな」
それが無意識だとしてもさ。掠れたその声はもう届かなかった。
──僕の世界が変わる。
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