真夜中の恋

沢田和早

真夜中の恋

 基本的にそれほど興味はありませんでした。真夜中は闇が大好きでしたので、明るい昼間のことなど全然関心がなかったのです。

 ところが地球誕生から46億年ほどが経過した頃、明るさに対して嫌でも関心を抱かざるを得なくなるような現象が発生しました。

 人類です。数百万年前、突如として出現したこの人類という生物は、真夜中を明るく照らす術を使い始めたのです。


「なんだ、こいつら。火を自由に扱っているじゃないか」


 それまでも火山や山火事で火を見たことはありましたが、それはあくまでも自然現象。生物が自らの意思で火を起こし闇を照らし始めたのですから驚くのは当然です。


「生意気なやつらめ。だがあんなちっぽけな火じゃオレの闇を追い払うのは無理だな」


 しかしそれはあまりにも早計すぎる判断でした。時が経つにつれ人類は様々な灯りを生み出し、照明技術を飛躍的に進歩させました。今や真夜中の世界は眩しい光で埋め尽くされるほどになっています。


「オレの闇の世界がこれほど煌びやかになるとは予想もしていなかったな。人類、少し侮っていたかもしれん」


 真夜中は人類の生み出す照明の美しさに魅かれ始めていました。

 地球ができたばかりの頃、真夜中が見ていた光と言えば月と星、そして東と西にかすかに見える朝焼けと夕焼けだけ。その素朴な光もなかなか味わい深いものでしたが、人工の光が持つ華やかさと美しさはあらがい難い魅力を持っていました。


「オレには決して持てぬあの明るさ、惚れてしまったのかもしれん」

「ほほう、真夜中さんは明るさに興味がおありのようですね」


 話し掛けてきたのは西の空に顔を出している上弦の月でした。


「オレの闇がこんなに消滅させられているんだ。無関心でいられるはずがないだろう」

「なるほど、ごもっともな意見です」


 上弦の月は揺り籠みたいに体を揺らしながら頷きました。


「でもね真夜中さん、この程度の明るさで驚いていてはいけませんよ」

「どういう意味だ」

「昼の明るさですよ。特に真昼さんの明るさは大変なものです。あまりにも明るすぎて星の輝きですら消えてしまうのですから。人工の光なんて足元にも及びませんよ」

「な、なんだと!」


 衝撃でした。46億年生きてきて初めて知った事実です。


「真昼というのはそんなに明るいのか」

「そうですとも。月だって輝きを失ってただの白くて丸い板みたいになるんですから」

「どうして教えてくれなかったんだ。おまえとは月ができた時からの仲じゃないか」

「どうしてって、そりゃ真夜中さんが訊ねなかったからですよ。それに真夜中さんは昼にも明るさにも興味を示さなかったでしょう。興味のないことを話題にしても仕方がないですからね」

「そうか。そうだな」


 真夜中は想像しました。今、闇を明るく照らしている人工の光。それは真夜中の心を奪うくらいに魅力的で明るいのです。それなのに真昼はこの人工の光よりも桁違いに明るいというのです。


「真昼か、どんなヤツなのだろう。オレの闇が消滅してしまうほどの明るさなのだろうか」


 それから真夜中は真昼のことばかり考えるようになりました。とにかく一度会ってみたい、どうすれば会えるだろうと考え続けました。


「オレがここにいる時、真昼は地球の裏側だ。半日経ってオレが真昼のいた場所へ行けば、今度は真昼が半日前にオレがいた場所にいる。これじゃあ、いつまで経っても会えないじゃないか」


 考えるまでもなく会えるはずがないのでした。46億年もの間、一度も会ったことがなかったのですから。それはもう絶対に会えないと言われているのと同じです。


「真昼、会いたい、一目だけでいいから会いたい。その明るさでオレの闇を照らしてほしい」


 真夜中は明らかに恋をしていました。しかもその恋は募る一方です。会えない寂しさは恋を育てると言いますからね。そして恋心が肥大するにつれ真夜中の元気は次第に萎れていきました。


 1カ月後、また西の空に上弦の月が顔を出しました。


「真夜中さん、最近ちょっと陰気じゃないですか。いくら自分が闇だからって心まで闇になることはないでしょう」

「おまえのせいだ上弦の月。おまえが真昼のことなんか話すからこんなことになったのだ。ずっと黙っていてくれればよかったのに」


 上弦の月はムッとしました。真昼について話した時は「どうして教えてくれなかったんだ」と言って怒ったくせに、今は「黙っていてくれればよかったのに」と言って怒っているのですから。


(ちっ、自分勝手にも程があるよなあ)


 上弦の月は胸の中で舌打ちしました。さりとて真夜中をこのまま放っておくのは忍びないとも思いました。そこでどうしてそんなに元気がないのか話してくれるように頼みました。


「実は、オレは真昼に恋をしている……」


 真夜中の話は上弦の月を大いに驚かせました。46億年もの間一緒にいて何の興味も示さなかったのに、今になって恋をしてしまうなんて鈍感すぎるだろとツッコミたくなりましたが、真夜中の憔悴した様子を見るとそうも言っていられません。


「真夜中さんが真昼さんに会う方法ですか、う~む」


 上弦の月は考えました。体を揺り籠みたいにゆらゆら揺らしながら考えました。そして名案が浮かびました。


「そうだ、今年は月と地球の盟約の年だったんだ。すっかり忘れていました!」

「盟約の年?」

「そうです」


 実は月が誕生して間もなく次のような盟約が結ばれたのです。


「月と地球はいつまでも親密なパートナーとして太陽系の片隅で生きていこう。その証として地球の歳差運動の周期である2万6千年ごとに1日だけ地球の真夜中と月の真夜中を交換しよう」


 しかしその盟約が実行されたことは一度もありませんでした。当の真夜中本人もすっかり忘れていたからです。


「ああ、そんなのがあったな。ふっ、くだらん」


 真夜中は鼻で笑いました。そんな盟約が役に立つとは到底思えなかったのです。

 せっかくの提案を軽くあしらわて上弦の月もさすがに気分を害してしまいました。


「くだらんはないでしょう。真夜中さんのために考えてあげているのに」

「それは有難く思っている。だが地球と月の真夜中を交換してどうなるって言うんだ。しかもたった1日だけって」

「いいですか、月の真夜中は新月です。そして新月が現れるのは昼です。もし真夜中さんが新月になったらどうなると思いますか」

「あっ!」


 真夜中はようやく気づきました。地球の真夜中から月の真夜中にチェンジして新月になれば、地球の昼を上空から見ることが可能になります。たった1日だけですが恋焦がれていた真昼に会えるのです。


「すまなかった、上弦の月。君は天才だ。そしてオレたちは運がいい。約束の2万6千年目がちょうど今年なんだからな」

「善は急げです。次の新月で入れ替わりましょう。新月には私のほうから話を通しておきますから」

「感謝する、上弦の月」


 話は決まりました。

 それから真夜中はわくわくしながら新月の日を待ち続けました。

 1週間後、満月が頭上にやってきました。


「おや、真夜中さん、今夜はずいぶん嬉しそうですね」

「ああ、もうすぐ楽しいことがあるからな」

「ほう、実は私もなんです。お互い楽しみですね」

「まったくだ。はっはっは」


 真夜中はすっかり上機嫌でした。

 それからさらに1週間後、下弦の月が東の空に顔を出しました。


「おや、真夜中さん、今夜はずいぶん浮かれていますね」

「ああ、もうすぐオレの願いが叶うんだ。浮かれずにはいられない」


 真夜中は天にも昇る気持ちでした。実際、1週間後には天に昇って新月になるのですからそんな気持ちになるのも当然かもしれません。


「もうすぐだ、待っていてくれ真昼」


 そうしてあっという間に1週間が経ちました。


「あれが地球の昼か」


 気がつくと真夜中は新月になっていました。頭上には青く美しい地球が暗闇の中に浮かんでいます。


「想像していたのとは違うな。全然眩しくない。それでも地球の真昼に会えたんだ。話をしてみるか。おい、地球の真昼、聞こえるか」


 真夜中は大声で叫びました。すると思い掛けない返事が聞こえてきました。


「あっ、初めまして月の真夜中さん。実は私は地球の真昼ではありません。月の真昼、満月です!」

「なんだと! と言うかオレも月の真夜中ではない。地球の真夜中だ」

「ええっ! 本当ですか」


 互いに驚き合う2人。原因はすぐわかりました。盟約は2つあったのです。真夜中を交換する盟約の他に真昼を交換する盟約も結ばれていたのでした。


「私はどうしても新月に会いたかったのです。そこで2万6千年ごとの交換盟約を使って、今日、地球の真昼と月の真昼を入れ替えたのです。まさか真夜中さんまで入れ替わっていたなんて」

「そう言えば半月前に『もうすぐ楽しいことがある』と言っていたな。このことだったのか」

「はい。お互い変なところで息が合ってしまいましたね」

「まったくだ」


 真夜中と満月は互いの運の無さを慰め合いました。

 結局、新月になった真夜中は本当の地球の真昼を見ることなくその日を終え、元の地球の真夜中に戻りました。


 それから1週間後、西の空に姿を現した上弦の月は恐る恐る話し掛けました。


「あ、あの真夜中さん、満月も入れ替わっていたみたいですね。ちっとも知らなかったものですから。本当にすみません」

「もういい。おまえのせいじゃない」


 真夜中はそれほど怒っていないようなので上弦の月は少し安心しました。


「入れ替わっていたにしても地球の昼を確認できたのですから気を落とさないでください」

「気など落としてはいない」


 真夜中は大声を出すと、胸を張って言いました。


「もう満月とは話をつけてある。次の2万6千年後にはオレだけが入れ替わるとな。それまで待てばいいだけの話だ。46億年に比べれば屁みたいなものだ」

「おっしゃる通りです。私も一緒に待たせていただきますよ」


 真夜中も上弦の月も少しも挫けてはいませんでした。彼らの天文学的な気長さを我々も少しは見習いたいものですね。

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