真夏の夜の夢かうつつか
みすたぁ・ゆー
真夏の夜の夢かうつつか
7月上旬の金曜日、時刻は午後10時を少し過ぎた頃――。
俺は自分の通う都立高校の前へやってきていた。遅くまで残って練習をしている運動系の部活も全てが練習を終え、周囲は静まり返っている。
校舎も灯りが点いているのは職員室や警備員室など限られた場所だけで、敷地内に残っている人間はほとんどいない。
そして俺は高校の横にある公園内の植え込みに隠れたまま、この時が来るのをずっと待っていたのだ。
もちろん、俺がこんな真夜中に人目を忍んで学校へやってきたのには理由がある。それは学園のアイドルである
実は数時間前、彼女が選択授業の音楽で使用しているリコーダーを机の奥へ置き忘れたまま下校したのを俺は目撃。また、その事実を知っているのは、彼女の隣の席である俺だけだ。つまりこれは彼女と間接キスが出来る千載一遇のチャンスということになる。
…………。
……えっと、そうじゃなくて、音を出しづらそうにしていたので、吹いて調子を見てあげようと思ったのだ。決してやましさや下心なんてない。唄口をベロベロしようなんて考えてもいないッ!
ただ、明日は学校が休みとはいえ、彼女がリコーダーを置き忘れたことに気付いたら朝に取りに来るかもしれない。だから確実にこの計画を成功させるには今夜しかない。
そこで急いで自宅へ帰って準備を整え、家族が寝静まるのを待って窓からこっそり抜け出してきたというわけだ。
夏野さんは明るい性格で誰にでも優しくて、いつも周りには男女を問わず人が集まっている。屈託のない笑顔も素敵だ。まさに学園のアイドルと言っていい。
整った顔立ちに大人びた表情、肩まで伸びたサラサラのストレートの髪はきれいで、いい匂いが俺の席まで漂ってくる。そんな彼女と隣同士の席になれたのは、人生の運を全て使い切ってしまったのではないかというくらいにラッキーなことだと思う。
いつも楽しく話しかけてくれるし、昼は一緒に弁当を食べようって誘ってくれることもあるし、教科書を忘れた時は嫌な顔ひとつせず席を寄せて見せてくれる。これで好意を持たない方が嘘だろって感じだ。
そうしたことを思い出すだけで思わず頬が緩むが、今は気を引き締めて計画を遂行しなければならない。
最初の障害は学校敷地内へ侵入すること。さすがに門から堂々と入るわけにはいかない。そこには監視カメラが設置されているし、この時間は施錠だってされているだろうから。
――でも抜け道を知っている俺にとって、この障害は何の問題にもならない。
実はグラウンドと部室棟を行き来する運動系部活の部員のため、そこを結ぶ経路上に勝手口のような小さな裏門がある。裏門には監視カメラがないし、施錠もされていない。また、木々に隠れような位置にあるから人目に付きにくい。
事実、俺は音を立てないようにその裏門を通り、悠々と敷地内へ侵入することに成功したのだった。次は教室を目指す。
もちろん、昇降口を使わずに校舎内へ侵入できる経路も把握している。校舎の東棟の一階に使われていない教室があるのだが、そこの小窓のカギは壊れているのだ。
俺は美化委員で定期的にそこの掃除を担当しているので、その事実を知っている。
ちなみにその空き教室だが、廊下側は施錠されているが内側からならカギがなくても開けられる。だから廊下へ出る時にはそこを開け、脱出する時に閉めればいい。
その後、俺は息を殺しながら忍び足でその空き教室へ近付き、窓を開けて無事に校舎内へ侵入。ただ、そのタイミングで偶然にも警備員が廊下を歩いていったので、その時には肝が冷えた。
まぁ、しばらくその場で音を立てずにじっとしていたからバレずに済んだけど。
――緊張したせいか、なんだか喉が渇いた。暑くて自然と汗もかいていることだし。
そういえば、飲みかけのペットボトルのお茶を机の中に置き忘れたままだったのを思い出した。教室に行ったらそれで喉を潤していくことにしよう。
俺は再度周囲に人の気配がないのを確認し、空き教室を出ようとする。
「あれ……?」
その時、俺は違和感に気付いた。というのも、施錠されているはずのドアが開いていたのだ。
直近に掃除を担当した美化委員が教室を出る時、施錠するのを忘れたのだろうか? それとも俺のほかにもこのルートで誰かが校舎内へ侵入しているのか?
原因は分からないが、念のため俺は廊下に面しているドアや窓のカギをいくつか開けて進むことにした。それならもし先客がいたとして、そいつが帰宅時にひとつのドアを内側から施錠してしまったとしても俺は別のドアから出入りをすればいい。
そうやっておけば、脱出経路を失うという最悪のケースを避けることが出来る。
ゆえに俺は複数のカギを開けてから廊下へ抜け、自分の教室へ向かった。照明の類は使えなが、町の灯りや月明かりなどで移動するには支障がない。
やがて廊下の前方に教室が見えてくる。そしてそこへ入った時のこと、俺の席の近くで黒い影がうごめいているのに気付く。
俺は驚いて心臓が大きく震え、小さいながらも思わず「ぅぁっ!」と声を上げてしまった。
もはや誤魔化しようがない。痛いくらいの心臓の脈動と吹き出る冷や汗。足は金縛りにあったように動かない。
直後、その影はこちらに振り向いて「ゃっ!」と微かに悲鳴のようなものを上げる。
その声の感じからすると女の子だろうか。目を凝らして見てみた結果、俺はその正体に気付いてさらに驚愕する。
「夏野さんっ!?」
「もしかして
お互いに声量を抑えつつ、内緒話でもするかのようにヒソヒソと囁く。
やはり影の正体は夏野さんだった。彼女は目を丸くしながら狼狽えている。
確か彼女は下校したはずだから、ずっと校内に残っていたとは考えられない。部活動も料理部だから、こんな深夜まで活動があるとも思えない。
だとすると、なぜこの時間に教室にいるんだろう? 夏野さんも俺に対して似たような疑問を持っているだろうけど……。
「夏野さん、どうしたの? こんな時間に教室にいるなんて」
「あっ……えとえとっ……そのっ……あっ、そうっ! わ、忘れ物を取りに来たんだ……てはは……。米田くんこそ、どうしてこんな時間にここへ?」
「俺も似たようなものかな……あはは……」
「米田くんっ、しー……」
ついつい俺の声が大きくなってしまっていたみたいで、夏野さんは人差し指を口元に当てるジェスチャーをした。慌てて俺は押し黙り、周囲を見回して警戒する。
ただ、幸いなことに周囲は静まり返っていて、警備員には気付かれなかったみたいだ。
「まさか夏野さんとこんな形で出会うなんて思わなかったよ」
「それは私も同じ気持ちだよ。でもすごい偶然だね。教室に忍び込むタイミングまで合うなんて。なんか運命を感じちゃうな」
クスクスと微笑む夏野さん。月明かりに照らされているその姿は幻想的で、いつも以上に可愛く見えて俺はドキッとする。
その気持ちを悟られないよう、俺は誤魔化すように彼女へ話題を振る。
「夏野さん、もしかして東棟の空き教室から侵入した?」
「あ、うん。以前に米田くんからあの教室のカギについて、聞いたことがあったから」
「なるほどね……」
そう言われてみると、一緒に昼食を採っている時にそういう話をしたかもしれない。それならカギが開いていたことに納得がいくし、ほかの侵入者がいるという懸念もなくなる。
ただ、これで俺の計画も全ては水の泡。まさか本人の前で本当のことを話すわけにはいかない。ガッカリしつつも仕方がないと諦め、気を取り直して彼女に声をかける。
「じゃ、警備員に見つからないうち、お互いに用を済ませて学校を出よう」
「そうだね。えーと、私、忘れ物は――」
夏野さんは自分の机の中に手を入れ、中を探った。するとその直後になぜか彼女はハッと息を呑み、例のリコーダーを取り出す。
「私……リコーダーを忘れて帰っちゃってたんだ……」
「っ? どういう意味?」
「えっ!? ううんっ、何でもないっ! そ、それよりも米田くんの忘れ物って何? もしかして飲みかけのペットボトルのお茶かな? それ以外は机の中に入ってないもんね?」
「そ、そうっ! 月曜まで放置したら飲めなくなっちゃうだろうから取りに来たんだっ!」
「そういえば私、なんだか喉が渇いちゃった。……えっと……その……ちょっともらっちゃおっかな」
そう言うと夏野さんは僕の机の中に手を入れ、ペットボトルを取り出した。そしてフタを開けてグイッと一口。そのあと、再びフタを閉めてそれを俺に渡してくる。
…………。
っていうか、これってもしかして間接キスになるんじゃね? 夏野さんはそのことに気付いているのか、気にしてないのか?
少なくとも俺がこれを飲んだら、合法的に間接キスが出来ることに……。
戸惑いながらペットボトルを受け取った俺は夏野さんへ視線を向けた。彼女はにこやかな笑みを浮かべているだけ。心の内は掴めない。
その後、俺たちは警備員に気付かれないように空き教室へ戻り、全てのドアや窓に施錠をして校舎を脱出したのだった。
◆
自宅へ戻った俺は持ち帰ったペットボトルを勉強机の上に置き、それをボーッと見つめていた。勿体ない気がして飲むことが出来なかったのだ。
その時、俺の頭の中にふとした疑問が浮かぶ。
「どうして夏野さんは俺の机の中に飲みかけのペットボトルがあるって知ってたんだ? それにほかには何も机の中に入っていないってことまで……」
考えてみれば、違和感はほかにもある。彼女がリコーダーを置き忘れていたことだけど、そのことに気付いたのは机の中に手を入れた時だったような気がする。でも持ち帰ったのは、そのリコーダーだけだった。
だとすると彼女が教室へ忍び込んだ理由は?
…………。
ま、まさか……ね……。
真相は全てが闇の中だ。
〈了〉
真夏の夜の夢かうつつか みすたぁ・ゆー @mister_u
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