番外編その4 悪魔と女神の誓い
■悪魔と女神の誓い■
月の下、凍える泉で身を清める姿を、幾度盗み見ただろう。
初めて見た時から、この髪に触りたいと男は思っていた。
西のバカブ神が復活した。
城は跡形もなく消し去り、代わりに西のバカブ神の分身であり、第三世界を支える柱の一つ、何処までも青々と伸びる大木が出現した。
戦いに関わった者達は皆、それぞれの場所で傷を癒していた。
女神は宿屋の質素なベッドで、汚れた法衣のまま眠っていた。
その髪は上等な絹糸で、男の褐色の手から落とすと、太陽の光を含みながらシャラシャラと落ちていく。
白い肌はいつにも増して血の気がなく、今にも消えてしまいそうだった。
… 血
自我の遠のく中、上等な酒のように甘美な匂いと味だった。
この肌からは想像つかない程にまったりと、濃厚な味。
舌に絡み付き、喉を甘く焼いていく…
「二度はありませんよ」
剥き出しの首筋を触っていた手が、力なく払いのけられた。
女神はゆっくりと上半身を起こし、その紫の瞳で男を睨みつけた。
「あの状態から、よくたった一日で回復したな」
男は喰いちぎった細い肩口を凝視した。
きめ細かい薄い肌に立てた牙は、いとも簡単に薄い肉や血管を食いちぎり、骨すら噛み砕いた。
確かに、喰いちぎった。
感覚すら、確りと思い出せる。
が、破れたままの法衣から覗くそこには、その跡すらない。
「普通なら…」
「死んでもおかしくないですね。
喰いちぎられたことも、あれほど血を飲まれたのも初めてでしたよ」
血に染まり、意識をなくしたクレフをここまで運んだのはこの男だった。
体は羽根のように軽く、刻一刻と細胞は新しく生まれ、その体を再生していった。
大量の血を流したせいか温もりはなかったが、心臓の鼓動が微かに感じられた。
「治療もしない、回復呪文もかけていない。
完全に自力で回復した。
傷跡すらなくな。
何者だ?」
西のバカブ神の剣を使いボロボロになった男の腕は、レビアの回復呪文で見かけは元通りだが、少量の痺れが残っていた。
稀に、ごく稀に、仕事が一緒になる時があった。
しかし、お互いに協力し合うものでもなく、視線の片隅で存在を確認するぐらいだった。
今までは、役割ははっきりしていた。
共に戦うのは、今回が初めてだった。
クレフはいつでもどんな時でも凛と立ち、自分のペースを乱すことなく仕事を完了していた。
こんなクレフを見るのは、初めてだった。
男はクレフの顎を抓み、ジッ…っとその瞳を見つめる。
少し伏せた、力のない瞳。
「何者でもありません。
私は私ですよ、アレル」
その手を払い除けることなく、クレフは真っ直ぐに男を見つめかえした。
「へぇ、オレ様の名前、憶えてくれてたんだ。
自己紹介、したことねぇのに」
「記憶力には自信がありますから。
一応、私もレビアの直属の配下ですからね。
嫌でも聞こえてくるのですよ。
『姫が悪魔を手なずけた。
闇を翼にもち、地獄の炎を吐く悪魔を』
とね。
まぁ、レビアが手懐けたのは悪魔だけではないってことですよ」
男は紫の瞳に吸い寄せられるように、血の気のない唇に自分の唇をそっと重ね、見た目より厚みのある唇を軽く噛んでから離した。
「なっ…」
「おっ、目がでかくなったぞ」
わざと茶化すように言って、男は空気を変えた。
「なにを…」
「キスだろ。
震えてるけど、寒いか?
俺が抱き締めて、暖めてやろうか?」
「結構です!」
怒りに震えて払いのけようとしたが、血の足りない身体は、自分が思ったよりも動かなかった。
「感激で頭まで血が登ったか?
顔色が良くなったぞ。
ここもな」
もう一度。
今度は一瞬、少し強めに唇を吸って離れた。
「出て行ってください」
男は投げられた枕を簡単に受け取ると、軽くひざあたりに投げ返した。
「お前、オレのモノになれよ」
「死にますか?」
「オレを殺す?
なら、誰にも渡さないように、お前を殺してやるよ。
お前に、誓う」
手にかけた首は滑らかでとても細く、皮膚の下を流れる血が、男を誘った。
「では、私も誓いましょう。
私を殺せるのなら、貴方のモノになると」
女神はその瞳に悪魔を映し、不適に笑った。
零地帯 三間 久士 @hisasi-mima
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