番外編その3(過去から未来へ)

■過去から未来へ■


「最後まで、あの人を『アレル・レビィ』でいさせてください」


 それは、僕があの人を殺した瞬間だった。

この言葉が、自分の命に代えても護ると誓った大切なあの人を殺した。

その死が変えることのできない運命だとしても、あの人の願いだったとしても…


僕は、生きて欲しかった。


「俺を殺すのは、お前だ」


 それが、あの人との約束だった。

あの人は、ジャガー病に侵された人を殺した。

何人も何人も。

老若男女関係なく、ジャガー病に侵されたものは例外なく殺した。

愛する自分の母親や、妹でさえも。

それは、魂に刻まれたあの人の『業』。

手に入れたくて入れられなかった愛しき人を失い、自我を失って護らなければいけない者達を殺してしまった罰。

そして、最期は光も射さない穴の中で一人…


 小さな国にある名も無き集落は、住む者は居なかった。

点々とある焼け崩れた家と、同じように焼け崩れた教会があるだけで、あとは青い花が一面に咲き乱れていた。


『終末』直後は良く見なかったから気が付かなかった。

白月花とよく似ている。


 そう思いながら、旅の男は足元の花に触れた。


「ああ、摘まないで。

その花の種は、薬になるの」


 不意に、背後から声を掛けられ、旅の男はゆっくりと振り返った。

そこには、肩から鞄を下げた女性がニコニコと立っていた。

癖のない黒髪を無造作に束ね、ぽっちゃりとした体を、絵の具で芸術的にペイントされた服で包むその人は、旅の男の良く知る人物だった。


「お久しぶりです、アブビルトさん。

貴女がこの集落までいらっしゃるなんて、珍しいですね」


「お久しぶり。

元気そうで良かったわ。

ニコラス君が、この花の種がジャガー病に効果的だと発見したのよ」


 アブビルトと呼ばれた女性は、鞄の中からスケッチブックと色鉛筆を取り出すと、剥き出しの地面に腰を下ろして、集落の風景を描き始めた。

旅の男は、そんなアブビルトの横に腰を下ろした。


「もう一冊、あるわよ」


 アブビルトは有無を言わさず、男に鞄から出したスケッチブックを手渡した。


「もとは、ニコラス君のお姉さん達が診ていた、ジャガー病患者さんが無くなった時、患者さんから出てきた種だったみたい。

体は感染予防で焼かなきゃいけないじゃない? でも、焼くと骨すら残らない時もあるのよね。

だから、代わりにその種を植えていたんですって。

ただ、その頃は、花はおろか、芽すら出た事は無かったらしいわ」


「… タイアードさんの『雨の神』として降らせた雨のおかげでしょうか?

ジャガー神が復活して、地上を超え天まで昇った直ぐ後、慈悲と復活の雨が降ったと聞きました」


 旅の男はスケッチブックを適当に捲り、二人の間に置かれた色鉛筆に手を伸ばした。


「さぁ? そこまで分からないわ。

ただ、後退してしまったジャガー病の研究が、前進し始めたのだから、いいのよ。

ここは、王様にお願いして、立ち入り禁止地区にしてもらったの。

この花、ここでしか咲かないのよ。

だから、これからこの景色も変わってしまうかもしれないから、記録しておこうと思って」


「なるほど…」


 二人はしばらく、無言でスケッチをしていた。

紙と色鉛筆の芯が擦れる音を、風が優しく拾い上げた。


「ニコラス君は、元気よ。

ココットも、アンドレア君もジョルジャ君も、ニコラス君の研究を自ら手伝っているわ。

ニコラス君は、二人にはジャガー病とは違う何かに没頭して欲しいみたいだけれど…

コルリ君は、相変わらずあの町と教会を行ったり来たり。

去年は2人、助けて来たわ。

ジャガー病にも感染してないようだから、教会で預かっているわ。

アイビスちゃんは、皆のお姫様よ。

私のお手伝いをよくしてくれるし、保護された子ども達の面倒をよく見てくれているわ」


 アブビルトは、旅の男のスケッチブックを、人差し指でトントンと軽く押した。

男がページをめくると、成長した子ども達の顔や、背比べの絵があった。

どれもが笑顔で、旅の男は目頭が熱くなるのを感じた。


「探し人は、見つかった?」


 再び、アブビルトは絵を描きだした。


「… まだです」


あの時、手放すしかなかった。

あの時握りしめた手は、あの人のではなく、まだ幼い手だった。

あの人との約束を、守るしかなかった。

それが、あの人の願いだと分かっていても…


「生きて欲しかった…」


 ポツリと、男の口から言葉が落ちた。


この絵の中に、年を重ねたあの人の顔が欲しかった。

きっと、どんなに年を重ねても、悪ガキの様な笑顔は変わらないのだろう。

この絵の中に、もっと沢山の人々が欲しかった。

先に逝ってしまった大切な人たち…


「この花の種はね、ジャガー病患者の最期の涙だったらしいわよ」


 声もなく涙を流す男に、アブビルトは絵を描いたまま、静かに言った。


「では、あの人の花はありませんね」


あの人は、涙を流さなかった。

最期のその時さえも、笑っていた。


 旅の男は袖で顔を拭い立ち上がると、アブビルトにスケッチブックを返した。


「あの人は『鳥』… もしくは、躾の成っていない『犬』ですから、早く探さないと。

誰かにご迷惑をかける前に」


 『終末』で、輪廻転生のシステムがどうなったか、誰にも分らない。

ただ、旅の男は信じて探していた。


「ニコラス君が、いつも人数分の料理を作っているわよ。

食費、馬鹿にならないから、見つけたら、真っ先に連れてきてね。

ちゃんと、今までの分も払ってもらわなきゃ。

皆も、待ってるしね」


 アブビルトは子ども達の笑顔を描いたページを破ると、旅の男に手渡した。


「はい、勿論です」


鳥でも犬でもいいです。

貴方のその手を握りしめて、皆の元に帰りましょう。

暗い穴ではなく、青空の下でニコラス君のご飯を食べましょう。

それまで、僕も諦めませんから。


 男は笑顔で受け取り、旅を続けるため、歩き出した。


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