満月の夜のランデブー
平 遊
真夜中のファンタジー
満月や新月の夜には、不思議なことがよく起こると言う。
友人や知人から様々な話は聞かされていたものの、早夜子は全く信じていなかった。
現実主義者だから、というのも理由の1つではあるが、なによりも早夜子自身が何ひとつ不思議な経験などしたことがない、というのが一番の理由だ。
祈っても神様は聞いてくれないし、願っても会いたい人には会えないし、疲れ果てても誰も助けてはくれない。
早夜子はとても疲れていた。
体も。心も。
まるで鉛のように重たかった。
毎日仕事に追われて、家と職場を往復し、休みの日には泥のように眠るだけ。
いつもひとり。
今日もひとり。
職場からの帰り道。
ふと夜空を見上げると、高い場所に満月がいた。
早夜子は月を眺めるのが好きだった。
特に、今夜のような満月が大好きだった。
夜闇を柔らかに照らす月の光は、疲れた早夜子を優しく包み込んで、癒やしてくれるような気がして。
手を伸ばしたところで届きはしないが、今夜の満月はまるで早夜子を誘っているかのように、早夜子の前をフワフワと浮いている。
どうせ終電の時間など、とっくに過ぎているのだ。
このまま少し歩いてみるのもいいかもしれないと、早夜子は月を追うように歩き始めた。
(…フワフワと?…月が?)
暫く月の後をついて歩いていた早夜子だったが、ふと我に返ってその場に立ち止まった。
月が『フワフワ』と浮くわけなどないのだ。
では、早夜子が追いかけていたものは、いったい…?
『満月の夜にはね…』
ふいに、友人の言葉が頭に響く。
『不思議なことが起こるんだよ』
(私にも起こるのかな。不思議なことが)
まだ空高くにいる満月は、いつもどおりに淡い光で夜を照らしているだけ。
やはり、不思議なことなど起こらないのだと、早夜子が視線を足元へと落とすと。
「えっ…?!」
いつの間にか、早夜子の周りは一面、真っ白な花で覆い尽くされていた。
「なにっ、これっ?!」
驚いて後ずさろうとした早夜子を、柔らかな低い声が止める。
「動かないで。踏んでしまう」
声のする方に顔を向けると、そこには月がそのまま人の形を象ったような淡い光を放つ紳士が、宙に浮いていた。
「月下美人の花は一夜限り。せっかく咲いた命の花を踏まれてしまうは余りに哀れ。さぁ、こちらへ。お手をどうぞ」
そう言うと、紳士は穏やかに微笑みながら、早夜子へと左手を差し出す。
まるで思考が停止してしまったかのように、早夜子は右手を差し出された紳士の左手に委ねた。
と。
フワリと早夜子の体が宙に浮いた。
早夜子を連れ、紳士は夜空をゆっくりと舞った。
月下美人の花畑の上を。
星影が煌めく湖の上を。
その周りでは、いくつもの小さな光が、フワリフワリと揺れている。
(この人…)
会ったことなどないはずなのに、早夜子は何故かこの紳士を知っているような気がした。
それも、何度も会っているような。
やがて、再び月下美人の花畑に戻ると、紳士は言った。
「ようやくお会いすることができましたね、早夜子さん」
早夜子の手を引き、紳士はフワリと、早夜子を抱きしめた。
優しく包み込むように。
それはまるで…
(あぁ、この人は…)
やがて、紳士が放つ光が次第に弱まり、その姿が透け始めた。
紳士は早夜子を地に下ろすと、月下美人の花を一輪手折り、早夜子の髪に挿した。
「またいつか、満月が一番高くにかかる時に、お会いしましょう」
紳士の声が消えると、そこはいつもの通い慣れた通勤路。
早夜子はひとり、道の真ん中に立っていた。
(私…夢でも見てたのかな…)
夜空を見上げれば、満月は西の方へと帰り支度を始めている。
(早く帰って寝なくちゃ)
家路を急ぎながら、何気なく髪をかきあげようとして、早夜子はハッとした。
その場に立ち止まり、指に触れたものをそっと外して見てみると。
「これは…?!」
月下美人の花を象った髪飾りに、早夜子は再び満月を見上げる。
『満月の夜にはね…不思議なことが起こるんだよ』
(本当ね。不思議すぎて夢みたい)
体の疲れはまだ残っているものの、早夜子の心は羽根のように軽い。
先程までの重たさが、嘘のようだ。
(いつか、また…)
小さな笑みを浮かべると、早夜子は再び家と歩きだした。
【終】
満月の夜のランデブー 平 遊 @taira_yuu
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