心願 MIDNIGHT

シンカー・ワン

夜の訪問者

 深い夜のとばりに包まれた宿の四人部屋。

 使われている寝台は入り口側のひとつと窓側のふたつ。

 窓側のひとつで静かに眠りについていた忍びクノイチの寝息が乱れ始める。

 汗を掻きながら苦し気に眉を寄せ、なにかに抗うように寝返りを繰り返す。

 幾度目かの寝返りをうった際、弾かれたように目を覚ました。

「ハー、ハーッ……」

 身体を起こし、全力疾走を終えたような荒い呼吸を落ち着かせようとする。顔の赤みはいきみからと言うよりも、どこか羞恥の色がうかがえた。

「――なんで、あんな」

 そこまでつぶやいて口元を手で覆う。片方の手は胸元でブランケットを握りしめていた。

 こぼれてしまいそうな言葉を飲み込んで手のひらを外し、深呼吸をゆっくりと繰り返し息を整える。

 激しかった動悸が収まるのに合わせて思考も落ち着きを取り戻し、現状の把握を試みだす忍び。

 寝苦しさを覚えた原因を省みて、いまだ紅いままの頬にさらに朱が走り、ブランケットを掴む手に力が入る。

 "――あんな夢ごときで心乱すとは……"

 クノイチとして房中の術を体得してはいるが実践したことはない。が、心構えは出来ているつもりだった。

 "閨事ねやごとを夢に見たくらいで動揺するなど、未熟!"

 だが、己の足りなさを恥じると同時に疑問も浮かぶ。

 元々、への興味や欲求は薄いし、自然に任せての自涜もなくはないが稀だ。

 "ひとりのときならともかく、他者と同室の状況でなど……"

 そう考えてハッと気づく。

 使われている残りふたつの寝台から、なまめかしい吐息がこぼれているのを。

 他人の秘め事をのぞき見するような真似はいけないと抑制が働くも、つい先ほどまで浸っていた淫らな夢の影響か、あるいは他人の行為への興味なのか、へ目を向けてしまう忍び。

 対面寝台の熱帯妖精トロピカルエルフ、いつも全裸で眠る彼女はせつなそうな声をこぼしながらブランケットを両脚の間に挟んで腰をくねらせていた。

 熱帯妖精の隣の寝台で眠っている女魔法使いはブランケットに埋もれていて姿は見えなかった。

 だが熱帯妖精のそれよりもはるかにつややかな声とかすかな水音みなおとがブランケットの中から聞こえてくる。

 普段のふたりの姿が頭の中で重なり、その差異に胸の鼓動が早くなり火照りがぶり返す忍び。

 ――てられている。

 頭は状況を冷静に判断するも、せつない疼きを訴える身体をつい慰めようとしてしまう。

 "なにか、おかしい"

 色欲に染まろうとする忍びの頭の片隅で、わずかに残った理性が必至で抵抗を続ける。

 総動員した理性が働かせた感覚が三人しかいないはずの部屋に、第四の存在を捉えた。

 自身の隣り、空いているはずの寝台に腰かけているが居る!

 脳の命令が出るよりも早く動き出し、ベッドに居る何かに手刀を繰り出す忍び。長年の鍛錬がなせる技だ。

 気配が霧散する。同時に忍びの頭にかかっていた肉欲の霧が晴れる。

「――あれを耐えるとは、大したものだ」

 部屋のどこからか耳障りのよい男の声が聞こえてくるが、忍びの研ぎすまされた感覚でも声の出どころはわからない。

 あえて言うなら、部屋を包み込んでいる淫靡な空気そのものから。

「何者?」

 警戒を解かず問いかける忍び。

われのことを貴様らはインキュバスと呼んでいるな」

 思いがけず答えが返ってきた。

「……夢魔のたぐいか」

 合点がてんがいった。それでを見た訳か。忍びに殺気がこもる。

「そんなに戦意を向けるな、こちらに戦う意思はない。充分とは言えぬが目的は果たせたのでな、我は退散するとしよう」

 どこか苦笑気味な、それでいて楽しそうな声。

「目的?」

「食事だよ、我らの栄養は貴様たちの精神こころなのでな。なにほんの少し分けてもらうだけだ。対価として良き夢を与えておる」

 殺気をまとった忍びの問いに返ってきたのは夢魔の道理。

 夢という言葉に、肉欲に溺れている自分の姿が思い出される。

「あんなものが良い夢で――」

 羞恥で激高する忍びにかぶせて、

「我らは貴様らの心の底にある願いを掬い上げるだけ。真実をさらけ出されたからと言って怒りを向けるのは止めてもらいたいものだな」

 揶揄するような声音でインキュバス。

「貴様らの言葉で、理不尽。と言うのだったか?」

「――っ」

 夢魔の言葉になにも言い返せず、ただ唇を噛む忍び。

「心を誤魔化さず正直に生きることだ、さすれば魂は開放され喜びの園へとたどり着けるぞ人の子よ。では、また良き夜に……」

 気配が薄れていく、去っていったようだ。

 夢魔の気配が完全になくなっても、使われていないベッドの横で立ち尽くしたままの忍び。

 自分が見ていた夢がフラッシュパックしてくる。

 蕩けるような顔をして口には出せないような破廉恥な行為に溺れている自分の姿。

 嫌悪と同じくらいにどこか羨ましがっているのがわかってしまう。

 どんなに取り繕うが己はあさましいのだと知らされた。

 完敗だ。あの夢魔にぐうの音も出ないほど打ち負かされたことを悟る。

「――ん、んん……」

「……は、ぁ……」

 ふたりが目を覚ましたようだ。どこかしぐさに艶めかしさがある。

 夢魔が襲来していたことを明かすべきかどうかと、悩む忍びであった。  

 

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