午前零時の秘め事

紫月音湖*竜騎士さま~コミカライズ配信中

表と裏

 午前零時。

 部屋を出て、二階の奥。東側から数えて三番目の扉。


 コン……。

 一度目から少し間を開けて、今度は二度、控えめに叩く。

 コン、コン。


 手に持ったキャンドルスタンドの明かりが、私の影を廊下に縫い付けようとするその前に、目の前の扉が音もなく開かれた。かすかな空気の流れにオレンジ色の炎が揺れて、部屋の暗闇に潜むあなたの黒髪をあぶり出す。あなたのネイビーブルーと目が合った瞬間、私たちの秘密の夜がはじまった。


 いつものあなたとは思えないほど、余裕のない顔が好き。

 何にも興味がなさそうなふりをして、何度も私の唇を塞ぐあなたが好き。

 細くてしなやかなその指も、この暗闇の中でだけ見せる、熱に浮かされたネイビーブルーの瞳も。

 こぼれる吐息と一緒に、私の名前をささやくあなたの声も、すべてが好き。


 キャンドルの炎はほんのわずかな闇だけを照らして、オレンジ色に染まった壁に二人の影が浮かび上がる。

 月に一度。屋敷の二階。東側から数えて三番目の扉の奥。そこで重ねられる、誰も知らない真夜中の逢瀬。

 女の顔をした私と、男の顔をしたあなた。この部屋のわずかな灯りの中では、愛をささやく言葉すらいらない。そんな暇があるのなら、もっとあなたの熱を感じたい。あなたの熱で満たされたい。次の夜が来るまでに、忘れられないあなたの痕を、どうか強く深く残して欲しいの。



 ***



 ふぁ……と、欠伸をかみ殺した。

 昨夜寝たのは朝方近くだったので、正直もう少しだけ寝ていたい。けれども時間通りに侍女が起こしに来るし、朝食はみんな揃って食べるという家族の決まりごともある。お父様は温厚だけれど、約束を破ることにはとても厳しいひとだ。


 朝の支度を終えて一階へ行こうとすると、ちょうど階段の下に執事がいるのが見えた。

 きっちりと後ろに流した髪には寸分の乱れもなく、彼の几帳面な性格を表しているようだ。細い銀縁の眼鏡は良く似合っているのだが、クールを通り越して近寄りがたい雰囲気さえする。侍女たちの間でも仕事に厳しい執事として恐れられている彼は、お父様雇い主の娘である私にも容赦がない。早速私を見て、綺麗に整った眉を顰めて深い溜息をついた。


「淑女たるもの、人前で欠伸などもってのほかです」

「昨夜は少し寝るのが遅くなって……」

「夜更かしは関心しません。自分の身くらいしっかり自己管理して下さい」

「そんなこと分かってるわよ。でももう少し言い方ってものがあるでしょう!?」


 いつもの彼の口調に、私もつい言い返してしまう。冷たいし厳しいし、全然優しくない。お父様に雇われているくせに、その娘である私に対しても間違ったことはダメだとちゃんと叱ってくる。それが嫌なわけではないけれど、もう少し優しい言葉を選んで欲しいとも思ったりする。


「お嬢様」


 そんなことを考えていると、不意に彼が顔を寄せてきた。ふわり――と香る、彼の匂いにどきりとする。


「失礼します」


 彼の長い指先が、私の顎を掠めて耳の後ろから首筋をつぅっと撫で下ろした。ちょうど襟元で隠れる肌をつつかれる。


「少し赤くなっていますね」

「……っ!」


 思わず声を詰まらせた私を見て、彼の眼鏡の奥、その美しいネイビーブルーの瞳がいたずらに揺れる。


「次は、もっと見えない場所にしましょうか」


 誰にも聞こえないようにささやく声音は、秘密の夜に咲いた花をあまく疼かせて――。

 真夜中にだけ見せる男の顔は、私が赤面しているあいだに、すっと銀縁の眼鏡の奥に隠されてしまった。


「……っ、だいっきらい!」

「存じておりますよ」


 そう言って涼やかに笑う彼があんまりにも素敵だから。

 私は昨日の今日だというのに、もう来月の夜を心待ちにしてしまった。





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