公園でライダーごっこするお姉さんが仲間になりたそうにこっちを見ている

くれは

俺、参上!

 二〇一九年三月三十一日は日曜日だった。その日の夜、いや、もう日付は超えて四月一日。

 真夜中だった。春休みを持て余して眠れずにいた俺は、家を抜け出した。春休みが終われば高校二年生。将来についてだとか進路についてだとか、本格的に考えないといけなくなってくる。そんな憂鬱を紛らわせるための行為だった。

 月の出てない夜は暗い。街灯の明かりを辿りながらコンビニに行って、特に食べたかったわけでもないけど、プリンとドーナツを買ってしまった。

 小さなビニール袋をぶら下げての帰り道、ふと、小さな公園の中にその人影を見た。


 そのシルエットで女の人だというのはわかった。背中の中程まである髪が艶やかに街灯の光を映していた。

 俺が足を止めたのは、その立ち姿を見てのことだった。軽く足を開いて、真っ直ぐに立っている。右手は腰──いや、腰より少し手前。大きなベルトのバックルがあれば、ちょうどそこに手をやっているように見えただろう。

 そしてその右手が持ち上がる。手のひらを上にして、胸の前を通って左耳の上辺りまで。そこで、その右手のひらがくるりと反転する。


変身ヘシン!」


 その声に、背中をざわりと撫でられた。そこに立っているのは確かに女性で、その声も確かに女性だけど、そこにいるのは確かに仮面ライダーブレイドだと思った。

 それまで降ろされていた左手が、宙を薙ぐ。右手と交差するように大きく右に突き出してから、左手側に戻ってきて、力強く前方に突き出される。同時に右手が下に動く。

 その右手が、見えないバックルの前で動く。俺にはそれの意味がわかる。バックルのターンアップハンドルを引いてターンアップさせたのだ。そして、走り出す。

 その目の前には、オリハルコンエレメント──四角いカード状のエネルギースクリーンがある。いや、ここにはないけど、俺の目には確かに見えていた。それを通り抜けることで、仮面ライダーブレイドに変身するのだ。


 それは、完璧な、変身シークエンスだった。


 俺は手に持っていたコンビニのビニール袋を取り落としてしまった。公園の仮面ライダーブレイド──いや、その女の人は足を止めて振り返った。

 目が合って、何秒だろう、お互いに言葉もなく見詰め合ってしまった。


 それが、俺──最上もがみ涼太りょうたと、和奈かずなさん──千崎せんざき和奈かずなの出会いだった。




 俺が呆然としている間に、その女の人──和奈かずなさんはあわあわと周囲を見回して、それからばたばたと公園から逃げ出そうとした。俺は咄嗟に追いかけてその手を掴む。近くで見れば、彼女はよれよれのジャージを着ていた。胸にどこかの学校の校章が見える。


「あ、あの……何か……?」


 和奈かずなさんは困ったように俺を見た。そうやって見ると、確かに女の人だった。俺よりも年上に見えた。ジャージは高校のものっぽいけど、高校生には見えない。

 さっきまでは、間違いなく仮面ライダーだったのに。ブレイドがそこにいると思ってしまったのに。

 その姿を思い出して、俺はその感動をそのまま、口にした。


ブレイド、すごくかっこよかったです」


 俺の言葉に、和奈かずなさんは大きく目を見開いて俺を見た。それから、はにかむように笑って「ありがとう」と言った。




 真夜中の公園で、名前を名乗り合って二人でベンチに座る。こうやって並んで話しているのは、お互いに仮面ライダーが好きだとわかったからだった。

 俺がコンビニのビニール袋を差し出せば、和奈かずなさんはプリンを選んだ。プリンはさっき落としたせいでぐずぐずになってしまっていたけど、そんなことも気にせずに和奈かずなさんはプリンを小さなスプーンですくい上げて口の中に入れた。

 俺はドーナツを食べる。ドーナツはもっさりとした生地で、チョコレートがかかっていて、口の中の水分を容赦なく奪ってゆく。喉がつまりそうで、なんだかうまく喋れなかったのは、それのせいだったと思う。

 スプーンにプリンを乗せたまま、和奈かずなさんが口を開く。


「今朝の──もう昨日か、最新のジオウ見た?」

「見ました」

一真かずまはじめだったよねえ」


 仮面ライダージオウは周年記念作品で、過去作のライダーや当時のキャストがゲスト出演する。そして、三月三十一日放送回のゲストライダーは仮面ライダーブレイドだった。

 ブレイドの登場人物である剣崎けんざき一真かずま相川あいかわはじめが当時のキャストで物語に登場していた。当時の雰囲気そのままに、ブレイドの新しい物語が展開されていた。


一真かずまはじめもなんていうかほんとブレイドって感じで、久しぶりの変身見たらなんかこう、ずっと気持ちが収まらなくて、何度も見返しちゃって、眠れなくなっちゃってさ。それで頭冷やそうと思って散歩に出たんだけど、やっぱりこう……気持ちが昂ぶってて、こっそり一人で変身してたんだよね」


 そう言って、和奈かずなさんはプリンを口に含んだ。


「俺は……すみません、ブレイドはリアルタイムだと記憶になくて。見たの最近なんです。だから懐かしいって感じはあまりなくて。でも、ブレイドだな、と思いました」


 正直な気持ちを話しても、和奈かずなさんは嫌な顔をしたりしなかった。街灯の明かりの中で俺の顔を見て、何度か瞬きをする。


涼太りょうたくんはライダー何から入ったの?」

「リアルタイムで記憶に残っているのは電王でんおうですね」

電王でんおうか! 若い!」

「若いって言うほど違わなくないですか」

「わたしはブレイドがリアルタイム。正直、当時はお話を全部理解できてたわけじゃないけどさ、でもわたしはあれを見て、わたしも仮面ライダーになりたいって思っちゃったんだよね。それで今でもブレイドが一番好き。ネットであれこれネタ扱いされてたとか、それ以外にもいろいろ言われてたとか、後から知ったんだけど、それでもわたしにとってはブレイドが一番のヒーロー」


 それはとても共感できた。俺にとって電王でんおうは、魂に刻み込まれたヒーローだった。主人公の野上のがみ良太郎りょうたろうの戦いの全てを理解するには俺は幼かったけど、それでもその姿を俺はずっと夢中で見ていたのだ。かっこいいと思って追いかけていたのだ。

 でも、なんとなくそれを口にするのが恥ずかしくて、俺は言葉少なく頷くだけだった。


「それは、わかる気がします」


 圧倒的に足りない俺の言葉に、和奈かずなさんは俺の顔を見て笑った。なんだか、俺の気持ちなんか全部わかられているような、そんな気がした。感じた罪悪感は、きっと俺が自分の好きなものを好きだと語るのをためらってしまったせいだ。

 目を伏せて、食べ終わったドーナツの空き袋をビニール袋に突っ込む。和奈かずなさんが良いこと思いついた、みたいな表情で声をあげる。


「あ、じゃあ、あれやって。『俺、参上!』って」

「……え、俺がですか?」

「やってよ。真似したことあるよね?」


 和奈かずなさんが身を乗り出して、俺の顔を覗き込んでくる。俺は上体を後ろに傾けて、目を逸らす。


「それは……小さい頃は真似したりしてましたけど」


 俺の顔をじっと見ていた和奈かずなさんが、にんまりと笑った。


「小さい頃だけじゃないでしょ?」

「えっと……」

「だって、変身、しないわけがないよね?」


 わかってるんだぞと言うように、和奈かずなさんはふふんと胸を張った。目の前で見ると、割とボリュームがある。それに気を取られて──俺は素直に頷いてしまった。


「それは……はい」

「じゃあ、今から、どうぞ。だいたい、わたしの変身を見ておいて、自分は何もしないつもり?」


 それで俺は、真夜中の公園で仮面ライダー電王でんおうに変身することになったのだった。




 今俺の腰には、デンオウベルトがある。臍の下あたりにある大きなバックル。見えないけどあるのだ。両足は軽く開く。

 俺の右手には変身アイテムであるライダーパスがある。あるという気持ちで右手を持ち上げる。

 仮面ライダー電王でんおうに変身する野上のがみ良太郎りょうたろう、その体にモモタロスが憑依して変身するのがソードフォーム。その変身は割と無造作だ。

 左手で見えないバックルのボタンを押せば、電車の発車メロディーのような変身待機音が脳内で再生される。和奈かずなさんもきっと、その音を聞いているんじゃないかって思えた。

 その音に合わせて、好戦的なモモタロスらしく挑発的に顎をあげる。


「変身」


 持ち上げた右手を降ろして、ベルトのバックルの前を通す。滑らせるように軽くタッチ。ソードフォーム、という機械音声を脳内で聞く。

 変身の間は立っているだけ。周囲に電車のレールのようなものが展開されて、装着を待つ。装着が終われば、右手を持ち上げて軽く右肩を回す。

 それから、左手の親指で自分の胸を指す。この手は右手の時と左手の時とどっちもある。きっとその時のモモタロスの気分で違っている。


「俺」


 それから、足を広げて膝を曲げて腰を落とす。両手は大きく広げて、右手は高く後ろに、左手は前方に。


「参上!」


 その視線の先で、和奈かずなさんがぴょんぴょんして両手を叩いているのを見てしまって、俺は急に冷静になってさっと姿勢を戻した。


「すごい、ちゃんと電王でんおうソードフォームだったよ! モモタロスだったよ!」


 和奈かずなさんが興奮気味なので、余計に羞恥心が刺激される。


「いや、あの……めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど」

「大丈夫! ちゃんとかっこよかった!」


 恥ずかしくなって俯いた俺の横で、和奈かずなさんははしゃいだ声をあげていた。


「あ、二人いるならWダブルいけるよね、Wダブル! わたしフィリップやって倒れるから、涼太りょうたくんは『お前の罪を数えろ』やって!」

「いや、倒れるって、無茶言わないでください、危ないですから」

「大丈夫、倒れる練習何度もしたから! 危なくないように倒れるから!」




 そうやって、俺と和奈かずなさんは一緒に仮面ライダーごっこをする仲になった。真夜中の公園で仮面ライダーの感想を話したり、一緒に変身したり──。

 そのうち、仮面ライダーの映画を一緒に見にいくようにもなるのだけど、それはまだ少し先の話だ。





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