ナイトアイビス

赤木フランカ(旧・赤木律夫)

もう大丈夫だよ……

 夜遅く、週末の中間テストに向けて勉強をしている時だった。低く獣が唸るような音が空に響く。私はペンを置いて、少しの間耳を澄ます。


 空軍の救難機のエンジン音だ。


 この音を聞くたび、私は幼い頃の記憶を思い出す。



 何歳くらいだろう? たぶん二歳とかそのくらいの時のことだったから、ハッキリとは覚えていない。だけど、すごく寒くて、暗くて、怖かったというのは覚えている。


 その時私は船の上にいた。小さな船で、荒い波に揉まれて今にも転覆してしまいそうだった。船が軋む音を聞きながら、私は硬い甲板の上に身を横たえていた。


 私のすぐ側には女の人がいた気がする。私が寒くて震えているのに、その人はピクリとも動かず、静かに眠っていた。今思えば、あの人は私のお母さんで、既に凍死していたのかもしれない。


 ふと、上から犬が唸るような声とともに、強い光が落ちてきた。風がいっそう強くなり、船の周りの海面が激しく揺れる。私はいよいよ船が転覆すると思って、怖くてお母さんにしがみついた。


 その時、光で照らされた甲板の上に一本のロープが垂れてきて、それを伝ってオレンジ色のベストを着た人が降りてきた。


「大丈夫ですか!」


 空から甲板に降りてきた人は大きな声で呼びかけながら、私たちに駆け寄った。女の人の声だった。


 彼女は私たちの他に甲板の上に寝ていた男女に声をかけ、身体をゆすった。みんなお母さんと同じように動かない。


 空から降りてきた女の人は、最後に私たちのところにやってきた。お母さんが動かないことを確認すると、彼女は悲しそうに目を伏せた。


「辛かったですね。娘さんは無事ですよ……」


 女の人は祈るように手を合わせ、静かに目を閉じる。しばらくの沈黙の後、彼女は目を開けて、通信機に向かって何かを報告する。幼い私には難しい内容で、彼女が何を言っているのか解らなかった。


 通信を終えると、女の人は私に優しい声で語りかける。


「寒かったでしょ? もう大丈夫だよ。暖かい場所に行こう」


 そう言って女の人が私を抱き上げる。彼女の腕の中は暖かくて、急に眠気が襲ってきた。


 瞼が閉じる瞬間、女性の腕に縫い付けられたワッペンが見えた。そこに刺繍された白くて美しい鳥の姿は、今でも瞼の裏に焼き付いている。



 回想を終える頃、既にエンジン音は聴こえなくなっていた。


 私は胸に手を当てて祈りを捧げる。どうか救難機が間に合いますように。あの時の私のように闇と寒さに怯える人が、一刻も早く救助されますように……


 祈りを終えた私は、ペンを握り直す。目の前には私の苦手な数学の問題が立ちはだかっていた。


 だが、こんなところで躓いていてはダメだ。空軍の救難チームに入隊し、暗い海の中から誰かを救いたい。義母かあさんのように!


 義母さんも空の上で頑張っているんだ。私だって!


 気合いを入れ直し、試験勉強を再開した。


――終――

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