午前零時のフリートーク
染井雪乃
午前零時のフリートーク
要と共に鋼と通話していた
「
「ああ、今やった」
鋼に対する糸川の態度を見ていると、糸川が基本的に人当たりがよく、気遣いを得意としていることがよくわかる。鋼が、要の弟であるとどの時点で気づいたか知らないが、険悪な仲の要の身内であっても、手ひどく扱わず、同業者として接するところからも、糸川の真摯さが見て取れる。
遠野要と糸川凪は高校の同級生で、当時特に関わりはなかったものの、糸川の傷のいくつかに要が関与している――という、肌触りの悪い事実を鋼は知らない。何だか気の合わない二人、程度に思っているのかもしれない。
だからこそ、糸川がデザイナーとして作り上げた新作の宣伝写真のモデルに困っていると耳にして、鋼は兄である要を紹介したのだ。要が紙で指を切ったときほどの不快を糸川に感じていることも、おそらく糸川は要以上に傷を負っていることも、知らずに。
鋼がそれを知らないのは、鋼のせいではない。知らせたくないのは、要も糸川も同じだ。
容姿端麗というモデルに求められる条件の中でも大きなウェイトを占めるだろうそれを天然素材で満たす上に、糸川の特性も知っている要は、仕事相手としては、やりやすかったと糸川は口にした。
「鋼君に何かかけてきた? 夏とはいえ、お風呂上がりだったし、湯冷めするとよくないからね」
「ふとんかけてきた。あいつが寝落ちしたし、もう通話切るか?」
「ああ、もうこんな時間だしね」
糸川に言われて、時計を見た。午前零時を示していた。
「あ、駄目だ。まだ話があった。遠野を紹介してくれって話が何件か来てるんだけど、どうする?」
「紹介? 何で」
「モデルの仕事だよ。あれ、評判よかったから」
「糸川の新作がよかったって話じゃなかったのか?」
出した写真の評判はよかったと聞いたが、まさか自分に注目が集まっているとは思わず、要は驚いた。容姿がいいとは他者に言われるものの、要には人の顔の認識が難しいため、格好いいもかわいいも、理解できないのだ。
「新作そのものの評判もいいよ。だけど、モデルしていた遠野に頼みたい仕事があるって話もいくつかある」
要はどう答えたものか迷った。糸川は好きではないが、鋼の同業者なので、仕事に関しては無下にできない。とはいえ、要の本業は物理学の大学院生だ。深夜まで実験や研究に明け暮れることもないわけではないし、体力を使うならば、研究の方に使いたいのだ。
そうは言っても、学内でのTAのアルバイトもそんなに多くないし、就職して収入のある同年代に引け目を感じないでもない。その点、モデルとしての収入は魅力的だった。
迷った末に、要は、「研究が忙しくない時期に……糸川とか鋼の知り合いの依頼限定でなら」と伝えた。
「へえ、意外。遠野、顔がわからないのに顔がいいって言われるの、嫌がりそうなのに」
「糸川、専門書の値段知ってるか?」
「うっわ、今調べたけどエグいな」
「そういうこと。まあ、俺が顔わかんなくても、さすがに自分の表情くらいはわかるから、指示しっかりくれれば大丈夫だと思うし。思うところは……、あるけど、俺は手段を選べるほどじゃねえんだよ、昔から」
「……遠野のさあ、その無駄に自己評価低いの、謎」
糸川は少しずつ、仕事モードに普段の冷たさを混ぜていた。それが無意識か否かはわからないが。要のその考えからくる行動が、糸川の傷となったのだから、糸川が辛辣になるのも道理ではある。
「周りが思ってるより、余裕ないんだよ」
「遠野って、下なんか絶対見ないもんな。そういうストイックさ、先に進むためには必要だけど、残酷だな」
糸川の言葉に棘を感じながら、要は返した。
「向上心に溢れていると言ってくれ。そろそろ片耳イヤホンもきついだろ。切るか」
「え、実は両耳にしてるけど。片耳聴こえなくてもイヤホン片耳だと何か変な感じするし」
糸川のイヤホン事情を知って、要は少しばかり意表を突かれた。知らないことは、未だに多い。
糸川と鋼の知り合いの依頼を研究が忙しくない時期にのみ受ける、ということで合意し、その日の通話は終わった。
顔の認識が難しいからと言って、顔から逃げてばかりもいられない。そう思っての結論なのは、要しか知らないことだ。
(了)
午前零時のフリートーク 染井雪乃 @yukino_somei
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