寝かしつけ屋

寺音

寝かしつけ屋

 はっとマモルが気がつくと、周囲はまだ夜の闇に包まれていた。勉強机やその横のランドセル、本棚が天井の豆電球に照らされて、ボンヤリとその輪郭を浮かべている。


「ねむれないな……」

 マモルは布団に入ったまま首を動かすと、目覚まし時計の針に目を凝らす。短い針は数字の2を射していた。真夜中の二時である。

 布団の中でゴロゴロと身を捩り目を閉じるが、眠気は一向にやってくる気配がない。

 この際、気になっていた漫画でも読んでしまおうか。


 マモルが枕元の眼鏡を手探りで探し、それをかけたその時、突然部屋の扉が勢い良く開いた。



「ふっふっふ、眠れないんですね? 眠れないんでしょう?」


 響いた声は若い女性の声。母ではないし、マモルに姉はいない。

 突然の来訪者に、マモルは眼鏡のツルを持ったまま、固まる。


 その人物は右腕を大きく振り上げ、自らの胸をドンと叩いた。

「ならばこの私! 『寝かしつけ屋』夢乃美言ゆめのみことが! 貴方を寝かしつけて見せましょう!」

「いや、そんなハイテンションな人に寝かしつけとか、無理だと思う」

 マモルは自分が思ったよりも冷静な声で呟いた。




「えー……」

 真夜中の不審者は、彼の突っ込みに不満そうな声を上げる。最初はほぼシルエットだけだったその姿が、徐々に明らかになっていった。

 マモルの目が暗さに慣れてきたようだ。


 夢乃美言ゆめのみことと名乗った女性は高校生くらいに見える。夜に溶ける黒の髪、白い肌。快活そうな口調に反して、その瞳は垂れ目がちでトロンとしている。

 きちんと切り揃えた背中まである髪の毛は、“成長した座敷童子”とでも称されそうだ。


「って言うか、え? 『寝かしつけ屋』? 何それ、聞いたことないし、お姉さん普通に不法侵入だよね?」

「違うよ失礼な! 私は眠れない人をその名の通り、寝かしつけてあげる立派な働くお姉さんですから!」

 彼女は歩を進めマモルに近づくと、枕元に正座する。

「とにかく、君がマモル君でしょ? こんな時間に起きてちゃ駄目だよ。眠れないなら、お姉さんが寝かしつけてあげましょう!」

 彼女の着ている長袖の黒いロングワンピースが、白い床に波紋のように広がっている。

 彼は次第に、自分は夢を見ているだけなのではと思い始める。



 マモルが何も言わないのを良いことに、美言は何故かはしゃいだ様子で周囲を見回した。

「さて何が良いかな……そうだ! 絵本でも読みましょうか? それかお話が良いかな? むかーしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが——」


「絵本って……僕そんな年でもないんだけど。もう漫画とかも一人で読んでるし」

「ええっ!?」

 大袈裟な仕草で美言が少し仰け反る。

「え、だってマモル君、八歳でしょ?」

八歳だよ! それぐらいの年だったら、もうある程度の読み書きくらいできるでしょう!?」

 最近の八歳は大人びてるのねぇ、と妙に年寄りのようなことを言いながら、美言は俯く。


「じゃあ、子守唄でも歌いましょう!」

 そう言って彼女は、全く抑揚のない子守唄らしきものを歌い始めた。提案した割に、音痴なのか。

「歌もいらない! はぁ……お姉さんといると余計に目が冴えちゃうよ」

「えええっ!? それは困るんですけど!?」

 美言は再び大袈裟に頭を抱え、うんうんと唸り始める。

 マモルはやはりこれは夢で、だとしたらこのやり取りは一体何なんだと同じように頭を抱えてしまう。



 しばらくして美言が、何かを思い付いたように顔を上げた。

「そうだ! マモル君、昔ご両親にどうやって寝かしつけてもらっていたとか、そういう記憶はありませんか? 実を言うと私、マモル君のご両親に頼まれてここに来たんですよ」

「お父さんとお母さんに?」

 マモルは大きく目を見開く。

 二人はいつも忙しそうにしていたから、最近顔を合わせてもあまり話をしたことがなかった。


「ええ、本当なら自分達が傍についていてあげたいけれど……ほら、ご事情とかも色々あるでしょう? だから代理で私が来たんです! だから、私をご両親の代わりだと思って、眠れない夜にして欲しいこと、何でも言ってみて下さい!」

 美言がドンと強めに胸を叩き、少しむせていた。



 その様子に呆れながらも、マモルは記憶を辿る。

「昔、夜が怖くて……」

「ふむふむ、暗闇は怖いですよねぇ」

「お父さん、お母さんに、手を握ってもらったら、よく眠れた……気がする」

 気恥ずかしくなり、徐々にマモルの声は小さくなっていった。


 なるほど、と美言は気にした様子もなく神妙に頷く。

「では早速、マモル君。お手を拝借」

 それ、意味が違うんじゃないかな。そう思いながらも、マモルは素直に布団に入り、片手を美言に差し出す。

 彼女は両手で包み込むようにマモルの手を握った。

 美言の両手は、まるでお日様のように温かい。マモルは思わずほうとため息を漏らした。


「お姉さん、手、あったかいね」

「そうでしょう。なんたって『寝かしつけ屋』さんですからね。そこはお布団のようにポカポカなんです!」

 なんだそれ、とマモルはクスクスと笑う。何だか不思議と眠れそうな気がしてきた。


「そう言えば、お父さんとお母さんは? まだ仕事?」

 マモルはふと美言に問いかける。美言は一瞬言葉を詰まらせて、申し訳なさそうに眉を顰めた。

「へへ、実はもう先におやすみになられてるんですよー。マモル君、ずっと眠れてなかったんでしょう? 随分気にして、ご両親も眠れない様でしたから。マモル君には悪いけど、先に休んでもらっちゃいました」

「……そっか、心配かけちゃってたのか」


 美言の手から温かさが伝わってくる。繋いだ手を通じて、何だか身体までぽかぽかしてきた。

 瞼が次第に重くなる。


「ねぇ、お姉さん」

「はーい。なんですか?」

 のんびりとした口調がまた眠気を誘う。マモルは左手の甲で、目を擦った。

「ぐっすり寝て目が覚めたら……お父さん、お母さんに元気に『おはよう』って言わなきゃね」

「——そうですね。喜ばれると思いますよ」


 うん、と頷いたマモルは、大きな欠伸を一つ。

「おやすみなさい、お姉さん」

 そして、穏やかな寝息を立て始めた。






 美言はマモルの寝顔をじっと見つめていた。程なく彼女は両目を数秒間閉じて、再びゆっくりと開く。


 マモルの小さな身体が、その輪郭をぼかし、徐々に煌めく無数の粒子に変わっていった。


 同時に部屋の景色も変わっていく。

 勉強机、その横のランドセル、本棚、全ての家具も天井も床も同じような粒子に変わり空に消える。


 残ったのは、炭と化し崩れた家の柱が数本と、もう何だったかも分からない黒い灰の山。


 美言はそこで一人、黒いワンピースの裾を広げて座り込んでいる。冷たい夜風が彼女の頬をすうっと撫でた。



 やがて目の前に、ビー玉ほどの光の粒が浮かぶ。まるで蛍のようだ。一度だけ美言の周囲をぐるりと周り、夜空に向かって飛んでいく。

 一つだった光はやがて、何処からともなくやってきた二つの光と出会う。

 三つの光は、踊るように夜空を駆けた。


 美言はその光を見つめ、目を細める。子の寝顔を見守る、母のような眼差しで。


「――おやすみなさい」

 どうか、安らかに。


 彼女の言葉は、祈るようだった。


 

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