JUNK TALK

ギヨラリョーコ

第1話


 的場さんがリビングルームのドアを蹴っ飛ばしたが、当然卑猥な物音は止まなかった。


「まあ落ち着いてくださいって」

「この状況でか?」


 俺と的場さんは廊下に敷いたビニールシートの上に突っ立って、リビングの情事が終わるのを待っている。

 的場さんはリビングを掃除しないと帰れないし、僕はリビングにあるPCに用がある。


「仕事終わんねえよこの遅漏」


 作業着のツナギの前を開けて、的場さんは休憩モードになっている。

 ペットボトルのお茶を差し出してやると、的場さんはそれをひったくって蓋を捻ってから首を傾げた。


「これ持ってきてたのか」

「いや、ここの冷蔵庫に入ってました」

「いらんとこウロウロするなよ」


 的場さんはやけくそめいたため息を吐いて、ペットボトルを突き返してくる。

 今更冷蔵庫に返すのも面倒なので、僕がありがたく頂戴することにした。

 肉体労働の後は喉が渇く。そもそも僕はこんな現場にわざわざ出てくる職種ではないのだ。

 とはいえ僕にとっては新鮮な現場だが、的場さんにとってはうんざりするものでしかないらしい。


 僕は扉一枚隔てた向こうで上司が腰振ってると思うと笑えてしょうがない。


「掃除するとこ増えたじゃねえか」

「素手で触ってないからいいかなって」

「良くない。俺は、現場の後始末が出来ないからって他でもないおたくさんが言うから、後にも予約が入ってるところを急遽来てるわけであってな。それがなんだ、こんなプレイに付き合わされるなんて聞いてねえし、おまけにバカが作業を増やす。訴えたら勝てるぞ」

「殺し屋に裁判で勝てない奴の方が少ないですよ」

「この件に関してはおたくさんが弁当屋でも俺が勝てるよ」


 僕らが話している間にも、BGMとして嬌声とソファの軋む音が聞こえている。

 先ほど手際よく冷酷にターゲットにとどめを刺した長身の青年の喉から、こんな高い声が出ているのかと思うと聞きたくなかったような貴重なものを聞いたような。


「大体なんでこんなことになってんだ。あんた現場仕事じゃないだろ」

「えーと、うちの鍵岡さんいるでしょ」

「あのヒゲがそもそも連絡寄越してきたんだよ。ろくに説明もしなかったけどな」

「そのヒゲが両脚骨折でしばらく仕事できないと。でも一件もう仕事受けて納期も決めちゃった仕事があって。ここなんですけど」

「納期って言い方気持ち悪いな」

「万一聞かれても変に思われないような話し方の癖を付けてるんです。ともかく納期はずらせないのに実働がいないから、しかたなしに社長が出てきて。でも現場久しぶりだから僕が手伝いに駆り出されたんですけど、僕血とか駄目で」

「断れよじゃあ」

「いやあゲームとかだと平気だからいけるかと思ったんですけど。本物の迫力すごいですね。あと今日の現場、最新のゲーミングノートPCあるって聞いてもらって帰ろうかと思って」

「バカだよあんた」

「いちおうオートロック外から開けるとか監視カメラに偽データ入れるとかそういう本来の仕事もしてますよ。そんでとにかく僕が解体前にぶっ倒れてノビちゃったんで補助で人呼んだんですけど」

「だからたんこぶあるんだな」


 後で冷やせよ、と言ってくれる的場さんはなんだかんだ優しい。そんなだからこんな現場に呼びつけられてしまうのだ。

 的場さんは未だ開かないリビングの扉に目をやる。


「あいつ何者なんだ」

「社長の元カレらしいです」


 社長が廊下にぶっ倒れた僕を見下ろしながら猫撫で声で電話してる図は面白かった。頭はめちゃくちゃ痛かったけど。

 呼びつけられた青年はぶっ倒れた僕には目もくれず跨いでリビングに入り、さくさくターゲットの拷問を手伝って顧客の必要な情報を記録してから殺した、らしい。ドアは開けっぱなしだったが僕はぶっ倒れていたし、直視すると気分が悪くなるのでずっと廊下の天井を見ていた。


「声で聞いてるだけでも、腕も手際も良かったですよ。何より金はいいからって。まあ代わりに『久しぶりに抱いてくれ』って言ってきて、あのザマですけど」

「にしても現場で始めることじゃないだろ」

「そういうヘキの人なんじゃないですか」


 それで応じるあたり社長も社長だ。

 リビングのふたりがドアを全開にしたままおっ始めてしまったので、なんとか元気を取り戻した僕はドアをそっと閉めてから、療養中の鍵岡さんに電話した。

 鍵岡さんは的場さんに連絡し、何も知らずにいつもの現場清掃の仕事をするつもりで的場さんがやってきたわけだ。

 ドアの向こうではいよいよ盛り上がっているらしく、嬌声がますますあられもない感じになっていく。


「もうそろそろ終わりますかね」

「終わってくれ」


 エロ漫画で見るような淫語って実際聞くとエロさよりびびりが勝つな、人間ってこんなに人前で理性失くせちゃうのか、と僕が考えている横で的場さんも居た堪れない顔をしている。


「あーあ、僕なんでこんな仕事してんだろ」

「そりゃお前真っ当な仕事が出来ないからだろ」

「正論やめてください」

「多分俺らがハンパにまともなのが良くないんだよ」


 的場さんはリビングの扉を眇める。

「やだ」と「もっとして」が同居してしまう人間はアンビバレンツだ。彼個人の問題かもしれないけど。


「あれぐらいネジが飛んでる方が案外生きやすいのかもなあ」

「じゃあ僕らもここでします?」

「バーカ。バカだよあんたは。バカでいいからあんたぐらいは話の通じる人間でいてくれ。頼む」

「頼まれました」


 あの情事の痕跡も含めて清掃しなければいけない的場さんはかわいそうだ。

 的場さんは疲れ切った表情で僕のほうにひらひら手を振ったので、僕は飲みさしのペットボトルを握らせてやる。

 勢いよく中のお茶を喉に流し込んでいく的場さんに「間接キスですね」と言ってみると、勢いよく的場さんはお茶を噴き出す。廊下の壁に、お茶が飛び散った。


「掃除増えちゃった」

「あんた、俺の仕事ばっかり増やして、そんなに長居してほしいのか」

「うん」


 僕が勢いよく頷くと、的場さんはぎょっとした顔で僕を見返した。


「だって僕だけまともなの嫌ですもん」

「……ああそういう」


 的場さんの2回目のため息はさらに重い。心底、心底ガッカリしたようにその首が項垂れる。


「さっきは悪かった。あんた自分が思ってるほどまともでもねえかもな」

「そっかあ」


 僕は後ほんの少しだけ底にお茶が残ったペットボトルを拾い上げて残りを飲み干す。


「鍵岡さんはやく治らないかなあ」

「本当にな」


 ソファの軋みが止んでいて、嬌声の代わりに浅く息を吐く音がかすかに聞こえる。

 こんな現場にいて、的場さんにとうとうまともじゃないと言い切られる前に早くおさらばしたいと思った。

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JUNK TALK ギヨラリョーコ @sengoku00dr

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