覚悟

 魔堕羅目の雄たけびが薄暗い地下室に反響する。おどろおどろしく、金属をこすり合わせたような甲高い音。


 その叫びによって、呆けていた生徒達は現実を認識した。


安全地帯だったはずのこの場所は一転して戦場へと様相を変えた。


「いやああああ!!!! 助けてええ!!!」

「なんでここに魔堕羅目がいるんだよ!! 殺される!!」

「みんな逃げなきゃ死んじゃうよ!」


 その場にうずくまる者、慌てて入口に向かう者、魔堕羅目からとにかく離れようと壁に張り付く者。大勢の人がそれぞれの動きを見せる。共通していることは全員、魔堕羅目に恐れをなしているということ。


 その恐慌の中で一人だけ魔堕羅目に立ち向かおうとしている者がいた。魔堕羅目の雄叫びに負けず劣らずの声を張り上げて、生徒達を落ち着けようとする。


「みなさん、落ち着いてください!!! 冷静に! 慌てず! 地上に避難してください!!」


 先程までの頼りなさはどこにいったのだろうか。影守と共に魔堕羅目に相対する女性教師。その瞳にはこの状況を変えてみせようとする力強さが宿っていた。


「こちら、第一避難所。魔堕羅目が一体侵入しました。生徒達を一旦地上に逃がします。至急保護と応援をお願いします」


 女性教師は通信用の籠で本部に用件を伝える。伝え終えたら籠を捨て置いて魔堕羅目を強く睨みつけた。彼女は避難所の入口を背にして全員が避難し終えるまで生徒を守ろうとしているのだ。


 藍司は彼女の教師としての在り方に尊敬の念を禁じえなかった。だが、無茶だと思った。新任の教師で三級と言っていた彼女に実戦の経験はないはずだ。本質的には周りにいる生徒と何ら変わりない。逃げても良い、いや逃げるべきだ。


「無茶です! 先生! あんた魔堕羅目と戦ったことないんだろう! どうしたって勝てっこない!」


 女性教師は藍司の声に気づき微笑みかける。


「勝てる勝てないは勘定には入れてません。私は先生だから、みんなを守るんです」 


 彼女の影守が魔堕羅目に向かって一直線に駆ける。それに気づいた魔堕羅目は、目の前の動く人影に凶器である前脚を振り下ろす。


 影守は直角に曲がることで攻撃を避ける。戦斧のような前脚は地面を叩き亀裂を生んだ。石畳の破片が飛び散る。破片のひとつが女性教師の頭をかすめた。血が流れるが女性教師は気にする素振りを見せない。目の前のことに集中している様子。


 避けた影守は右手の手首を折り曲げて、腕の中にしまっていた短刀を抜いた。魔堕羅目の中脚を切断しようとする。


 だが、澄んだ音が結果を示す。振りぬいた短刀の刃が折れてしまった。あまりにも硬質な体。


「そ、そんな」


女性教師も表情を変えざるを得なかった。

 最悪な状況は依然として変わることはなかった。どうしようもない暗い現実が押し寄せる。

 この場の絶対的な存在である魔堕羅目は目の前の人間を次の標的に決めたようだ。大きく前脚を振り上げる。


「あ」


 女性教師は固まって状況を把握できていないようだった。影守に指示することも忘れてぽかんと頭上を見上げる。


「星蘭!!!」


 藍司がそう叫ぶのと同時に星蘭が飛び出す。


 直後大きな破壊音が響き、土煙が舞う。

魔堕羅目が持ち上げた前脚には砂埃のみが着いてるだけで、血の一滴も付着していない。

土煙の中から一つの影が飛び出した。星蘭だ。星蘭は女性教師を脇に抱えて藍司のもとに戻る。女性教師は土煙を吸い込んでいたのか、せき込みながら喋る。


「あ、ありがとうございます。ですが! あなたは地上に避難してください。ここは私が食い止めるので!!」

「かっこいい言葉ですが、その恰好で言われても説得力ないでしょ」

「降ろしてください!」


 星蘭はその言葉に反応して女性教師を放す。尻もちをついて恨めしそうに星蘭を見る。星蘭は涼し気な顔してぴくりとも顔を動かさない。


 女性教師は影守に何を言っても無駄だと思ったようで土を掃いながら立ち上がる。


「生徒を守ろうとする姿かっこよかったです、先生。だから今度は俺の番です」

「何を言っているんですか! だめです!生徒がそんなきけ」


星蘭が手刀で女性教師を気絶させる。倒れ込んんだ彼女を藍司は受け止めて、仰向けにする。当たり所が悪かったと言うべきか、きっちり意識を失っていた。


「あー、まじか。星蘭。説得しようと思ったのに」


藍司は頭を掻きため息を吐く。


「けどあの様子じゃ無理そうか。さて」


藍司は周りを見渡す。大半の生徒は、女性教師が時間を稼いだおかげで地上に出ることができたようだ。だが、全員ではない。まだ数人残っている。入口との間に魔堕羅目が遮るように立つ形になっているため、動くことができない。


「時間稼ぎは俺達の性質的に無理だな。いつ来るか分からないし。周りの人間を気にしながら戦うのもない、となると俺達であれを討伐するしかないか」


藍司は星蘭の首筋を撫でる。首筋から筒状のガラスを取り出した。彼女の動力源である魔力結晶。紫色に輝くそれを外された星蘭は、俯き指先一つ動かさなくなる。


藍司は魔力結晶を懐にしまい、右手を首元に当てる。目を瞑り深呼吸を二回。すると彼の右手から白いもやのようなものがあふれ出す。それは星蘭の首筋から体全体に広がっていき包み込む。ゆっくりと体の中へ入っていく。もやが全て星蘭の中に入ると二人は瞼をゆっくりと開く。


「うまくいったな」


目の前に魔堕羅目の顔があった。藍司が星蘭に譲渡した力に反応したらしい。


「ジィィィィィィィィイイイイイイイ!!!!」


魔堕羅目は剛腕を横なぎにふるう。勢いよく振るわれた前脚を星蘭は片手で受け止めた。衝撃が体を突き抜けて足元の石畳へと伝播する。


星蘭の体がほんの少しだけ沈む。だが、魔堕羅目の攻撃を真正面から受け止めてみせた。


「鈍ってないな、星蘭。今回の駆動時間は十秒だ」


魔堕羅目は鈍く光る両刃で華奢な体を挟み込もうとする。星蘭は力強く一歩を踏み込んで、魔堕羅目の顔を蹴り上げた。


天井すれすれまで顔が打ち上げられる。それにともなって腹部を無防備にも晒す形になった。

星蘭は体を深く沈み込ませた。まるでばねのように力を溜める。打ち上がった魔堕羅目の体が倒れ込むのに合わせて跳んだ。


上に向かって突き出された拳は魔堕羅目の硬い甲殻を貫通した。星蘭の拳は魔堕羅目の体に穴を作り上げた。魔堕羅目は倒れ、星蘭がその上に着地した。


魔堕羅目の目は白く変色している。討伐は完了した。


星蘭は魔堕羅目の体から飛び降り、藍司のもとへと歩を進める。だが、二、三歩歩くと体がふらついて倒れかける。藍司が受け止めて、戦いの功労者の背中を優しく叩く。


「お疲れ様。星蘭。よく頑張ったな」


倒れていた女性教師が起き上がって辺りを見回す。状況をうまく飲み込むことが出来ていないようだ。


「あ、あれ? ここは? 私何してたんだっけ? あ!? 生徒は? どうなりました!!」

「お疲れ様です。先生。終わりましたよ。生徒も無事です」

「終わったって、え、生徒は無事、無事なら良かっ」


元々気を張るのが得意な性格ではないのだろう。生徒が無事だと知り、一気に緊張が抜けてまた気を失ってしまった。


藍司は笑いながらその様子を見つめた。自分のことなんて二の次で、敵わないと知りながら敵に向かっていく。おっとりとした第一印象からは想像できない姿。


「だからこそ、だからこそなんだけど」


藍司は懐から取り出した魔力結晶を星蘭にはめ込む。ぐったりと力が抜けていた星蘭が力を取り戻した。


「どうしようか。後のことなんて考えてなかったなぁ」


汎用型魔動人形は人間の身の回りの世話をする絡繰だ。人の生活に寄り添うことはできるが、魔堕羅目の討伐なんて出来るはずもない。特異な力が介入しない限りは。

藍司は自分の力を誰かに教えるつもりはなかった。


煙玉や閃光玉を使う手もあった。だが、それを行うと魔堕羅目がどういう動きをするか予測がつかない。生徒の一人や二人が大怪我を負うかもしれなかった。藍司自身は誰かが怪我を負おうが気にはしない。けれど、目の前で気持ちよさそうに寝ている誰かさんが悲しむだろうと簡単に予想できた。


「それはつまらないよな。ああ、ちくしょう。ここまで情に流されやすかったか俺は」


これから起こるであろうめんどくさい展開に藍司は悪態をつくしか方法がなかった。

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彗星蘭は微笑まない 雨空りゅう @amazora_ryu

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