魔堕羅目
藍司と星蘭は教師の指示で地下の避難所へと向かう。地下への階段を下りていくと大きな地下室に辿り着いた。
地下室の壁と床は石造りとなっている。天井は地肌が晒されており、四隅と真ん中には角灯が備え付けられていた。明かりがあるといっても薄暗い。目を慣らすには時間がかかりそうだ。藍司は地下室の奥へと進んでいく。
藍司が確認できる範囲で人数は五十人程度。四級の一年生の人数には届かない。大きいと言っても全校生徒は入りきらないだろう。藍司は避難所がここ以外にも存在すると予想した。
藍司の予想通り、この魔術学校には多くの避難所が存在する。国防の危機に陥った際、国民の最後の砦になる場所。室内の大きさが異なる避難所が五カ所存在する。藍司が今いる場所は第一避難所。収容人数は百にも満たない一番狭い避難所だ。
「みなさーん! こちらに用紙があるので、欄に自分の名前を書いてください! ちゃんと並んでくださいねー!」
どこか気の抜けた女性の声が地下室に響く。藍司は声のする方を見る。避難所の入口から見て右の石壁側に女性教師が立っていた。その女性の声には聞き覚えがあった。入學式が終わった後、引率をしていた人だ。
薄暗い部屋の中、藍司は女性教師の方へと歩く。不安げな表情を浮かべる人間と無表情な影守の間を通っていく。
生徒を安心させようとしているのか、女性教師はにこにこと危険だと露にも感じさない笑みを浮かべていた。
前の人間が紙を女教師に渡してどいた。藍司の番になる。
「はい、どうぞ」
女教師はにこやかな笑みを浮かべながら薄板に張り付けた紙と鉛筆を手渡した。藍司は受け取り自分の名前を書こうとする。
「紙に名前を書いてください。焦らなくていいですからね」
渡された紙を見る。長方形の欄があるだけでそれ以外なにも書かれていなかった。前の人が書いたであろう名前もない。
「あの、これって何も書かれてないですけど。他の人の名前は?」
「ああ、それはですね。筆先に魔力結晶が組み込まれてまして、紙に触れて書いた名前を本部に転送するんです。そこで名簿と照らし合わせます」
「そうなんですね。なるほど」
鉛筆一つで全避難所の名前と人数を把握できるとは、流石魔術学校。こういう細かい所で設備の充実さを思い知る。
さらさらと名前を書いて教師に紙と鉛筆を渡した。
「ありがとうございます。不安だとは思いますが安心してくださいね。地上では二級以上の造形師が頑張っていますから」
そういって女性教師は藍司を励ます。女性の言葉に藍司は自分の顔に触れる。そんなに思いつめた顔をしていただろうか。笑顔を張り付けて返事をする。
「それなら安心だ!」
列から離れて星蘭のもとへと戻っていく。俯きながら藍司は少しだけ唇を噛んだ。
突如、避難所全体が激しく揺れた。藍司は揺れでふらつく身体を無理やり抑える。地上で何かがあったらしい。爆発に近い何か。ここは地上からそう深くはない。最悪の場合、戦闘に巻き込まれることも考えるべきだ。
「みなさん! 落ち着いてください! 今の揺れで怪我をした人はいませんか!」
女性教師は笑顔を浮かべるのをやめて真剣な表情で周りに呼びかける。藍司も周りを見渡す。激しく揺れはしたが怪我人が出るほどではなかったらしい。
自身の影守である星蘭を探そうと辺りを見渡す。藍司の近くで星蘭は片手を石畳の地面に着けていた。何事かと思い、藍司は駆け寄りしゃがみ込んで星蘭を見る。彼女は目を閉じて動こうとしない。藍司は星蘭の行動の真意を探ろうとする。
藍司も星蘭と同じように片手を地面に着けた。ひんやりとした石の冷たさが伝わってくる。目を閉じて手のひらに集中する。石畳の凹凸や砂粒の感触が目を開けているときよりも明確になる。
温度や感触のほかにもう一つ、主張してくるものがあった。振動だ。ほんのわずかではあるが揺れが大きくなってきている。
「星蘭。揺れが大きくなっている。合っているか?」
藍司の質問に星蘭は頷く。戦闘での衝撃以外に揺れを引き起こす原因があるようだ。しかも、それが段々と大きくなっている。非常事態の今、どんな些細な情報だろうと共有すべきと藍司は考えた。
急いで女性教師のもとへと走る。
「すいません! ちょっと通してください!」
藍司は人垣をかき分けていく。目的の女性教師は変わらず石壁の傍に立って、生徒に紙を渡していた。
「先生! お話いいですか!!」
「どうしたんですか? そんな慌てて。あ! 大丈夫ですよ! こういうことはたまにあるんです。ここ数年は怪我人も出てないですし、安心してください」
焦った様子の藍司を見て、彼女はこの場は安全であることをあらためて説明する。だが、藍司が求めているのは自分の話を聞くこと。
「違うんです、先生。地上からとは別の揺れが大きくなってきているんです。影守で確認したので間違いありません」
「それはどういう?」
「何かがここに向かって近づいて来ているってことです」
女性教師の目が見開く。彼女はあからさまに狼狽えた様子で紙と鉛筆を落としてしまう。藍司は地面に落ちたそれらを拾って渡す。
「断定はできませんが、状況的に魔堕羅目だと思います。ここから他の避難所に移動した方がいいかと」
「えっ!? ……どうしましょう。避難所は繋がっていないんです。全部独立した造りになっていて、他の避難所に行くには一旦地上に出るしかないんです」
女性教師の話を聞いた藍司はそう上手くは行かないかと舌打ちをする。安全な場所を求めて地上に出て、戦闘に巻き込まれるのは本末転倒だ。
地上の戦闘が終わるまで待つという選択肢もある。だがそれは、避難するまで揺れの原因が到達しないという前提が必要だ。そんな楽観的な考えは叶いそうにない。
だから来たる脅威への対抗策は一つしかなかった。
「ここで向かい打つしかないですね」
女性教師はいやいやと首を振る。
「無理、無理です! 私、今年教師になったばかりで、しかも三級なんです! 魔堕羅目を討伐する資格はないんですよ!」
「なら他の先生方は? 連絡手段はないんですか?」
「あ、そうです! 連絡用の魔力結晶を持ってました! これで連絡を取れれば」
女性教師は袖口から小さな籠を取り出す。口元に籠を寄せて声を吹き込もうとした。
一際大きく揺れる地下室。教師の手のひらから籠がこぼれ落ちる。沢山の生徒の悲鳴が上がる。
女性教師が籠を落としたのは揺れたからではない。目の前で起きた現象に驚いたから。
何かが地下から石畳を突き破って現れた。砂埃がもうもうと立ち込める。近くにいた生徒達は慌ててその場から離れる。巻き上がった砂埃が収まりその姿があらわになる。
その体は巨大であった。優に十尺を超える体躯。照り返す褐色の甲殻は鎧のよう。頭には針金のような触角。前脚は幅が広く、つるはしのような突起が数本突き出している。その巨体で一番目を引くのは紫色に輝く目。
人間の魔力に侵された証拠。通常の蟲と魔堕羅目の違いはそこにある。人間の信仰を集める森の御使いである聖なる蟲から、暴虐の限りを尽くし人間に討伐される修羅に堕ちる。故に魔堕羅目。
藍司は魔堕羅目の身体を注意深く観察した。土や砂がまばらに付着しているが目立った外傷や欠損は見られなかった。地上であれだけの戦闘で無傷なのはおかしい。つまり、目の前にいる怪物は新手ということに気づいた。
状況は絶望的。大した消耗が見られない魔堕羅目。この異常事態に地上の造形師が気づいていない事実。実戦経験がほとんどない大勢の人間。
「ジィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!」
魔堕羅目が咆哮する。無機質かつ機械的でそこには冷たさしか存在しない。
蹂躙が始まる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます