這い寄る凶事
入學式から二日過ぎた早朝。満開だった桜はほんの少し陰りを見せる。儚い美しさがそこにはあった。だが、緑もまた負けてはない。青い葉が太陽の光に照らされて瑞々しさを表している。
若い緑に囲まれた小さな広場に二人組の男女がいる。金髪の女性に黒髪の少年。少年、藍司は湯呑みを握りしめながら、青紫の帳が薄らいできた空に向かって叫ぶ。
「こんなんできるかぁぁああ!!!」
藍司は手に持っていた湯呑みを放り投げた。宙に舞う湯呑みは縦回転で水を撒き散らす。女性、星蘭は表情を変えることなく、飛んできた湯呑みを手で掴み、勢いを殺す。
肩で息をする藍司は頭を抱えてうずくまった。今度は地面に向かって吠える。
「ただでさえ踊らせることが滅茶苦茶難しいし、それに加えてお盆の上に乗せた湯呑みを零すなだと!? 正気か!?」
藍司は踊りというものがてんで分からなかった。生まれてこの方ほとんど見たことがない。たまに屋敷の者が余興で舞を披露していたが、その場にいることは出来なかった。魔力や影守を持たない人間に高尚なものは相応しくないということらしい。追い出された扉の隙間からちらりと見た光景は未だに覚えている。
人間と影守がそれぞれ違う踊りを披露していた。だか決して不協和音にはならず、お互いがお互いを際立たせて、ひとつの芸術品として完成していた。それきり踊りというものを見たことがない。
だから、踊るならば自分の記憶にあるそれに頼る必要があった。手足を適当に動かすのと踊りの境目が分からない藍司にはそうするしか無かった。
問題がそれだけなら頑張れた。大きな壁があるのなら歯を食いしばってでも登る。藍司はそんな少年だ。
だが、壁はもうひとつあったのだ。それは星蘭に樹体が入っていないということ。樹体は影守の動力源。大樹の木の枝や樹皮で出来た、手のひらにも満たない大きさの人形である。赤子の頃から樹体に魔力を込め続けることで樹体は魔力の結晶と同義になる。主人が魔力を込めた思念を樹体に送ることで影守を自在に動かすことが出来る。
だが、藍司に魔力は無く、星蘭の魔力結晶は藍司のものではない。影守の指先ひとつにまで意識を巡らせる高等技術。口頭で指示を行う藍司には無理難題に等しい。
越えるべき壁は常人より高く、多い。藍司が感情を爆発させるのも無理は無かった。
星蘭は藍司を見るだけ何もせずただ立ち続けるのみ。瞳は揺れ動かず一点を見る。その視線を頭上から刺された藍司は息を静かに吐く。数回深呼吸を行って立ち上がる。
「叫んだらすっきりした。悪いな、星蘭。もう一度練習しよう」
「精が出るな。秘密の特訓にしては少々騒がしいが」
藍司と星蘭が練習を再開させようとした矢先、どこからか声がかかった。
声のした方向に藍司は振り返る。
その姿に舞い散る桜を錯覚した。それが風に揺れる髪だと遅れて気づく。顔が瓜二つの訪問者が二人。冠木瀬里とその影守、金剛である。瀬里は薄く微笑みながら藍司達に近付いてくる。
「何の用ですか?」
藍司は気が気ではなかった。星蘭が件の侵入者であることがばれたのか。それにしてはあまりにもにこやかだ。藍司と瀬里を囲う空気がひりつく。顔を出したばかりの陽射しがじりじりと肌を焼く。藍司の額からじんわりと嫌な汗が吹き出てくる。凝り固まった空気を先に解いたのは瀬里のほうであった。
「身構えないで欲しいな。声を掛けたのは興味本位だよ」
「興味ですか」
「そう。何やら四級の一年生に活きのいいがいると聞いてね。聞いた影守の特徴が君のと一致したからもしやと思ったが、正解だったようだ」
「上級生にまで回ってるんですね。噂」
「まぁね。恒例行事に近いからね。四級の中で自分の場所に不満を持つ生徒が出てくるのは」
「それでどうなるんです?」
「試験には合格できるかってことかい?」
「ええ。気になりますから」
「私の代にはいないよ。三年に二人はいるね」
そんな少人数しか三級に上がれていないのかと、藍司は改めて現実を思い知らされて顔をしかめる。
「ところで今年の試験はどういうものなんだい? 気になるな」
「踊るってだけですよ。ただ難易度が高いんですけど」
藍司は星蘭の方をちらりと見る。星蘭はお盆の上に湯呑みを置いて踊り始める。その姿はあまりにぎこちなく拙い。まるで水中で溺れる人のよう。零さないようにお盆を持つ手は動かさず、残りの手足を振り回す。みっともない動きであった。踊りとは到底言えない代物。
「……とまぁ、こんな感じです」
「これは、なんとも言えないね」
瀬里は苦笑いで星蘭の踊りを評価した。苦笑いでも十分甘い評価だと藍司は思った。
「もし良かったら見せてくれませんか?先輩の踊りってやつを」
藍司は無理を承知で頼んだ。国宝造形師ならこの課題をどう乗り越えるか興味があった。十五歳という若さで『八重桜』を襲名した天才。高い壁の頂上に君臨する一人。その技量を垣間見れるならそれはなんて幸運か。
「ふふっ、そんな挑戦的な目で頼まれたら仕方ないな。上を目指そうとする後輩の頼み。お易い御用だよ。金剛」
黒髪の影守が足音を立てずに星蘭に近づいた。片手を差し出して湯呑を受け取ろうとする。だが、星蘭はいつまでも湯呑を握りしめたまま渡そうとしない。金剛の顔を無表情のまま見つめ続ける。金剛も星蘭を見つめながら動かない。
「星蘭?」
藍司が星蘭に声を掛けた。星蘭は顔だけ振りかえる。顔は相変わらずの無表情。でも、どこか不満そうだった。
「渡すんだ。三級に上がるためだ。我慢しろ」
藍司が両手を腰に当てながらそう言うと星蘭はようやく湯呑を手放した。落ちる湯呑を金剛が受け取る。
その様子を瀬里は興味深そうに見る。
「君の影守は面白いね」
「もたついてすみません」
「いや、皮肉で言っているんじゃないよ。本心さ。主人が命令するまであえて動こうとしない影守なんて見たことないからね。樹体代わりの結晶がそうさせるのかな? なんであれ面白い」
「言うことを聞いてくれないのは勘弁してほしいですけど」
藍司は不満を口に出す。他人の影守が主の命令に素直に従うのが羨ましかった。時々言うことを聞いてくれないのが星蘭という影守であった。
瀬里は笑みを浮かべながら藍司に視線を移す。
「主である君もだよ。自分の影守をまるで人間のように扱うんだね」
「あー、そう見えました? そんなつもりはないですよ」
「隠さなくても良い。そう考える人間は少なくないから。私もその一人だよ」
「先輩もですか?」
「ああ、時々考えるんだ。金剛がもし私だったらって」
金剛を見つめる瀬里の表情はどこか苦しげだった。何かから解放されたくて仕方ないような顔。国宝造形師という人々の憧れの場所に立つ彼女がどうしてそんな表情をするのか分からなかった。
「それって」
「ここまでにしようか。二人が待っているからね。」
藍司の言葉は瀬里によって遮られた。彼女の言う通り二体の影守がこちらを凝視している。
「さあ、金剛。踊ろうか」
金剛はこくりと頷いて頭上に湯呑を乗せた。湯呑も金剛も一切揺れずに静止している。まるで一本の棒であった。ゆっくりと両手を上げて回り始める。白い着物の振りがひらりひらりと揺れる。時に静かに、時に激しく。湯呑など乗せてないかのように舞う。この小さな広場が舞台と化した。
「すげぇ」
藍司は思わず感嘆のため息が出る。今まで見たどの影守よりも洗練された動き。見る者の視線を決して離さない。これが国宝級。即興の動きでこんなにも人を魅了するのか。藍司は畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
いつまでも続いてほしい。そう考える藍司の思考を現実に引き戻したのは、鋭く響く鐘の音。連続して響く音は藍司の不安を搔き立てた。
隣に立っている瀬里の表情が険しくなった。
「! なんだ!?」
「すまない。踊りは中止だ。金剛! 急ぐぞ!! 君も校舎に向かうんだ!」
校舎に向かって瀬里は走り出す。藍司も彼女の行動に驚きながらも追従する。
「この鐘は何です!?」
「魔堕羅目が現れた時の鐘の音だ! 校舎に向かえば教師が避難誘導しているはずだ!」
この魔術学校は国を囲うように生えている大樹の森の一部分を、切り倒して建てられた。国全体を真上から見ると鍵穴状になっており、魔術学校はその出っ張り部分に位置する。蟲が嫌う匂いを出す大樹に囲われていないため、魔堕羅目が侵入してくることは度々あった。
「先輩は?」
「私は魔堕羅目の討伐に向かう」
「なら」
「だめだ。勇気と愚かさをはき違えてはいけない。魔堕羅目は墜ちた森の御使い。君が許可なく討伐することは許されない」
「……分かりました」
「君のその気持ちだけ受けとっておくよ。ありがとう! 金剛!」
呼ばれた金剛が瀬里を抱えて大通りを駆ける。目にもとまらぬ速さで白亜の城の中へ消えていった。
「悔しいが先輩の言う通りにするぞ。俺たちにはまだ資格はない」
星蘭は何も言わない。だが、その瞳は鋭く藍司を突き刺す。
「俺だって悔しいさ。だけど今は抑えろ。いずれ俺たちの強さを証明する」
そう言って藍司は奥歯を噛みしめ拳を強く握りしめた。
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