条件

 微睡ながら寝転んでいた藍司が、目を開けたのは一刻を過ぎた頃であった。響く鐘の音が風に運ばれて耳に届いたからだ。


「寝てたか」


 藍司は寝転ぶ自分の頭上、長椅子に姿勢を崩さずに座っている星蘭を見る。どこか穏やかそうな表情を浮かべながらこちらを覗き込んでいた。揺れる木漏れ日に照らされた金髪は川の中で光る砂金のように輝いている。


「おはよう。星蘭」


 挨拶をして立ち上がり背筋を伸ばす。一刻とはいえ、硬い長椅子の上で寝転んだ体はすっかり凝り固まっていた。身体をほぐしながら藍司は星蘭に声を掛ける。


「そろそろ行こうか。これでもう一度遅れたら洒落にならないしな」


 その言葉に反応し星蘭も立ち上がり歩き出す。二人は肩を並べて大通りに向かっていった。


 大通りに出て白亜の城の方に視線を向けると、入學式を終えたであろう生徒たちが本殿の中へと入っていく。目的の集団を見つけた藍司達は、さも自分達も入學式にいましたよーと平気な顔して合流を果たす。


 白亜の城の内部構造は巨大な丸太が列をなしており、その丸太に貫通するように天井の梁が渡っている。丸太や梁に使われている木材は大きさからしてご神木である大樹だ。建物の材木すべてが大樹ではないだろう。だが、国唯一の魔術学校。それに相応しい建築物であることは間違いなかった。


「生徒会長かっこよかったねー」

「新入生代表って俺らの一個年下らしいぞ」

「あんな激励されたら頑張りたくなるよな!」


 話をする少年少女の顔から推測するに、どうやら入學式は大変面白いものであったらしい。惜しいことしたなと藍司は参加者を羨んだ。そのまま流れに逆らわずに歩いていると、前方の方から教師らしき女性の声が聞こえる。


「新入生の皆さん! 今から教室に移動します! 四級の生徒の皆さんは左の大教室に、三級以上の生徒は右の教室に移動してください!」


 ほとんどの人間が左に逸れていく。右の教室に向かっていくのは少数。二十人にも満たないだろう。その中には見知った人達、香や青華がいた。

 思わず二人に声を掛けそうになる。だが、彼女たちは迷いのない足取りで右奥の教室へと進んでいった。左と右。たったそれだけの違いで彼女達との間に埋めきれない溝があるような気がした。


「すぐに行ってみせるさ」


 そう呟いて彼女達に背を向けた。星蘭と共に左の大教室へと歩を進める。三年間で一つ昇級するのが普通という香の言葉。藍司は普通で終わる気はさらさらなかった。三級で満足する気はない。国宝造形師になると心に決めている。二年前のあの日からずっと。そのための一歩をようやく踏み出すことができた。


 藍司はとりあえずの目標を定める。まずはこの一年の間で右の教室に入れるようになる。つまり三級に上がるということ。そのための努力を惜しむつもりない。


 大勢の人間がにこやかに話に花を咲かせる中、藍司は強い決意を瞳に映していた。


 大教室は大という名の付く通り、五百を超える生徒数を収めることのできる広さを有していた。生徒の席は長椅子と長机。およそ十名程度が座れる長さで列になっている。教壇が見えやすいようにしているのか、段々と後ろが高くなる階段状だ。


 集団の後方にいた藍司達は後方の席に座ることとなった。星蘭と共に席に着く。机の真ん中に正方形の籠のようなものが置かれている。大きさは一合程度。用途は一目見た程度では分からない。飾り物かと藍司が思っていると籠から声が聞こえた。


 声は男の声。藍司はこの声に聞き覚えがあった。つい先程会話した大柄の教師の声だ。教壇の方を見ると声の持ち主が何かを持ちながら喋っている。


「さて、みんな席に着いたな。四級の生徒を受け持つ勅使河原だ。よろしく頼む」


 藍司はようやく籠の用途を理解した。流石に大声で喋ってもこの教室にいる全員に声を届かすのは無理な話。持っている籠に声を吹き込み、振動を魔力に乗せて机の籠に伝える。藍司は籠の中身は魔力の結晶だと推測した。


 魔力は人類全員が保有する波動。その結晶は生活に関わる様々な物に用いられる。この声を伝播させる籠もそのひとつ。


「長い付き合いになるかどうかは君達自身の成長にかかっている。つまり俺の顔を見たくないなら上に上がるしかないってことだな」


 生徒達から笑いが漏れる。


「一年以内に三級に上がる条件が知りたい。筆記じゃないんでしょう?」


 藍司が挙手をして勅使河原に問いかける。あまりに性急な問い。前の生徒達が何事かと振り返って場に水を差した人間を見る。だが、藍司は気にしない。今知りたいのは笑いの取り方ではなく、上に行く方法。


「そう焦るな少年。急いては事を仕損じるぞ。君の言う通り在学中に三級に上がるための試験は筆記ではなく実技だ。これは通常の卒業試験とは別物になっている。ここにいる生徒のほとんどには三級、日常における影守の帯同免許を三年かけて取得してもらう。それには筆記と実技両方必要だ。」

「勅使河原先生。それなら三級昇格試験のほうが卒業試験より簡単じゃないですか?」


 話を聞いていた生徒の一人が疑問に思ったことを勅使河原に尋ねる。生徒の疑問はもっともだと藍司は心の中で賛同した。日数に違いはあるとはいえ、実技と筆記がある四級生の卒業試験のほうが難易度が高いように思える。それとも求められる実技の水準が極端に違うのだろう。


「当然の疑問だな。これは言うより見てもらった方が早いだろう。睡蓮!!」


 教室の扉が開く。太眉の少年が湯呑が乗ったお盆を持って現れた。広場でも見た少年の姿をした影守。彼が実演してみせるようだ。


「踊れ」


 片手の指で支えるようにお盆を持ち、体をゆらりと揺らす。傾き、飛び跳ね、回る。まるで遊びまわる子供のような不規則で先の読めない動き。だが、お盆の上にある湯呑は微動だにしない。まるで接着剤かなにかで固定されているかのよう。


「止まれ」


 影守の少年の動きが一瞬で止まった。踊っている最中に突然言われたにも関わらず、その姿勢を維持し続けている。お盆の上にある湯呑もまた動いてない。


 つまり、湯呑を落とさないように踊ればいい訳だ、と藍司は少年の行動から試験の内容を推測した。これが出来れば昇級できる。藍司は秘かに拳を強く握りしめた。


「上出来だ。睡蓮」


 勅使河原は睡蓮に近寄り湯呑を持った。そのまま口元に運び湯呑を傾ける。ごくりと湯呑を飲む音が教室中に響く。誰もが勅使河原の動きに注目した。せざるを得なかった。


 勅使河原は飲み終えた湯呑をお盆に乗せる。そして宣言する。


「三級の昇格条件は、中身が入った湯呑を一滴もこぼさず踊り切ること。なに、上に上がりたいならこれくらいできて当然だ」

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