入學式
藍司は星蘭を伴って大通りに戻る。ほんの少し前まで、通りの地面が見えないほどの人ごみだった。国中の試験を合格した少年少女がこの魔術学校に一堂に会すのだ。全員が影守と共に。単純に考えて人数は二倍になる。人ごみ以上、人波と形容しても問題ないほどであった。そのほとんどが入學式の会場に向かったのだろう。今は、人はまばらになって桜がまぶされた石畳が顔をのぞかせている。
「休憩しすぎたかな、これは。会場に向かうか」
藍司達は大通りの道を真っすぐに歩く。視線の先、大通りの終着点には巨大な校舎。天守閣を思わせる白亜の城。形は三角形に近い。階数は窓の数から見て四階。上階になるにつれて横幅が狭い造りになっている。狭いと言っても最上階は目測で十五丈はあるだろう。藍司は生まれてから今までここまで大きい建造物を見たことがなかった。
「改めて見るとほんとに大きいな。柚子島家自慢の屋敷も形無しだ」
そう言って白亜の城を眺めている藍司をほっといて星蘭は大通りを進んでいく。遅れて気づいた藍司が慌てて追いかける。人が少なくなったといえまだ土地勘が働かない場所。はぐれでもしたら入學式に間に合わなくなってしまう。
「置いてくなよ。せっかくまだ見ぬ学校生活に耽っていたのに。それに一人で先に行って迷子になったらどうするんだ。俺たちは他の奴らと違うんだから気を付けないと」
藍司は星蘭に注意するが彼女はどこ吹く風といった感じで前を見続けている。そっけない自身の影守に藍司はため息を吐く。女心は秋の空というが、自身の影守の空模様はいつだって分からないなと藍司は心の中でもう一度ため息を吐いた。
そうして二人で桜並木を歩いていると突如、どこからか澄んだ鐘の音が聞こえてきた。世事に疎い藍司でもこの鐘の音の意味はすぐに分かった。入學式が始まる合図だ。
「やばい! 急ぐぞせいら、って早!!」
一足先に星蘭は主人を置いて走っていく。やはり藍司の注意を聞き流していたようだ。微塵も振り返る様子などなかった。星蘭以外の大通りを歩いていた人達も駆けだす。
「待て!!いや、待たなくていい! そのまま入學式に向かうぞ! 人が多い場所が入學式の会場だ!!」
藍司も会場へと急ぐ。自由気ままな影守が、時間に間に合わせようと走ってくれるならば好都合であった。桜が雨のように降る中をただひたすらに走る。四月の暖かい風が藍司の身体を通り抜けていく。
初日からこうも慌ただしいとは、ままならないものだなと藍司は思わず笑ってしまう。何もかも全部春のせいだ。そう心の中で一人言い訳をした。
入學式の会場に辿り着いたのは鐘の音が聞こえなくなって、時間がある程度過ぎた頃であった。まさか会場が目の前の城ではなく、少し離れた体育館だとは藍司は予想していなかった。
「ま、間に合わなかった」
藍司は乱れた息を深呼吸で整える。春特有のぬるい風が汗ばむ頬を舐める。結局、道を数回も往復する羽目になった。自信満々で先頭を走った星蘭は入學式の会場を知ってはいなかったのだ。途中で立ち止まり動かない星蘭に藍司は頭を抱えた。
城の中を回ってみても誰も居いない。ただでさえ広い一階部分をしらみつぶしに回って無駄な時間をかけてしまった。一階に誰もいないことで、ようやくこの建物が入學式の会場ではないと気づいた。
走り回ってようやく見つけた会場は『途中入場を禁ず』と書かれた札が掛けてある。
呼吸が整ったところで扉の前に立つ警備員に藍司は詰め寄った。
「もう会場に入ることって無理ですか?」
「ごめんね、規則だから。時間を過ぎたら扉は閉めることになっているんだ。入学式が終わる時刻まで開けられないよ」
警備員は申し訳なさそうにやんわりと、開けるのは無理と藍司に伝える。
「そ、そんな」
「それに優秀な造形師を目指すなら自分に厳しくしなきゃいけないよ。入學式の時刻と場所は、合格通知書に同封してあっただろう?」
「……え?」
「知らなかったかい?送られた封書には二枚紙が入っているはずだよ」
別の意味の汗が流れてきた藍司は懐から封書を取り出す。中身をよく検めると合格通知書のほかにもう一枚。別の紙が入っていた。そこには入学式の案内が丁寧に綴られていた。
「あったあ」
藍司は恐る恐る後ろに立っている影守を見る。いつもの無機質な目に冷たいものが宿っているように思えた。
「……ごめん。星蘭。俺が全面的に悪かったです」
藍司はすぐさま謝罪の言葉を口にする。藍司を見つめる星蘭は、しばらくして視線を空中にさ迷わせた。とりあえず許されたようだった。ほっとした藍司は警備員に振り返って礼を言う。
「丁寧な対応ありがとうございました。とりあえず入學式が終わるまで広場かどこかで時間を潰そうと思います」
「そうだね。そんなに時間もかからないだろう。そうしなさい」
「では」
軽く頭を下げて藍司はもと来た道を戻る。自らが引き起こしたこととはいえ、初日からこうも躓いてしまうと藍司は憂鬱な気持ちになった。舞い散る桜がひらひらと風に揺られ、視界を遮る。まるで飛び回る夏の羽虫のようだ。
加苅達といた小さな広場まで戻ろうと藍司は歩を進めた。広場の長椅子に二人で腰を掛けた。膝に腕をついて顎を支える。藍司は不貞腐れた顔をしながら水面に映る自分の顔を見る。
春風はここまで桜を運んでは来ないようで池の水面を遮るものは何もなかった。相も変わらず鯉が小さな池の中を元気に泳ぎ回っている。
「俺も鯉になりてぇなあ」
「魚になってどうする? 食われたいのか」
水面に知らない男の顔が映る。藍司は思わずぎょっとしてしまう。水面から視線を移すと大柄な男が隣に立っていた。萌葱色の着物、茶色の短髪。精悍な顔つきの大男。その隣には太眉の無表情の少年が立っていた。
「なんだ? 幽霊でも見るような顔をして」
「いや、俺以外にも閉め出された人がいるんだなあと」
「いやいやいや、俺は違うぞ。自分の意志で外にいるんだ」
大柄の男は慌てて藍司の言葉を否定する。どう見ても同い年には見えない。おそらく教師だろう。藍司は目の前の男がいわゆる不良教師なのだと思った。
「参加してない俺が言うのも何ですが、入學式は出た方が良いですよ」
「本当にな。お前みたいなのがいるから外で見回りをしているんだ」
「あー、そういう」
不良とは真逆。新入生思いの良い先生であった。藍司は内心頭を下げた。
「見た目で判断するのは良くないぞ。そうやって決めつけると思わぬ落とし穴にはまることになるんだ」
「それを今、痛感しているところです」
大柄の男が藍司の隣に座る。先程藍司がしていたように池の水面を見つめながら質問をする。
「で? どうして入學式に参加していない?」
「入學式の場所が書かれている紙の存在を知りませんでした」
「なるほど。毎年いるんだよ、一人か二人。合格したことに喜んで中身をちゃんと見ない生徒が」
「改めて言葉にされるとかなり恥ずかしいですね。やめてくれます?」
「いいや、やめない。初対面の生徒にこう言うのは何だが、お前は何かをやらかす人間だと思う。良くも悪くもな。だからここでくぎを刺しとく」
「真面目にやっていくつもりですけどねぇ」
「真面目な奴はそうは言わない」
そう言うと教師の男は立ち上がり大通りの方へ歩いていく。太眉の少年も教師の後ろについて歩く。
「ほかにお前みたいなやつがいないか探しにいく。ないとは思うが悪さするなよ」
「しませんよ。おとなしく入學式が終わるのを待ってます」
「ならいいんだ。終わったら鐘が鳴る。そうしたらあの城、本殿の入口の前に向かえ。そこで合流できるだろう」
「ありがとうございます!」
藍司は少し大きな声で礼を言う。その声に教師の男は片手を挙げて答える。
「捨てる神あれば拾う神ありってことか」
藍司は長椅子に寝転がり上を見上げる。空は新緑に隠されほのかな光が舞い落ちる。
柔らかな風が広場に吹き抜けていった。
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