古書店 彩葉堂

枡本 実樹

猫の手、貸し〼。

古時計の針が、7時を指す。

さぁ、閉めますか。

今日も一日お疲れさまでした。


一年前、この古書店【 彩葉堂いろはどう 】を祖父から引き継いだ。

その前は、小さな出版社で働いていた。

入社して三年目の繁忙期、激務で体調を崩し、一ヶ月入院。

心配した両親に、会社への復帰は止められ退職。

転職活動をしてみたが、なかなか上手くいかなかった。


そろそろバイトでも探すかと撃沈しているときに、祖父から『古書店を手伝ってくれないか。』との連絡があり、通うようになった。

幼い頃、忙しい両親に代わって、わたしのお世話をしてくれた祖父母。

わたしはこの古書店で過ごす、ゆっくりした時間が好きだった。


古い紙特有の匂い。古時計の音。レコードから流れてくるクラシックやジャズの音色。

本棚の上に無造作に置かれた、どこかの国の古い地球儀や、アンティークの置物。

扉を一枚くぐっただけなのに、時間の流れが違うような、この空間が、わたしにとっては特別な場所だった。


桜のつぼみが色づいてきた頃だった。

「さて、そろそろ好きなことだけしようかな。」とにっこり笑った祖父は、後は、好きなようにしていいから。と言い、翌週、ヨーロッパへと旅立って行った。


仕事の流れは一通り覚えた後だったから、なんとか毎日の業務はこなせてると思うけど。

祖父が店主をしていた時のようには流行っておらず、最近ではお客さんは日に数人といったところ。

閑古鳥が鳴いている状態だった。


店の扉に鍵をかけ、いつも通りの帰り道を歩く。

商店街を抜けた後、路地裏を通り抜けると近道になる。

今日も歩道に謎の美術品がいくつも並んでいる。

いつも気になるものの、一度も入ったことのない骨董屋さん。


あれ?いつもはない張り紙が貼られている。

『 猫の手、貸しマス。』

なんだろう。猫の手借りたいほど忙しかった時なら、飛び込んでたかな。

いや、あの頃はたぶん、こんなふうに、張り紙を読む時間さえ惜しんでたな。

なーんて、一瞬、数年前の懐かしい自分が見えた気がして、フッと笑った。


すると、中から人が出てきて、声を掛けられる。

「いらっしゃいませ。猫の手、借ります?」

笑顔で訊いてきたその人は、あまりにもイケメンで。見惚れてしまって、すぐに思うように声が出ない。

びっくりするわたしに、急かすでもなく、ニコニコしながら、腕に抱いた白いふわふわの猫を撫でている。

「い、いえ。全然忙しくもない身ナノデ、猫の手は、ダイジョブデス。」

しぼり出した声は、カタコトのような話し方になっていて、自分の情けなさに泣きそうになった。

「ふふ。忙しくないなら、コーヒーでも飲んでいきませんか?」

そう言いながら、その謎のイケメンにそっと背中を押され、お店の中へと入った。


金ぴかの仏像や、高そうな彫刻。カラフルなガラス。不思議な形の家具。大きさも時間も色々な時計たち。

どこの国の、どの時代のものかさえ、謎の置物たちが所狭しと並んでいた。

薄暗いのに、全然怖くない。


アンティークのランプや所々に置かれたキャンドルライトの優しい光に包まれて、とても優しい不思議な空間。

お店の奥に古い喫茶店のような、ちょっとしたカウンターがあって、椅子をひいてくれる。

「おじゃまします。」

合っているのかわからない言葉を呟いて、座った。


「どうぞ。」

深い藍色に金色の線で模様が描かれたアンティークのコーヒーカップが差し出される。

すごくイイ香りがする。

普段はインスタントしか飲まないから、コーヒーのことはよく分からないけど。

祖父がいつも、豆を挽いて淹れてくれていたのを思い出す。

「いただきます。」

一口、飲んだだけで、なぜだかすごく、ホッとする感じがした。

目の前の謎のイケメンに、さっきまで緊張していたはずなのに。


「わたし、古書店をやっているんですけど。全然流行らなくて。」

うんうん。と、優しく微笑んで聴いてくれている。

「祖父から引き継いだんですけど。閑古鳥が鳴いてて。お店潰しちゃいそうで。」

自分でも、何を言ってるんだと思いながらも、つらつらと喋る。

「どうしたいの?」

優しく問いかけられる。

「祖父がやっていた頃みたいに、たくさんお客さんが来てくれるといいなと思ってます。」

どうにもならない願いを、口に出してしまう。

「猫の手、貸してあげるよ。」

そう言って優しく微笑んで、何かを差し出される。

「いえ、だから、全然忙しくないんで、むしろ暇すぎるくらいなんで、必要ないんです。」

「左手を出してみて。」

そう言われ、差し出すと、『どうぞ。』と、手のひらに変わった形の金古美きんふるびの指輪をのせられた。

周りには綺麗な石がいくつもついている。

「こんな高そうなもの、買えないです。」

首を振りながら、返そうとすると。

「貸すだけだよ。」

そう言って、また微笑まれる。

使い方のメモを渡された時に、お客さんが店に入ってきてしまった。

「それじゃ、またね。」

お客さんに呼ばれ、行ってしまう。


そのままカウンターに置いていこうかと思ったが、こんな高級そうなもの、無くなったら大変だし。

少し待って、直接返そうかと思ったけど、新しいお客さんまで入ってきていて、完全にお邪魔虫にしかなりそうになかったので、後日お返ししようと、その日はお店を後にした。


次の日。

いつも通り、朝11時開店。

きょうも静か。ゆったりしたものだ。

本棚のほこりをはたき、本棚から一列分取ってきた本の風通しをして、インスタントコーヒーを飲みながら、本を読む。

最近は、小学生の頃に夢中になった海外の児童文学を読んでいる。


そう言えば。

昨日、骨董屋さんに渡された指輪。

まじまじと見てみると、指輪は繋がっていなくて、一ヶ所細く隙間がある。

彫刻が細かく施されていて、猫の手が一周した形になっている。

外側に、赤、青、緑、黄、4色の石が埋め込まれていて、すごく綺麗な光を放っていた。

一緒に渡されたメモを読む。

【 真夜中の十二時、左手の人差し指に付け、心から願うことを4回唱える。 】

え、それだけ?

呪文も何もない、短い文章のそのメモに、なんだか拍子抜けしてしまった。


本を読み耽っていると、あっという間に時間が過ぎる。

古時計の針が、7時を指す。

さぁ、閉めますか。

今日も一日お疲れさまでした。


店の扉に鍵をかけ、いつも通りに歩き出そうとした。

でも、児童文学を読み過ぎたせいだろうか?

あの指輪のメモを、試してみたくなってしまった。

まぁ、何もなくても当たり前だしね。

急いで帰っても、一人暮らしの部屋で、何か面白いことが待っているわけでもない。

近くのコンビニでお弁当を買い、店に戻る。

扉を開け、中から鍵をかけて、今夜は店で一夜を過ごすことにした。

本に没頭して忘れてしまわないように、11時50分にスマホのアラームをかけておいた。


真夜中の静まり返った店の中で、アラームが鳴り響く。

もうそんな時間か。

わたしは改めてメモを読み直し、指輪を手のひらにのせる。

なんだか、少しドキドキしてしまう。


古時計の音が、真夜中の12時を知らせる。

同時に、左手の人差し指に指輪を付け、心から願うことを4回唱える。

「たくさんのお客さんが来てくれるお店になりますように。たくさんのお客さんが来てくれる・・・。」

目を閉じて、願う。


すると、眩しい光が指輪から放たれて・・・。


なんてことはなかった。

なんだか拍子抜けしたくらい、5分前の光景と何にも変わらない光景が、そこにはあった。

と、思った。


でも、奥の本棚の方から、なにか聞こえてくる。

真夜中だし、少し怖かったけど。

なんだろう。奥へと近付いた。

すると・・・。


なんとも可愛らしい、二足歩行の猫ちゃんたちが四匹。

これはあっちニャン、これはそっちニャン、と、本の入れ替えをしている。

夢でも見ているのだろうか。

だとしたら、なんて可愛らしい夢なんだろう。

そう思いながら、テキパキと動く彼らを見ていた。

すると、わたしに気付いた一匹の猫ちゃんが、ビシィッ!とわたしを指差し、

『にゃにをもたもたしてるニャン!さっさとうごくニャン!』と指示を出す。

とっさに『はいぃっっ!』と返事をし、彼らに指示されるまま、本を移動したり、飾ってあった雑貨の位置を変えたり、POPを作り直したりと、目まぐるしく動き回った。

そして、ヘトヘトになって、店の奥のソファに座り込んだ。とこまでは憶えている。

気付いたら、朝になっていた。


バタバタと準備を済ませ、朝11時開店。

コーヒーを飲みながら、本を読もうとしていると、珍しく朝から扉が開く。

「いらっしゃいませ。ごゆっくり~。」

最初のお客さんが帰ると、次のお客さん。

次のお客さんが帰ると、その次のお客さん。

多くはなかったけど、嘘みたいに、お客さんの途切れない一日だった。

なんだか、久し振りの客足に、顔がほころぶ。


可愛らしい夢が、何か運んできてくれたみたい。

あれ、でも。

なんとなくだけど、本の位置とか、雑貨とか、ちょっとだけ夢の中みたいに変わってる?

自分でも、よくわからなくて、でも、なんだか今日はいい日だった。


古時計の針が、7時を指す。

さぁ、閉めますか。

今日も一日お疲れさまでした。


店の扉に鍵をかけ、いつも通りの帰り道を歩く。

そうだ、指輪を返さないと。

商店街を抜けた後、路地裏を通り抜けると近道になる。

骨董屋さんへと急ぐ。

けど。

そこに、あのお店はなかった。



あれから不思議と客足は増え、店はとても繁盛しています。



骨董屋さん、ここを通るかわからないけど。

店に張り紙を貼ってみました。

『 猫の手、返しマス。』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

古書店 彩葉堂 枡本 実樹 @masumoto_miki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ