恋して鳴くのが猫だもの

鱗青

恋して鳴くのが猫だもの

 人生ままならないものだ。だからこそ、他人ひと任せや神仏に頼るのはもってのほか──

「っていう建前は全部取っ払って角子すみこ、あんたにお願いするわ。私を会長と恋仲にして!」

「ウチの学園の理念を根こそぎにしたわね、美玖みく

 放課後の生徒会室。完全なる私用で鍵を開けた美玖と角子は机を挟んで真剣に向かい合っていた。とはいえ私達の間には駄菓子を盛った皿と紅茶のカップがあり、雰囲気を和らげている。

 壁の上には『自助・自立・自省』の墨書が架けられている。私はそれを一瞥し、せせら笑う。

「これ書いた人だって聖人君子じゃない筈よ。てか私立高なんだから、そもそも資本主義の申し子なんだし」

「品行方正たるべき生徒会書記の言葉かしら…わざわざから私を連れ出したのは、会長を籠絡ろうらくするというはかりごとの為なのね」

直截どストレートかつ下品な表現ありがと。それで合ってる。あとオカ研オカルト研究会の部室を虫の居場所みたく言わない」

 女子の誰もが羨ましがる色白でクールな美貌の角子は、黒髪をかき上げてオレオをひと齧り。

「あの男のどこが良いの?美術部で絵が上手いのと顔が良いだけの優等生じゃない」

 私は角子の肩をガッシと掴み。

「常在オカルト、趣味にどっぷり沈んでる角子には分からなくていい。恋する乙女は命懸けなの!」

「近い怖い必死」

 角子の身開かれた瞳に映る私。角子とは反対に親譲りの色黒で、髪は天パで茶髪。どうかすると観光地で英語で話しかけられてしまう彫りの深さ。

「だって…もうわらにもすがるしかないじゃん」

「親友を藁にたとえるのは結構失礼よ──まあいいでしょ。力になってあげる」

 小学生の頃に魔法のかけ違いで教室の蟋蟀コオロギを全部座頭虫ザトウムシにしちゃった時に庇ってくれたものね、と角子は溜息をつく。そう、幼馴染の彼女は本物の魔女なのだ(私達だけの秘密!)。

 スカートのから肉球のある手がついた棒を引き抜く…お年寄としよりが背中を掻くアレに瓜二つの。

「それならコレが丁度いいわ」

「孫の手?」

高野山こうやさん座主ざすがお墨付き、もとい封印をかけた本物」

「呪具とかそういう?ぐすりじゃないの?」

「どちらかというとの真逆でね。それと人のこころは魔法では動かない。それができたら天使も悪魔も無用になってしまうわ」

 使用方法は簡単。この肉球棒猫の手を握りしめ、強く願いを唱える事。

「でも魔のモノに助力を嘆願するのはあまりおすすめしないな。望まぬ結果や悲劇的末路を招く可能性が高いから」

「おやこんなところに図書カードが」

「大船に乗ったつもりで任せなさい。竹馬の友ならぬプリキュアごっこの友の貴女あなたの頼みだもの、その乙女の夢を毒霧色どくぎりいろに染めてあげる」

 ツーカーの間柄で良かった。私は早速ホンワカしたデザインのそれを高く掲げる。角子のメモした呪文を呟くと、生徒会室に重たい煙と硫黄の匂いが立ちこめる。

 ボーン、と禍々まがまがしい音と共に巨大な姿を現したのは──

『我は魔王ミャオウビレト。毛繕けづくろいの最中サニャカに召喚するとは無粋ぶすいニャリ

 天井に頭がつく程の巨体で、綿飴わたあめのような黒銀の毛並みを発語の度に揺らす──

「いやどう見ても黒のペルシャ猫じゃん、ブサカワの」

「とりあえず願い事をして」

 私は打ち明けた。生徒会長が好き。彼はモテまくりで、けれど男女交際に興味がなくて言い寄る女子が全員振られてもいる。

「気持ちが変えられないなら、いい。私が変えてみせる。その…雰囲気シチュエーションに持ってく事、できる?」 

 相手が猫とはいえ、恥ずかしくて床を向いてしまう。

成程ニャルホド。さすれば自力でその男を落としてみせる、とニャ?その願いカニャえて進ぜよう。告白に最高のお膳立てをしてやる。但し…』

 にまぁ、と邪悪な笑みを浮かべる悪魔。

魔王ミャオウを顎で使うからには見返りは重いぞ。そうさニャ…成功せず望みが潰えた場合には、ニャンジの大事な物を召し上げよう』

 出現と同じく唐突に、巨大な悪魔は姿を消した。『ニャーッハッハッ!』と高笑いを残して。

 突然戸が引き開けられた。背の高いツーブロのイケメンが、くしゃっと笑って。

「か、会長!」

「誰かいると思ったら美玖か。助かった、美術部の写生会で購入した動物園の入場券チケットが余っちゃったんだけど…」

 私は首がげる勢いでヘドバン。

 日曜日、人生最高の準備をした。化粧メイクばっちり甘めのワンピ、手荷物はファンシー系でまとめ…

 完全に浮いていた。

 高校の美術部なのである。私以外は全員制服。羞恥心しゅうちしんで死にそうだ。

 おまけに最大の問題は、当の目標ターゲットが後輩への指導のために忙しく走り回っているせいで、ちっとも一緒にのんびりできない事。

(可愛い女子もいるし…あ!またそんなひっついて!誤解するよ〜そんなんじゃ〜)

 なかなか自分に構ってくれない会長は、けど凄く楽しそうで…

 ハッと我に返る。

(自分勝手な想いをぶつけて、邪魔して、おまけに他の女子に嫉妬とか…)

 私、女として…っていうかヒトとして最低なんじゃない?

 ふと目を上げるとバクと対面していた。おっとりした顔の中から半ば閉じた瞳が見返してくるのが、どうにも軽蔑されているように感じる。あの悪魔といい黒い生き物は巡り合わせが悪いみたいだ。

「…何よ。文句あんの不細工ぶさいく

 にらみつけてやったら檻の中でへそを曲げたようにお尻を向けてきた。ムカつく。何が『悪夢を食べる動物』だよ。

 看板を蹴ってやろうか思案していたら会長の絶叫が空気を裂いた。

「危ない美玖!」

 嘘でしょ。会長が駆け寄ってくる。手を大きく振って。懸命な表情で──

 そして会長は私を広い胸に抱きしめた。ライムの柔軟剤の香り、男らしい体臭もわずかに…

 プッシャァァァ!

 激しい水音。会長と、会長にすっぽりと抱きしめられた私の周囲に獏の排泄液おしっこのミストが荒れ狂う。

「…ごめん。びっくりしたろ?獏ってさ、放尿マーキング割としょっ中するんだよ。気をつけるよう言っておくべきだったね」

 私を…守ってくれた…

「あ、あの!」

「うん?あー、汚れた?爪先に少しかかっちゃったかな」

 私の靴を覗き込んだ彼に、私は思い切り背伸びして…

 唇を、重ねた。

 周囲の目とか、反応とか頭の中から消えていた。純粋に、ぐな気持ち。悪魔にも変えられない私の恋。

「私…あの、私、本気です!好きなんです‼︎」

 おお、と他の客が賞賛する。

「──ゴメン!」

 えー⁉︎と続いてブーイング。

「君だからダメとかじゃないんだ。ただ僕、その、誰とも付き合うつもりはなくて…」

「いいんです」

 私の片目から涙が伝い落ちた。

取立とりたてだ』

 悪魔の声。私はまぶたを閉じる。ちゃんと面と向かって言ったんだもの。満足…

 青天の霹靂へきれき。魔界の稲妻が一筋ひとすじの輝跡となって地上へ落ち、私の肉体を砕く…

 あれ。

 生きてる?

 恐る恐る目を開けて、私は自分を見下ろした。

 両手に肉球がある。動く。うん、私の指らしい。爪も出る。

 顔を触る。毛だらけで、小鼻の脇には三対の長い髭。

 お尻に意識をやると、ピョコンとブチのある尻尾が持ち上がった。

ニャニこれ…」

 どこからどう見ても。

「裸のニャンコね。それも三毛猫」

 わさ、とやぶから角子が出てきた。頭にカモフラで木の枝をしている。朝からついてきていたのか。

 いや、それより私の姿!

 グッと両手を取られた。会長が、やけにキラキラした顔で見つめてくる。

「美玖…なのか」

 私は頷く。え?猫に変えられた私が分かるの?愛の力ってやつ?

「今の姿、僕の理想だよ」

 ん?

「素敵だ。頬も、肩も、このてのひらの…肉球の分厚さ。人間大になるとこうなのか。最高だ!」

 ちょっと待って頭を整理させて。

「えーと、つまり会長は女の子と付き合う気がニャいんじゃニャくて…」

「そうなんだ。人間全般が無理!なんだ。参ったよ」

 くしゃりと笑う。反対に私は血の気が引いて身の毛もよだつ(毛を逆立てる)。

成程なるほど、超絶禁欲主義ではなく限界突破ケモナーだったと」

 角子が訳知り顔で寄ってきた。

「ちなみに美玖の前の姿、どうだったの」

「控えめに言って…ゴミかな」

 うん薄々分かってたけど心臓が痛い。

「あっ違くてね?僕はその、昔から普通の人間ひとに興味持てなくて、我慢すれば女の子とも付き合えるかなと思ったけど、でもやっぱり自分は誤魔化せなくて」

 あーそうですか、人類だとダメなんですかそうですか。それは知らなかったわー。

「美女と野獣で言うと断然、野獣派!っていうか、正直人間にはちり程も興味ないんだ。はははっ」

 うわぁーお辛辣しんらつゥ!

「でも今は美玖、君のおかげで希望が湧いてきたよ。改めて僕から頼む。付き合ってほしい。できれば結婚も視野に」

 会長、その希望を今の私に対して言われると絶望しちゃうんだけど。

「良かったブっ、じゃないのブフフっ」

「笑ってんじゃニャい!アレ、も一回貸して」

 私は腹を抱えて吹き出している角子から猫の手をひったくり、今度は猫の姿で再び同じポーズをとった。

 ボーンという音と煙と共に魔王ミャオウが現れる。だらしなく寝そべり、両手に鷲掴わしづかんだ猫ちゅ〜るにむしゃぶりつきながらだ。

『いきニャニャンだ、我は食宴に忙し…』

 尊大な髭が直角に折れ曲がり、尻尾が毛羽立って直立している。

「もう命あげてもいいから、せめて元の姿に戻してくれニャい?」

 興奮に瞳をまん丸にした魔王の喉元から、ゴロゴロと音が聞こえてくる。

『美しい』

「は?」

 重たそうな体を起こし、魔王ミャオウに相応しい貫禄のあるキメ顔で迫ってくる。

『人間の姿を捨てた事で、ニャンジがこれほど美しくなるとは…我が伴侶として申し分ニャい。共に魔界ミャカイべようぞ』

「お前もかい!」 

 私は会長の手を振り解き、駆け出した。二本足だと走りにくい!ええいもう四つん這いでもいいや!

「待ってくれ美玖!今の僕達は相思相愛、離れられない運命じゃないか⁉︎」

何故ニャゼ逃げる!三食昼寝付きの我儘わがままし放題、ちゅ〜るも食べ放題だぞ⁉︎」

「まるでこっちがおかしいみたいに言わニャいでよ!」

「人気者になれてよかったじゃない」

 涼しい顔でピッタリ横について走る角子に私は叫ぶ。

「冗談じゃないわよーっ‼︎」

 そう、つくづく人生はままならない。かつて恋した人間の男と今の自分に惚れた魔界の猫から全力で逃げながら、私は我が校の設立理念を深く噛み締めるのだった。

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