第3話「熱の絶対領域」

「――本当にごめん! わざとじゃないんだよ! さっきから話がどんどんずれていってるね! 一発ギャグとか、本当にごめんね! 本当にやるとかマジで想定外だったからさ! ……それにしても、面白かったよね! ――じゃなくて……そう! 編入試験! 編入試験の話をしないとね」


 透き通る水色の髪を小刻みに揺らしながら、俺の前に立っている美少女は言った。


「えっと、編入試験なんだけど……」


 彼女の一生懸命な姿を見ていると、少し湧いてきた怒りも、塵となり消えていた。


 その彼女――橙木夏鈴とうぎかりんは、シワシワパンフレットをもっとシワシワのくちゃくちゃにしながら、目を細めて「う~ん……」と唸っている。


 パンフレットに書いてあることがよくわからないだとか、そういう事だろうか。


「あのさ! 分からないんだったら自分で読むけど……」


「うそ! これ読めるの? 全部ドイツ語で書いてあるんだけど」


「あ、読めるわけないです。出しゃばりました、すいません」


「なんじゃそりゃ」


 夏鈴は眼を大きくして、パンフレットを俺に見せてくる――が、ドイツ語なんて読めるはずもない。


 いや英語ならともかく、ドイツ語とか読めるわけないだろ。……て、夏鈴ちゃんは入試の時、シワシワになるまで読んだってことなのか? 


「すげえな……。読めるのか、この暗号みたいな文字が」


「ふぉえ? 読めるわけないじゃん、こんなの。あたし日本語もあやふやなんだから。何となく、文脈で」


「いや文脈て。全部ドイツ語なんだから文脈で考えられないだろ」


「じゃあ、あたしの冴えわたる第六感で」


 夏鈴は、なんか格好つけているようだが、つまり勘だ。やはり勘が鋭いようだ。でもそれだけでドイツ語が読めるなんてことはあり得ないと思うのだが。


「はあ……」


「? どったの?」


 俺がため息をついて俯くと、夏鈴は俺の顔を覗き込んでくる。


 俺はそんな状況に顔を赤らめながら、夏鈴の疑問に答えようと顔を上げる。


「な、なんか、夏鈴ってすげえよな。さっきから自分はすごくないみたいに言ってるけど、聞けば聞くほど非常識というか……あ、もちろん、いい意味でだ。いい意味で破天荒はてんこうというか……あの……あれだ。その……」


「その?」


「……あんまり自分を責めるなよ」


「え? 責めてないけど?」


「責めてるって。いっつも自虐的じぎゃくてきだよ。夏鈴はすごいんだからもっと自分を立てるべきだと思うよ」


 何、お説教じみたことを言っているんだと思われるかもしれないが、ただ、彼女に自信を持ってほしいのだ。


「そんなこと……いわれても、あたしは無意識でやってるの。それがあたしの個性みたいなものなの。だから……人に言われてすぐに修正できるかと言われれば……ムリ、かな」


「う……まあ、そうだよな。……でも、俺はそれを自分の価値を下げてるだけにしか思えない。自分を卑下ひげして、他を立てて、それで夏鈴は満足か? 本当の意味で、君は満足して笑っていられるか? さっきから夏鈴はずっと笑ってるけど、それがただよく笑うやつなのか、何かを紛らわすためにやっているのかは知らないが、あれは本当に本当の意味での夏鈴なのか?」


 やばい、言い過ぎた。出しゃばりすぎたと思ったが、案の定、彼女は顔を俯かせて、暗い雰囲気を醸し出させる。


「……何を言ってるの? あたしは夏鈴以外の何物でもない。あたしという夏鈴は、私しかいない」


 夏鈴は怒ったように言い捨てた。……どうするべきだろうか。ここで素直に引き下がるのも逆に失礼な気がする。俺は夏鈴を真っすぐ見据えて。


「まあそうだ。夏鈴は夏鈴だ。だけどお前、プライベートな場所でもずっとそれか? それって、相当大変だよな。分かるよ」


「何? あたしの何がわかるって言うの? あたしはいつもあたしっ。可愛い夏鈴は今ここにっ。ねっ、自分のことを卑下なんてしてない」


「夏鈴さ、本気でそれ言っているのか?」


「は?」


「お前、震えてるぞ」


「ふ、震えてない!」


 そうは言っても、明らかに体全体が揺れている、


「いやいや別に何も聞かないから。何で震えてるのかは知らない。でも、怖いんだろ? 本当の自分を見せるのが。本当の自分を押し殺して、今の夏鈴を演じてる」


「違うよ!」


「違わないだろ! 何かに怯えてるとか、本当の自分にトラウマがあるとか、なんか理由があるから震えてんだろ!」


 俺は怒鳴った。やっぱり言い過ぎた……か?


「だったら何!」


「……誰かを頼れよ」


「…………」


「夏鈴さ、絶対自分だけで抱え込んでるだろ。誰でもいいから助けを求めろよ」


「なんであたしが一人だって思うの?」


「俺も一人だからだよ!」


「え……?」


「俺は三年前、両親を事故で亡くしたんだ。それで、俺は一人で暮らしてるんだ」


「育ててくれる人がいなかったの?」


「……いなかった。親戚に引き取ってくれる人なんていない。まあ、中学生だったしな、頑張れば一人でも暮らせるさ」


 何だよ俺……過去の話なんてして。俺の話なんてする必要はなかったが、つい熱くなってしまった。


「そう……なんだ。いっしょだったん……だね」


「え?」


「あたしといっしょだ。細かい所は全然違うけど、あたしも親がいない。魁聖高校はお金がなくても入れるっていうから選んだんだ。……でも、まだ高校の人には話しかけづらくて」


「話しかけづらい? 夏鈴でもそんなことあるのか? てっきり、夏鈴は誰にでも平等に話しかけると思ってた」


「あるよ。本当のあたしは結構人見知り……だったと思う」


「だったと思う?」


「もう覚えてないんだよ。あの時のあたしを」


「…………」


 夏鈴には、何か深刻な過去があるのだろうか。


「だからもう、今のあたしが本当のあたしだと思う」


「まあそれはいいんだけどさ……自分の気持ちは前面に押し出していこうぜ」


「何それ、かっこつけてんの?」


「そう……だな。俺はかっこつけてるけど、自分を卑下する馬鹿は嫌いだから、直してほしい……かな」


「雄哉クンに教えられる筋合いはないよ」


「は? 俺は夏鈴の友達になって、お前の……夏鈴をわかってやれるやつになりたいんだ! だれにも頼れない、そんな悲しい女の子を見捨てるなんてできる男がいるもんか。君に会えたのはすごく運がよかった。結構運命的な出会いだと思う。だからこの勢いで魁聖にも受かるかもしれないし……だからさ」


 俺は一度言葉を止めて、改めて夏鈴の方を向きなおす。


「俺の――友達になってくれないか? 俺の高校生活最初の」


「え……?」


「きっと、夏鈴に損はさせない。絶対魁聖に受かってやるさ。そして夏鈴ともっと仲良くなって、それで……」


「ありがとう」


「……えーと……――ン?」


「こんなにあたしのために本気になってくれる人、初めて。あたしさ、同じ趣味の友達とか、同じ感性を持った友達だとか、気の合う友達が一人もいなかったんだ。気が合わなくても、仲良くなれるだけでいいんだけど……それも無理で……。あたしの性格のせいかな。あたしが話しかけると、みんなそっぽ向くんだ。……信じられないよ」


「それは……ひどいな。よくわかるよ。俺もそういう経験したことあるから」


雄哉ゆうやクンも?」


「ああ。まあ俺の時は話してくれる友達はいたけどな。でも俺と話しているときは楽しくなさそうで、他の友達と話しているときと、明らかに態度が違うんだ。出来るだけ避けようとしているというか、他の友達と一緒にいるときに俺が話しかけると、聞こえなかったみたいに無視して、あとで、ごめんそれ聞こえてなかったって言うんだ」


「ひどいね」


「そうだな。人間って好き嫌いとか分かれるだろ。自分が好きな人と嫌いな人ってのも、もちろんいるわけだ。だけど嫌いな人をないがしろにするってのはちょっと違うんじゃないかと俺は思う」


「それはあたしも」


「なんかさ、それって自分以外の人は自分の都合のいいようになればいい、そういう自己中の塊みたいな感じだと思うんだ。なんだか、そういうのって理解しかねるよ。俺が親を亡くした悲しみを、お前は知ってるのか? 知ったうえで、そんな態度をとってるのかって」


 俺は、情けないかもしれないが、信念を貫き通すため、夏鈴の目を真っすぐに見つめて言う。


「言葉だけで、『親が死んだ』なんて言ったって、肝心なことが何も伝わっていない。気持ち――心が伝わっていない。それじゃあ、人間はその場所に割り込めない、踏み入ることができない。その俺たちは逃れることができないが、他の人間には入ることができない業火のご如く燃え盛る炎のように熱い、熱の絶対領域に」


「うんうん……って、何かっこつけてんのっ! 『熱の絶対領域』て。何なのそれ? 自分で理解できてるの?」


「できてないに決まってる!」


「開き直るなよ!」


「戻ってよかった!」


「へ!」


「さっきまでの暗い夏鈴よりも、今の明るい夏鈴の方が好きです!」


「え……くら…………明るい夏鈴の方が……好き?」


「はい!」


 あ。言ってしまった後に気づいた。勢いで、好きって言っちゃった。いや発言的には問題ないかもしれないのだが、ちょっと『好き』という言葉には抵抗がある。好きな女子に「何の食べ物が好き?」とか聞かれたら、好きな人を言うわけでもないのに、ちょっと戸惑わない? え? 分からない?



「――って、誰に言ってるんだ俺」


 我に返った。リア充共に怒りをぶつけた――って、あれ? もしや、今日から俺はリア充なのでは? こんなかわいい女の子と面と向かって、こんなに気安く話せている? 俺は、幸せ者! 青春は、まだ始まったばかりだ!


「何で清々しい顔してるの?」


「羨ましい?」


「い、いや全然。全然、微塵みじんも羨ましくありませんからっ!」


 いやいや。見ろよ。この夏鈴の羨望せんぼうの眼差しを。こいつ、嘘つけないタイプだな。よくそれで魁聖に受かったよ。頭脳戦とか、駆け引きが重要なはずなのに。


「――でさ、暗い話はまた今度っ。事態が落ち着いてからでね。えっと、長く待ったよね、ごめんっ、説明するよ魁聖の編入試験は、【運動部門】と【頭脳部門】に分かれてるの」


「ほおほお」


 暗い話になったのは、俺のせいだと思うが。


「そして、まず【運動部門】だね。こっちは単純で、《一メートル走》。そして【頭脳部門】の方が――」


「いや、ちょっと待て。《一メートル走》? なんだそれは?」


 一メートルを走るだけなんて、あの魁聖がやるとは思えないが。


「そのまんまだよっ!」


「細かいルールとかは……」


「そのまんまだよっ!」


「ん?」


「だから、ただ一メートル走るだけ」


「それってただの反射神経じゃん」


「そう」


「その試験に何の意味があるんだ?」


「さあ?」


「さあじゃなくて。それで結局、どうなったら合格なんだ?」


「それは、他の編入生とのバトル! して、先にゴールする」


「他にも編入生いるのか?」


「わかんない。普段は結構いるらしいけど、今はまだ入学式やったばっかりだし……はっ!」


「どうした?」


「雄哉クンはアイツらが来たから編入するんでしょ? じゃあ同じ理由で来る人がいるかもじゃんっ」


 いるのか? 分からないけど。


「でもそれで魁聖選ぶやついる?」


「確かに」


「それに、魁聖に入れるんなら最初から魁聖選ぶだろ」


「ご最もな意見だねっ」


 まあ俺も入れる実力というものはないし、運ゲーになるとは思うのだが。


「俺は夏鈴みたいな美少女を置いていけないからついていくけど、普通こんなことしないわ」


「び、美少女……って、何今の最低発言っ。あたしが美少女じゃなかったらおいていったってこと? 美少女じゃないけど」


 どう考えても美少女だろって思うのだが、当の本人はそれを否定したいらしい。少し乙女チックで、それでいてかすかに残る頬の紅潮こうちょう鼻腔びくうくすぐ優艶ゆうえんな匂いによって大人の色気をかもし出しているのだが!


 ……それが大前提として、その白くて細い腕で顔を不完全に隠し、その不完全の隙間から覗く彼女(俺にとっての美少女)は、悲しげな顔でしょんぼりしている。これは一大事だ! ……心は緊急警報発令中だが、陰キャがその気持ちを爆発させることは難しく――


「そんな悲しい顔するなよ。お前だからついていくにきまってるだろ。可愛いからとかじゃなくて、性格とか、あとさっきの話に共感したから」


 ――ちょっとツンデレっぽい台詞になってしまった。


「じゃああたしと同じ目に遭ったほかの人だったら?」


「それは…………時と場合による」


「一気に評価下がった」


「なんで?」


「雄哉クン! 男なら! 女の子は全員守るっていう心意気じゃないと!」


 急に元気になったようにはじける(ゴッド)夏鈴は、男どもを何人もとしてきたであろう瞳をぱちくりさせている。


「そんな傲慢ごうまんなことしないから。見ている世界だけ幸せならいいじゃないか」


「さっきとは別人……雄哉クンもしかしてあたしを綺麗な言葉で嵌めたな? 何する気なの? さっさと吐きやがれ!」


「夏鈴の方も……だんだん変わってないか?」


「そう?」


「ちょっと本性を現したというか……それが本当の――元の夏鈴なのか? 何かだんだん怖くなってきた」


「それは褒めてるのかどうなのかはっきりしてほしいっ」


「褒めてる……よ?」


「絶対褒めてないっ!」

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