今日も私は忙しい

櫻葉月咲

年に一度の多忙な数ヶ月

 ダダダダダダダダ……!

 ミシンの音が広い教室内に響き渡る。


「……」


 じっと真剣な瞳を自分の手先に向け、今日もファッションコースに在籍する生徒らの長い一日が始まるのだ。


「はぁ……」


 莉沙りさは小さく息を吐き、ミシンを動かしていた足の力を抜く。

 手の甲で顔を隠すようにし、今度は先程よりも深く長い溜め息を吐いた。

 ファッション業界で働くことを目標とした男女が集まる専門学校に、莉沙は在籍している。そして、近々学内で大きなイベントが開催されるのだ。


 学内の大規模なイベントは年に一度ある。

 その数ヶ月前から製作締め切り日の二週間前にかけて忙しくなるが、それでも悔いなく作品を作り上げよう──。

 そう心に決め、この数ヶ月は製作に没頭する日々が続いた。


 イベントには、有名なファッションデザイナーやファッションバイヤー、果てには世界で活躍するファッション業界の大御所らが招かれる。

 運が良ければ自分の作品を見初められ、その人の元で勉強する事ができるともっぱらの噂だ。


 そのため、莉沙を含む生徒たちの作品作りにも熱が入る。

 イベントの一週間前を締め切りとし、当日までの一週間は会場の設営などに充てられるのだ。

 今日は締め切りの一週間前になる。


 ファッションコースの生徒たちが作品作りに取り掛かってから、実に三ヶ月。

 ギリギリまでデザイン案を考えたため、莉沙は他の生徒たちよりも作るのが遅れてしまった。

 しかし毎日頑張った成果か、今日この日にほとんどの作業工程が終わった事で莉沙は脱力しきっていた。


「──た」


 莉沙は手の甲で顔を隠したまま、ぽつりと呟く。


「終わったーーーー!!」


 ガタリと音を立てて椅子から立ち上がると、ミシンの音に負けないほどの声で叫んだ。

 周りの生徒がチラチラと莉沙を見たが、すぐに自分の作品作りを再開する。


「……オホン」

「あ、すみません!」


 講師の控えめな咳払いが聞こえ、莉沙は慌てて着席した。


(つい立っちゃったけど、喜ぶには早いわ。まだ大事な作業が残ってるんだから)


 目の前のトルソーには、莉沙の作品が掛けられている。

 ふんわりとした色とりどりのフリルをたっぷりと使い、互い違いに重ね合わせた生地を繋げ合わせ、一枚の生地──所謂いわゆるパッチワークというやつだ──にすると、デザインに合わせてパターンを取っていくのだ。


 この作業が中々面倒だが、ようようパターンを取り終わると、生地との間隔を1.5cmずつ空け、チャコペンを使って軽く印を付ける。

 その通りに裁ち切り鋏で切ると、次はミシンの出番だ。


 大量に作った生地と生地とを縫い合わせ、服の形に作っていくのは中々楽しい。

 出来上がったのは、膝下ほどのワンピースだ。けれど、このままでは至って普通の作品になってしまう。


 続いてフリルを縫い合わせるのだが、一ミリでもズレると完成度に響く。

 集中力に加えて目も酷使する細かい作業のため、慎重に生地と縫い合わせた。


(まぁ、及第点は貰えるかな)


 白を基調とした生地でパッチワークを作り、膝下のワンピースに仕上げ、裾の所々には余すことなくフリルを使った。


(でも問題は)


 ある程度は見せられる形になったと思う。しかし、莉沙には最後の大仕事が残っていた。

 ちらりと自分の机に広げられたモノ達に視線を向けた。


(これ、なのよねぇ……)


 色とりどりにある大量のスパンコールが、キラキラと輝いている。

 手作業ですべてを付けるには骨が折れる。それこそ猫の手も借りたいほどの量を買ってしまった。

 しかし、スパンコールを付けると作品が一層華やぐのも事実だ。ただその作業を何時間やればいいのか、考えるだけでも頭痛がしてくる。


「──デザインは私が決めた事なんだもの。頑張らないと」


 ぽつりと自分に言い聞かせるように呟く。

 今更付けないという選択肢は莉沙にはなかった。

 改めて大量にあるスパンコールの一つと似た色の糸を取り、莉沙は作業に没頭した。

 莉沙だけでなく、周りの生徒たちの作品作りもいよいよ大詰めといえる。


 来たるイベント当日に向けて──あわよくばだが──、デザイナーの目に留まる作品を作るため、今日も莉沙は自分のデザイン案とにらめっこしながら、納得のいくものを作り上げていく。


 ファッションコースに在籍する生徒は、百人も下らない。

 その中でも数少ない友人たちと切磋琢磨せっさたくましながら、夢に向かって走り抜ける──あまりにも満ち足りている学生生活を送っていると思う。


(私は絶対に、服飾のお仕事で食べていくんだから)


 両親の反対を押し切り、専門学校へ進学して一年目になる。

 ファッション業界の最先端を駆け抜ける講師らに教わりながら、夢に向かって日々頑張っているのだ。


 初めての大規模なイベントで作品を見初められれば、そこから一気に就職までの道が掴めるだろう。

 そうしたら反対していた両親を安心させてやれる。自分の夢のためでもあるが、莉沙にとっての恩返しはこれくらいしか出来ない。


 目指すは世界的デザイナーの目に、自身の作品を印象付けることだ。

 締め切りまであまり時間がないが、出来る限り頑張ろうと莉沙は握り拳を作った。



 ◆◆◆



 学校へ居る間は数え切れないほどのスパンコールを付け、少しずつ進むファッション業界の勉強や普通科目の勉強にいそしんだ。

 一日の授業が終われば、バイトがある。


 勤務時間が終わるとすぐさま帰り、夕飯も風呂でさえもそこそこに、寝る間も惜しんで課題の製作に取り組んだ。

 そんな生活が一週間続いた頃、あっという間に衣装製作の締め切り日になった。


「──った」


 ベランダのカーテンの向こう側は、まだ朝日すら昇っていない。深夜ともつかない時間帯に、莉沙の生活するワンルームで小さな呟きが落ちた。


「終わった……」


 そう言って莉沙は後ろへ倒れ込んだ。毛足の長いマットが頭を包み込んでくれたから、あまり痛みはない。

 しばらくぼうっと天井を見つめていると、疲れがどっと押し寄せてくる。


 作業の出来る小さなテーブルの上には、キラキラとしたスパンコールをふんだんに使ったワンピースがあった。

 白系統の生地を縫い合わせたパッチワークが味を出し、色とりどりのフリルとも相まって艶やかな雰囲気をかもしている。


 締め切り日の朝──果たして莉沙の作品は完成した。

 後は学校へ行き、講師に提出するだけだ。

 そして、明日から慌ただしく会場の設営が始まることだろう。


(学校に行く準備をしないと)


 しかし連日の学校とバイト、帰ってからの衣装製作という生活をしていたからか、莉沙はあまり眠っていなかった。

 起き上がろうとしたが、襲い来る睡魔には勝てそうにない。


(でも、少しだけ……)


 ぼんやりとした思考の中、莉沙は数秒も経たず微睡まどろみ、やがて夢の住人となった。

 そうして懸命に製作した衣装が、世界的デザイナーの目に留まるか否かはまた別の話だ。

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今日も私は忙しい 櫻葉月咲 @takaryou

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