【短編】【KAC20229】猫飯らいふ――飼い猫あやめがヒトになったので、一緒にごはんをつくります。

甘夏

豆腐ちゃんぷるーの日

 時刻は19時半。

 定時18時までの契約とはどこにいってしまったのだろう。

 なんて、最初の一週間くらいは思ったけれど。もう勤め始めて3年になる会社。

 

 わたしにとっては腰掛け程度のつもりだった……んだけど。色々と人生はわからないもので。

 派遣会社からは、そろそろ先方の希望通りに正社員への登用を目指さないかと言われる始末。

 そんなのごめんだって思う。反面、これからの人生に不安も募る。


 引っ越ししてもっと都会のほうに行けば、わたしの行動範囲も広がるし。もっと時給のいい派遣の仕事もあるのかもしれない。そしたら、夢を追うための活動もしやすくなるのかもしれないけど。


 飼い猫のことが気になってそうやすやすと引っ越しもできないんだよねーこれが。

 また、次のペットオッケーな物件を探すだけでも大変なのに、敷金礼金も高いから。

 やっといまの大家さんに許してもらっているわけで……。

 

 それが現実よね。


「ただいまー」

 

 飼い猫だけが待つ家の鍵穴を回す。

 もちろんこの声に返すような家族もいないわけで。さっきスーパーで買った食材を一人で仕込んで、料理して。

 ひとりで食べなきゃいけないわけで。


 マックとかでもいいんだけど、最近肉付きも気になるんだよね。

 さすがに20代前半ってわけでもないしさ。

 

 どさり、と音を立てるビニール袋(3円)のなかからパックに入った豚肉、豆腐、もやし。

 できるだけ安い食材、あとは割れないように肩にかけたバックに押し込めた卵のパック。


「疲れてても、何か作らないといけないんだもんねー。生きてくためだもん! あーやだやだ」

「……何か忘れてない?」


 え? 誰。いま誰かに声をかけられた気がした。

 そう思うと同時に一つ疑問があった。菖蒲あやめがいない。

 菖蒲とは3年前、いまの会社へ派遣勤務をはじめたころに飼い始めた猫の名前。

 ちょうどその頃、恋人と別れたばかりのわたしは、猛烈に寂しくて。そんなときに捨て猫を見かけて持ち帰ったという、特に、物語性もない出会い方をした子猫だ。

 

 ん? いまは小さくもないただの猫。それが菖蒲。


「アヤメー? 出ておいでー! ちゃんといつもの黒缶買ってき。……てないわ」

「だから忘れてるって言ってるじゃない」

「ごめんってば――」


 さすがに青ざめるわ。

 わたし、いま誰と喋ってるの? 会話の流れからすると、まるで菖蒲と話してるみたいだったけど……?


 狭いワンルームの中だ。猫なら隠れる場所は豊富でも、人となるとそうはいかない。

 大抵はクローゼットか……。

 見つけた。普通にいるわ。


「えっと、貴女、どなた?」

「あやめ、だけど?」

「あー、もしもし。警察ですか? いまうちの家のベッドのなかに――ッ。動じないわね」


 警察に通報するフリでもすれば、さすがに焦るかと思ったけれど。

 目をくりくりさせて『?』マークが浮かんだような表情だ。

 わたしのシーツ。昨日干して綺麗にしたばかりなのに……。なんで知らない子が包まってるわけ?


 しかも、ちょっと可愛いし。

 何歳? 10代だよねまだ。


「ひよりー。黒缶まだ?」


 ……手を伸ばす仕草にあわせてずれ落ちた白いシーツ。

 その下は、小ぶりの胸。というよりは、裸。


「え。ええ? いや。あのね。なんで何も着てないんですか?」


 何故か思わず敬語になってしまう。

 さすがに同性でも焦る。同棲だったとしても、たぶん焦る。

 どうせーっていうの……。って面白くないこと言っても仕方ないわけで。


 渦中の娘っ子は、 ”?” まさにこの表情だ。


「きょとん。じゃないわよ。なんで、服着てないの」

「ひより、ごはんまだ?」

「……ダメだ。えっと、もう一度聞くね? 2つだけ応えて。一つ、名前! もう一つ、なんで裸なの」

「んー、んー……。『な』『ま』『え』は、あやめ。『は』『だ』『か』、ってのがわかんない。いつも通りだもん」


 だもん。じゃないわよ、そんな言葉使いする子いるのかね。

 ああ、いるわ。


――V tuberしてるときのわたしだ。


 そこで気づいたのだけど。

 わたしの名前は、高坂莉子こうさかりこであって。この子が言うような『ひより』じゃない。


――なつめ日和(ひより)という名前はVtuberのときの名前だ。


「えっと。もしかしてだけど。わたしのファン?」

「違うってば。わたしは『ふ』『あ』『ん』じゃなくて、あーやーめー」

「……だめだ」


 いや。わかってるのよ。

 ただ現実的に考えるとわかりたくないだけで。

 つまり……うちの飼い猫の菖蒲てことでしょ……? 

 仕事の疲れもあってか、頭が痛くなってきた。

 なにも食べてないから腹ペコで死にそうだ。


「兎にも角にも……ごはんね」

「えっと……あやめ、ちゃん。まず、わたしの服でいいから着よっか」

「?」

「……着せてあげるから、ちょっと来て」


 頭からすぽっと着られるお手軽なパーカー。

 だぼついてるのが気になるけど。……つまりわたしが大きいってことだから。

 でも、わたしも10代のときは……あーもう。


「はい。これで人間らしくなった。髪ちょっとくしゃくしゃだから来て」

「……やーだー。そのブラシ嫌い」

「いいから! いつも嫌がるんだから」


 わかってたけど。やっぱりこの子菖蒲だわ。


「はい。綺麗になった。かわいいじゃん菖蒲」

「……ひより嫌い」

「なんて?」

「嘘……。好き」


 誰がそんなツンデレっぽい喋り方を教えたのよ。

 ……わたしだ。放送聞いてやがったな。


「ということで……猫の手も借りたいくらい。疲れ切ってるわけだけど。いま家に何も御飯はありません」

「……はい?」

「だから。作るの。人間はね、自分が食べるものは焼くなり煮るなりしなきゃ与えられないの。わかった?」

「ぶーぶー」

「幼児言葉で煽るんじゃない!」


 中華鍋を戸棚から取り出し、軽くさっと水で流す。

 買ってきたばかりの豚肉をパックから出して、まな板の上に。


「ああ。危ないから包丁もってるときはそっちいってて」


 わかってましたけど。多分この猫の手は使えない。

 

「そしたら……豚肉を一口大に切ってから、豆腐もサイコロ状に切りそろえていきます!」

「うん。うん。なんかできそうな気がしてきたの!」

「そう? じゃあ今度お願いね。(怖いから)……で、もやしを水でさっと洗います!」


 蛇口をひねり、ザルの上のもやしに水かける。

 あー、冷たそ……。そうだ。


「あ。あやめ。これ洗ってて。手でてきとうに」

「‥…うん。えっと。なにこれ冷たい」

「文句言ってたらあげないからね」

「はーい……」


 中華鍋に火をかけ、ごま油をひく。

 豚肉をいれて菜箸で少しずつ焼き色をつけていく。

 塩コショウを振りかけて簡単に下味をつける。


「んー、これだけでいい匂い。あ。ちょっと、危ないわね! なに、直接手ーだしてるの。火傷するわよ」

「……痛かった」


 咄嗟のことだったので、菜箸で刺してしまった。

 もちろん貫通してるわけじゃないけど。


「で、ここにもやしと豆腐をいれて……、あーこれあやめも好きだと思うな」


 小分けされた鰹節のパックを取り出し、それを投入する。


「沖縄料理の味付けってねー、豚とカツオの出汁でだいたいできてるんだってー」

「へー……」

「聞いてる? てか、聞いて!」

「……はい」


 ずっと一人で料理をして、ひとりで食べて。

 缶チューハイ飲んで、配信して……。そんな生活だったからなんだか楽しくなってきた。


「醤油と、酒とみりん。ちょっとずつでいいからね」

「うんうん。ねえまだ?」

「まだ!」


 もやしが、しなっとなったタイミングで卵を入れてかき混ぜる。

 火を少し弱めて、具材が焦げないように。

 少し蓋をして、蒸し焼きにする。


「はい! 完成〜。なつめ日和の簡単夜食! 豆腐ちゃんぷるーの完成です」

「おーー。美味そー。これぜったいストゼロと合うやつね!!」

「……配信見すぎてストロングゼロのことまで覚えてるのね」


 ほとんど役には立たなかったけど。

 楽しく完成させることができた料理を大皿に移す。

 さすがに……箸は持てないよね。


 スプーンを並べて。

 ちゃんとテーブルに座らせる。ことはできなかったから、とりあえず隣に来てもらう。


「まって、手でとらないの。あと頭を擦り寄せてこないで。食べづらいから」


 カシャン。


 冷蔵庫から取り出したばかりのストロングゼロの500ml缶を開ける。

 たぶん。

 ううん、間違えなく今夜の御飯は美味しい。

 だって、猫の手を借りてるんだもの。


「ねね、あやめも今度料理する! ひより。また一緒のもの食べよーね!」

「はいはい。今度ね」


 その今度が、毎日のことになるとはこの時のわたしには知る由もなかった。

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