ウーバーむゃーツ

鳥辺野九

むゃー


 うちのマグネシウムにオナモミがひっついていた。


 ちょっと何言ってるかわからないって?


 若い子は知らないか。オナモミだよ。オナモミ。言葉の響きはちょっとエロいが、ひっつき虫って言った方がいいかもな。虫なんて呼ばれてるがあれは虫じゃない。植物の実だ。


 服なんかにひっつくトゲトゲした実。動物とか人間の衣服にひっついて遠くへ種子を運ぶなかなか頭の回る奴だ。


 昔々、よく気付かれないように投げて背中にひっつけて遊んだじゃないか。今や絶滅危惧種に指定されるまで減っているらしいな。


 そのオナモミがうちのマグネシウムにひっついていた。と言うことは、近所に絶滅危惧種が生えているんだ。興奮するじゃないか。マグネシウム? うちの猫の名前だよ。


 とにかく、うちのマグネシウムの行動範囲内にまだオナモミが生えている。ぜひともその場所を特定したくなるってものだ。


 マグネシウムは毎晩周辺探索をするタイプの猫だ。しかし遅くとも夜11時にはちゃんと帰ってきて僕の足元で丸くなって眠る。


 散歩の範囲はそう広くはないだろう。かと言って猫の後ろをついて回るわけにもいかない。絶対に人間なんか通れない隙間とか歩いてるはずだ。


 そこでマグネシウムにはアクションカメラを背負ってもらうことにした。バイクのメットに装着してツーリング動画を撮ってるカメラだ。小型で軽量のくせにしっかり防水、長時間録画可能な優れもの。


 猫用アクセとして買っといた猫リュックのハーネスに固定して背負わせてみる。するとどうだ。こんなポケモンいるんじゃないかってぐらいにジャストフィット。スパイネコの誕生だ。


 マグネシウムも猫用リュックを嫌がる素振りを見せず、むしろ適度な締め付けが気に入ってるっぽい。


 早速マグネシウムを放出。さあ、行け、マグネシウム。君が見ている世界を僕にも体感させてくれ。


 マグネシウムは外に出られるのを喜ぶように「むゃー」と鳴いた。




 夜も更けて。11時20分を越えた頃。窓の外で「むゃー」と鳴くマグネシウムの声。


 偵察ご苦労様。僕はマグネシウムを撫で回しながら迎え入れた。もう一回「むゃー」と報告してくれる。いい動画撮れたのか?


 アクションカメラを回収しようと猫用リュックを外すと、バリバリに新鮮なオナモミが一個、ハーネスにひっついていた。


 ピンピンにトゲついた小さな実。中には絶滅危惧種の種子が詰まっているはずだ。庭で栽培してみようか。


 さて、猫徘徊動画を再生だ。これは期待できる。カメラを初めて回した子どもみたいにワクワクしてきた。




 まずはいきなり僕のドアップ。鏡に映る顔とは画角が違く下から見上げてるので一瞬誰だかわからずびくっとなる。


 明るい部屋から暗い外に移動。さすが猫。かなりスムーズに背景が流れる。キョロキョロ周囲を観察したりせずに真っ直ぐ庭から玄関へ向かって歩道に出る。その時も右左確認なく、決まった探索コースでもあるのか迷わず右折。


 ナイトモードで撮影しているので夜の町もしっかり撮れている。歩道の端、民家の塀に沿ってゆっくり歩いてくれる。わかってるじゃないか、マグネシウム。


 お隣の小林さんちのケンタロウがブロック塀の隙間から鼻先を突き出している。犬のくせにうちのマグネシウムと仲良しだ。マグネシウムは犬の鼻先、ちょいと匂いを嗅ぎ、軽い挨拶程度でまた歩き始める。


 画像は思ったより上下に揺れない。むしろFPSでキャラを走らせてる時のように左右の揺れ幅が大きい。カメラの取り付け位置の調整が必要か。もしもVRヘッドマウントディスプレイでこの猫徘徊動画を観たら3分で酔う自信がある。


 酔うなら3D酔いじゃなく酒がいい。猫徘徊動画にはアルコールがよく合いそうだ。僕はストロング系をやりながら動画を見ることにした。


 夜の風景。低い姿勢からやや広く夜空を見上げる画面。新型コロナウイルスの蔓延で緊急事態宣言が発令されて人も車も全然見られない。無人の夜。無人の町。無人の猫徘徊。


 マグネシウムは進む。足取り軽く、道を迷わず、するすると猫らしく音も立てずに夜の町をスクロール。


 そう。それだ。夜の町を歩くマグネシウムはかすかな無音を引き連れていた。完全な無音ではない。遠くに聞こえる車の音。誰かの庭先を通り抜ける時に置き去りにする生活音。草を踏むマグネシウムの忍び足の音。


 それはとても耳心地がいい音だ。耳触りがいいと表現するよりも、耳をふんわり触られる感じがシンプルに気持ちいい。


 やがて無音な夜の町にマグネシウム以外の放浪者が現れた。待ち合わせしていたのか、それともたまたま同じ方角へ歩いているだけか。


 白い猫の尻尾が見えた。物音一つ立てずに寄り添い、たまにちょっかい出すようにカメラを覗き込んで匂いを嗅ぐ白い顔。ヒゲがぴんっと張っている。


 マグネシウムの友達は白猫だけではなさそうだ。カメラを横切るみたらし団子色した猫耳。夜色よりも真っ黒い前足がカメラを猫パンチ。興味深そうにカメラを覗くキジトラの猫鼻。


 マグネシウムはなかなか広い交友関係をお持ちのようで。実は僕よりも友達が多いんじゃなかろうか。ひょっとして彼女か? 猫又ならぬ二股、三股。猫ハーレムか?


 夜の町を音も立てずにそぞろ歩く猫集団。いい絵面だ。いくらでも見ていられる。YouTubeで配信したらそうとう高評価がもらえそうだ。いっそのことYouTubeデビューも悪くないかも。『うちの猫にカメラつけてみた件』とか言って。


 猫集団探索は石階段を上り始めた。元朝詣りとかどんと祭とかくらいしか行かないような近所の小さな神社だ。


 これは、ひょっとしたら噂に聞く猫の集会って奴じゃなかろうか。夜な夜な開催される猫たちの会議。町の人間たちを今後どう支配するか、新しいチュールの味はどうだ、とか。


 マグネシウムたちは階段を越え、赤鳥居をくぐり、境内の参道をちゃんと左の端を歩き、賽銭箱の前で車座になって座った。


 無音のまま時が過ぎる。マグネシウムたちは何を会議してるのか。


 そこへ、一人の人間が現れた。素足に桐の木のようなきれいな下駄を履き、ふくらはぎの辺りまでシルクっぽい淡く光ってるように見える衣類を纏っている。マグネシウムの視点カメラではその人物の膝から下しか見えない。


 いや、これは人間ではない。


 僕の本能がおそおののく。この方は人間なんかじゃない。だからこそ猫たちはあえて頭を上げずに伏せるようにして座っているんだ。


 この動画はライブ映像ではない。一時間以上前に録画されたものだ。だと言うのに、かしこまらざるを得ない威圧感が画面の奥から迫ってくる。僕もマグネシウム同様に地面に額を擦り付けるように頭を下げる。


「なんぞ、これ」


 マグネシウムに背負わせたアクションカメラに気付かれた。その足がマグネシウムに音もなく近付き、ふわっと腰を折って屈もうとする。


 やばい。僕は心の底から震え上がった。人間ごときが神様のお顔を見てはならない。それこそ罰当たりだ。ディスプレイの前に平伏す。


「ええっと、これは、カメラというものでして」


 ライブでも何でもないのに、録画された映像に説明しようとしてしまう。でも、そうせざるを得ないんだ。神様の前に人間なんて猫に等しい存在だ。


 神様にカメラをどう説明しようか言葉に詰まっていると、僕の手元にあったストロング系缶チューハイの缶がカタカタと揺れ始めた。


 この方はカメラを見ていたんじゃない。カメラ越しに、時間の枠をも飛び越して、派手な色合いのこの供物を見ていたのだ。欲していらっしゃる。召し上がっていらっしゃる。


「どうぞ。飲みかけですが」


 そう言い終わるや否や、缶チューハイの缶がカランと倒れた。さっきまでたっぷりアルコール9%だったのに、すっかり空になっていた。


「ほほう。ゆゆしく旨し!」


 なんかよくわかんないが、好感触っぽい声色だ。お気に召して頂けたでしょうか。僕の隣で首を垂れているマグネシウムも「むゃー」と猫撫で声を上げる。


「なお飲まばや」


 そう言い残して、神々しい気配は消えた。


 恐る恐る顔を上げると、神社の境内で思い思いの猫仕草でくつろぐマグネシウムの友達が映った動画が続いていた。


 僕は思わず柏手を二度打った。


「コロナが収束しますように! 神様、ほんと、お願いします!」


 猫の集会に神様が参加していらっしゃったなんて。単なる猫とのおたわむれ、気まぐれの戯れ事であったとしても、神様に直でお願いできるチャンスなんてそう滅多にあるものじゃない。


 二礼二拍手。コロナの件、お願いします。一礼。


 マグネシウムも「むゃー」と鳴いた。




 翌日、マグネシウムがまた猫の集会に行きたがっていた。僕はマグネシウムに猫用リュックを背負わせて、今度はアクションカメラではなくストロング系缶チューハイのロング缶を忍ばせてやった。


 夜11時過ぎ、帰ってきたマグネシウムのリュックにはオナモミがみっちりと詰め込まれていた。


 違う。そうじゃないよ、神様。

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